「作曲家」とは?

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【ビルボード 2025年 年間Top Composers】大森元貴が史上初となる3年連続首位獲得 2年連続で5冠達成(コメントあり) - 12月05日(金)04:00  Billboard JAPAN

 2025年の年間Billboard JAPAN作曲家チャート“Top Composers”にて、大森元貴が3年連続と…
カテゴリー:エンタメ

岩垂徳行氏,おかんPこと藤田晴美氏など著名な作曲家22人にインタビューする書籍が2025年12月に発売 - 12月02日(火)14:40  4Gamer.net

 グラフィック社は,書籍「名曲の生まれた舞台裏ゲーム音楽で世界を拡げる人たち」を、2025年12月に発売する。本書は,レトロゲーム時代から現代まで活躍する,ゲームミュージックの歴史に残る作曲家22人のインタビュー集だ。
カテゴリー:ゲーム

浜口庫之助が選んだ人生への思いが込められていた石原裕次郎の「粋な別れ」 - 12月02日(火)07:35  TAP the POP

1987年に52歳の若さで亡くなった石原裕次郎について、ソングライターの浜口庫之助は著書『ハマクラの音楽いろいろ』のなかでこのように述べている。 人間の一生には、花の部分と、実の部分と、幹と根とがあるように思う。子どもは、みんな種で、どんぐりだ。学生時代は小さな木だ。この辺から花をチラチラ咲かせる連中が出てくる。裕次郎は、そのころに花を咲かせ、そのあとずうっと花として生きて、一生を終わったのだ。 1966年の年末に「星のフラメンコ」と「バラが咲いた」で第8回日本レコード大賞で作曲賞を受賞した直後、浜口は40歳になったと同時に”花”の時代を自ら終わりにしていた。どうしてなのかはわからないが、「お前はもう花の時代ではない」という声が心の中から聞こえてきたのだという。 ちょうどその頃、浜口は裕次郎に頼まれてリサイタルのために2曲を書き下ろした。それが「粋な別れ」と「夜霧よ今夜も有難う」である。 楽曲が完成したとき、裕次郎はテイチクの新橋スタジオに取材記者を呼んで、浜口にその2曲を歌ってもらうことにした。そのときの様子を思い出して、浜口は著書にこう記していた。 ピアノでこの曲を聞かせたときは、彼は目に涙をためていた。裕次郎君は感激する人である。そしてその感激を人に伝えることの出来る人であった。僕も自分で作った作品を歌っていて、涙が出ることがある。感激がないとい作品は生まれ...more
カテゴリー:エンタメ

渡辺翔の楽曲縛りのイベント開催!出演者第1弾に井口裕香、内田真礼、TrySailら - 12月01日(月)21:00  ナタリー

作詞家、作曲家の渡辺翔の音楽家活動20周年を記念して、ライブイベント「Sho Watanabe 20th Anniversary Fes.2026 supported by リスアニ!」が4月19日に東京・豊洲PITで開催される。
カテゴリー:エンタメ

ライアン・ゴズリング主演『Star Wars: Starfighter』では、ジョン・ウィリアムズ楽曲のリミックスは使用されない見込み - 11月29日(土)12:00  IGN Japan

数々の受賞歴のある作曲家が音楽を担当 『Star Wars: Starfighter(原題)』のショーン・レヴィ監督が、同作の音楽を担当する作曲家を明かし、「スター・ウォーズ」シリーズのためにジョン・ウィリアムズが作曲した名曲の数々を「リミックス」することは避けると語った。
カテゴリー:ゲーム

森口博子が涙「会いたくなりますね」恩師の作曲家のVTRに「素敵な言葉をいただいた」 - 12月04日(木)15:41  日刊スポーツ芸能

歌手の森口博子(57)が、4日放送のテレビ朝日系「徹子の部屋」(月~金曜午後1時)に出演。2017年に肺炎のため79歳で亡くなった恩師、作曲家の平尾昌晃さんとの思い出を語り、涙を見せた。 森口はデビュー前、のど自慢番組をきっかけに平尾さ…
カテゴリー:エンタメ

「愛のさざなみ」は、なぜロス・レコーディングされたか?~名ドラマー、ハル・ブレイン起用で島倉千代子をよみがえらせた浜口庫之助 - 12月02日(火)07:45  TAP the POP

オールマイティの才能 ステージに立ち、曲を作り、そして歌詞を書いた。遊び心にとんだ明るい人柄からハマクラさんの愛称で親しまれ、ヒット・メイカーとして数々の伝説を残した浜口庫之助(1917~1990)。 生まれは神戸。父親は貿易商だった。著書によれば、洋館の家にはガス燈がともり、裏庭にはテニスコートがあった。両親はクリスチャンで、日曜日には教会に行き、姉のピアノで讃美歌を唄った。音楽好きでハイカラな一家に育ち、5歳にして譜面が読めた。 小学校2年の時に一家で上京。旧制一高を目指すが、受験に失敗、親に内緒で音楽の道に走る。1936年、初めて就いた仕事は、新宿のダンスホールのバンド・ボーイ。煙草の使い走りもいとわなかった。 流行り始めていたラテンに影響を受け、ラテン・バンド「浜口庫之助とアフロクバーナ」を結成。マラカスを振りながら自らステージに立つ。 初舞台は「NHK紅白歌合戦」。それも1953年から3回連続出演を数えた。「国境の南」「セントルイス・ブルース・マンボ」「インディアン・ラブコール」。すべて英語でリード・ヴォーカルをとった。 ヒット・メイカーへの道 歌手としてようやく暮らしも立ち始めた頃、「英語の歌ばかり歌ってきた自分に空しさを覚えて」一念発起。作詞・作曲家を志して転身をはかる。 「ヒット曲には時代背景がある。ヒット曲は音楽が縦糸、時代感覚は横糸になって...more
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浜口庫之助がジャズ・シンガーの後輩だった植木等に書いた「花と小父さん」 - 12月02日(火)05:00  TAP the POP

