現在の東京大学にあたる昌平黌。そこで儒学を教えていた教師である佐宗一斎という学者がいます。無料メルマガ『がんばれスポーツショップ。業績向上、100のツボ!』の著者で経営コンサルタントの梅本泰則さんは、この佐宗一斎が残した書物が指導者のためのバイブルとなるとしてその内容を綴っています。
幕末の儒学教師、佐宗一斎の『言志四録』から人生を学ぶ
1.言志四録とは
佐宗一斎をご存知でしょうか。
江戸幕末期に、現在なら東京大学に当たる、昌平黌の儒学教師です。
門下生は6千人を超える、人気学者でした。
佐藤一斎に影響を受けた有名人はたくさんいます。
たとえば、勝海舟、西郷隆盛。坂本竜馬、佐久間象山、山田方谷、河合継之助、横井小楠、渡辺崋山、吉田松陰といったところです。
その佐藤一斎が書いた本に「言志四録」があります。
人としてのあり方、学問の仕方、政治のありかた、仕事の心得といったことについて、書かれた書物です。
今では、指導者のためのバイブルとも言われています。
言志四録は、「言志録」246条、「言志後録」255条、「言志晩録」292条、「言志耋(てつ)録」292条、からなるもので、全部で1133条です。
「言志」とは、「志を述べる」という意味で、
論語から来ていると言われています。
さて、現在ウクライナとロシア、イスラエルとハマスで戦争が起こり、世の中が乱れて大変な状況です。
どうして、こん
...moreなことになってしまっているのでしょう。
宗教によるものでしょうか。
それとも、政治によるものでしょうか。
私は、この戦争を引き起こしているのは、人間の欲によるものだと思っています。
つまり、人としてのあり方に問題があるのではないかと考えているのです。
古典や歴史書の多くは、そのことを教えてくれます。
そこで、今回は日本の古典、「言志四録」から幾つかの言葉を選んで、教えてもらうことにしました。
中には、ご存知の言葉があるかもしれません。
2.欲と人との接し方
まずは、人としての生き方やあり方について書かれた条を取り上げます。
●人は欲無きこと能(あた)わず。欲はよく悪を為す。
欲は果たして何の用ぞや。
唯だ聖人はその欲を善処に用いるのみ。
この言葉の意味は、人間は誰も無欲になることはできない。
だが、この欲が悪をする。
はたして欲は何の役にたつのか。
聖人はみな、欲の本来の意味を十分に理解して、良い方面に利用したのである、ということです。
つまり、欲には善い欲と悪い欲があり、善い欲を用いて、人間や社会を発展させよ、と言っています。
ロシア、イスラエル、ハマスに必要なのは、善い欲ですね。
二つ目の条を紹介します。
●春風を以て人に接し、秋霜を以て自ら粛(つつし)む。
意味は、春風の暖かさをもって人に接し、秋霜の厳しさをもって自らを慎む、ということです。
言志四録の中でも、有名な言葉です。
こんな人になりたいですね。
難しいのは、「自ら粛む」ということではないでしょうか。
次も、人の生き方の言葉が続きます。
3.学ぶ大切さ
3つ目の条の紹介です。
●人生には、貴賤あり。貧富あり。亦各その苦楽あり。
必ずしも富貴は楽しくして、貴賤は苦しと謂わず、
蓋(けだ)しその苦処より之を言わば、
何れか楽しからざる莫(な)からむ。
言葉の意味は、次のとおりです。
人の世には、身分や貧富の差がある。
そして、その中に苦労と楽しみがある。
だが、必ずしも金持ちや身分の高い者が楽しいわけでもなく、貧乏や身分が低いからといって、苦しいわけでもないでない。
何ごとも苦しいと思えば苦しいし、楽しいと思えば楽しい。
つまり、身分や貧富の差が妬みや恨みを引き起こし、事件や戦争につながってしまうことがあります。
要は、人や生き方、国のあり方の問題です。
紹介する4条目は「学び方」を述べています。
●太上は天を師とし、その次は人を師とし、
その次は経(けい)を師とす。
最も優れた人は天を師とし、次に優れた人は聖人を師とし、その次に優れた人は、書物を師とする。という意味です。
分かりやすい言葉ですね。
「天」とは、宇宙や自然のことを表しています。
人類は今、自然の法則に反した行いに懸命です。
師をないがしろにしてはいけませんね。
最後に紹介するのは、最も有名な条です。
●少にして学べば、則(すなわ)ち壮にして為すこと有り。
壮にして学べば、則ち老いて衰えず。
老いて学べば、則ち死して朽ちず。
意味は、少年のときに学んでおけば、壮年になってから役に立ち、何ごとかを為すことが出来る。
壮年のときに学んでおけば、老年になっても気力が衰えることはない。老年になっても学んでおけば、ますます見識も高くなり、社会に役立つことになり、死んでからもその名は残る、ということです。
生涯学ぶことの大切さを述べています。
以上、言志四録からの言葉でした。
20条くらいは紹介しようと思いましたが、とても紙幅が足りません。
時間があれば、あなたもこの書物を読んでみてください。
経営の参考にもなることでしょう。
■今日のツボ■
・佐藤一斎の「言志四録」は、人のあり方を示した書物である。
・欲の無い人間はいない。その欲を善いことに使って、社会に役立てることだ。
・身分や貧富の差も、苦しいと思えば苦しいし、楽しいと思えば楽しい。
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MAG2 NEWS...
記事のポイント
欧米圏ではすっかり定番となっている、リテーラー各社のクリスマス広告。ジョンルイスに限らず、多数のブランドが個性的かつ多様なアプローチで競合している。
ブランドはデジタルコンテンツやソーシャルメディアキャンペーンを通じて、異なるプラットフォームで消費者との接触を試みており、かつてのクリスマス広告のようにテレビ広告への全振りは少なくなっている。
クリスマス広告の公開は単なるイベントではなく、ビルドアップ型の戦略へと変化しており、キャンペーンは早期から開始され、消費者の関心を長期的に引きつけるよう工夫されている。
愛らしい子ども。美しい映像。おなじみのサウンドトラック。すべてそろっているのに、クリスマスツリーがない? その代わりが「スナッパー」という名のハエトリソウ? 国民が期待するクリスマスとはちょっと違う展開だ。しかしそれが、英百貨店チェーンのジョンルイス(John Lewis)が制作した今年のクリスマス広告なのだ。
とはいえ、広告の冒頭は十分にクリスマスっぽい。男の子が植木鉢に種を植え、クリスマスツリーの成長を心待ちにする。ところが、物語は古典的なモミの木から大きくはずれ、どちらかといえば「リトルショップオブホラーズ」の様相を見せはじめる。クリスマスツリーだと思って育てていた植物は、虫を捕食するハエトリソウだったのだ。最終的に、物語は晴れやかな祝祭気
...more分で幕を閉じる。
しかし、この意外な展開は多くの人に首をかしげさせた。忘れがたい作品を作りたいという意図は分かるが、ジョンルイスの場合、それはどうやら裏目に出たようだ。
https://youtu.be/5y0fGsQU5zg?si=QZtB_p_PwqvdtDTd
共感を呼ぶ広告とは何か
クリスマス広告のシーズンはジョンルイスに始まりジョンルイスに終わるものではもはやない。彼らの広告はいまや多数のなかのひとつにすぎず、その多数はかつてないほど多様で個性的だ。
誰もがジョンルイスをまねて、いかにもクリスマスっぽいセンチメンタルな広告を作る時代は過去のものかもしれない。そして実のところ、それは衝撃でも何でもない。ジョンルイスが初めてクリスマス広告を出した2007年以来、世界は大きく変容した。そこにあるのはかつてないほどの亀裂と分断である。その結果、万人の心に響くものを作ることは、昔よりはるかに難しくなった。
今日、クリスマスシーズンの広告スペースは30社を超えるブランドがひしめき合い、クリスマスのあるべき姿について、それぞれ独自の視点で広告を展開している。そしてそれはテレビ広告に限った話ではない。各キャンペーンと紐付いたキャラクター商品なども、買い物客を店内体験に誘導するという重要な役割を担う。たとえば今年の場合、独ディスカウントチェーンのアルディ(Aldi)では「ケヴィン・ザ・キャロット」が、マークス&スペンサー(Marks & Spencer)の食品広告では「クリスマスの妖精」が、そしてジョンルイスではハエトリソウの「スナッパー」がこの役割を務めている。
メディアエコロジストで「ザ・マイヤーズ・リポート(The Myers Report)」の会長を務め、メディアヴィレッジ(MediaVillage.org)の創設者でもあるジャック・マイヤーズ氏はこう話す。「クリスマスCMに対する期待感やわくわく感は健在だが、以前ほど顕著ではないかもしれない。その背景には、クリスマス広告の開始時期が前倒し傾向にあることや、デジタルコンテンツの飽和状態などがある。それでも、巧く作られた、ノスタルジックで心温まる広告のなかには、いまも変わらず国民的な高揚感を沸き立たせるものがある」。
クリスマス広告はどこかぎこちない思春期を迎えているようだ。試行錯誤を繰り返し、加速度的に進化する環境で、自らのアイデンティティを見つけようと煩悶する。マーケターたちは既存の境界線を押し広げながら、クリスマスの伝統そのものと同じくらい多様なオーディエンスがいる世界で、共感を呼ぶ広告とは何かを模索している。創造性が支配し、予測不可能が当たり前の時代の到来だ。
「かつてはテレビ広告にすべてをつぎ込むのが定石だった」と、デジタル資産管理(DAM)を支援するビンダー(Bynder)でグローバルブランドとコミュニケーションの責任者を務めるスティーヴ・ヴァイノール氏は話す。「今はそうではなく、プラットフォームを構築し、メッセージを構築し、それを軸にソーシャルキャンペーンを構築しなければならない。アクティベーションも必要だし、そこには商品化などのチャンスもある」。
たった1本のCMに、すべての予算と労力をかけない
ブランド間の首位争いも加熱している。今一番人気の有名人をカメオ出演させたり、AI生成の広告といった新機軸に挑むなど、どのブランドもクリスマス広告の制作に全力を傾けている。それは熾烈な競争だ。ときにいつものコースから外れることもある。もしかしたら、テレビ広告のキラーコンテンツを作ることに集中しすぎたのかもしれない。マーケターたちはますます多くの視聴者が集まるデジタルをすっかり失念したようだ。[続きを読む]
The post 「クリスマスっぽい」 クリスマス広告 はもはや時代遅れ? デジタルがクリスマスをどう変えたのか appeared first on DIGIDAY[日本版]....