1960年代なかばに流行し始めたフォークソング調の歌謡曲「涙くんさよなら」や「バラが咲いた」を作ったのは、かつてはジャズ・シンガーとして人気があった浜口庫之助である。 浜口は1958年に作曲家に転向した翌年に「黄色いさくらんぼ」が大ヒットし、そこからは日本の音楽史に残る名曲を数多く世に出している。 ある日、朝起きて気分が良くて庭を眺めていると、緑の中に赤いバラが一輪だけ、ふわっと咲いてるのが見えた。「あっ、バラが咲いたな」と思って、そばにあったギターで「バーラが咲いた」と口ずさむと、そのまま歌になってしまったという。 大学生だったマイク真木が歌って大ヒットした「バラが咲いた」は、1966年の日本レコード大賞作曲賞に選ばれた。 その翌年、ジャズ・シンガーの後輩にあたる植木等の楽曲を頼まれたとき、浜口は「笑えピエロ」と「花と小父さん」を提供している。 1961年に大ヒットした「スーダラ節」以降、植木等は映画の『無責任男』シリーズが大当たりして爆発的な人気を誇っていた。 さらには1963年の秋から始まったナンセンスな洋傘のCM、”なんであるアイデアル”がウケて子供にも真似されるなど、当時は国民的スタ-ともいえる存在だった。 しかし、破壊的でナンセンスなギャグや、コミカルなクレージー・ソングによって、本来は真面目人間の典型だったにもかかわらず、本人とはかけ離れたキャラク...more
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追悼・岡本おさみ① 詩集『ビートルズが教えてくれた』から生まれた森進一の「襟裳岬」 - 11月30日(日)07:30  TAP the POP

ビクターレコードの創立50周年を記念する企画で、フォークソング・ブームを巻き起こしていたシンガー・ソングライターの吉田拓郎と作詞家の岡本おさみのコンビよって、若くして演歌のスターになった森進一に、書き下ろしの新曲を作るという案が通った。 アイデアを提出したディレクターの高橋隆は、入社してからまもない新人でキャリアはないに等しかったが、企画者として制作を担当することになった。 高橋が企画をのもとをするために岡本おさみ訪ねると、「今あるもので良ければ」と発売前の詩集『ビートルズが教えてくれた』のゲラ刷りを見せてくれた。その本の170ページに載っていた「焚火Ⅰ」という詩が、高橋の目に止まった。 何についての詩なのかを岡本に尋ねると、北海道で昆布採りの女の人の姿を見て書いたものだという。 北の街では もう  悲しみを 暖炉で  燃やしはじめているらしい 理由のわからないことで  悩んでいるうちに  老いぼれてしまうから 黙りとおした歳月を  ひろい集めて 暖めあおう 君は二杯目だね  コーヒーカップに 角砂糖ひとつ 捨ててきてしまった わずらわしさを  くるくるかきまわして 通りすぎた夏の匂い  想い出して 恥ずかしいね 岡本はその頃、吐き出したいことをひとつの詩にするのではなく、いくつかの詩に分けて書き続けていた。そして書きたいことを出し切ったら、また別のことに取り掛か...more
カテゴリー:エンタメ

『ルビーの指環』『ロンバケ』の大ヒットが日本の音楽を変えた。編曲家・井上鑑が語る、歌謡曲やシティポップの「サウンド」が“飾り”じゃないと証明された時代 - 11月29日(土)10:00  まぐまぐニュース

1980年代の初め頃、一般的な日本の家庭ではテレビで音楽番組を見るのが当たり前でした。たとえば『ザ・ベストテン』『ザ・トップテン』『夜のヒットスタジオ』など、最新のヒット曲がかかるのを楽しみに見ていた記憶が蘇ります。そんな音楽番組で81年に、何度もオンエアされていた一つの楽曲がありました。あの頃、お茶の間には「♪くもりガラスの向こうは〜」という低音が響いていたのを覚えているでしょうか。俳優としても活躍している寺尾聰の大ヒット曲『ルビーの指環』(作詞:松本隆、作曲:寺尾聰)です。 この曲のアレンジ(編曲)を担当していたのが、アレンジャーの井上鑑(あきら)さん。井上さんは当時、100万枚を超える大ヒットアルバムとして知られる、今でも色褪せぬ名盤、大滝詠一『ロング・バケイション』(1981)のアレンジも手がけていました。 この2人のアーティストの大ヒットによって一躍その名が知られるようになった井上さんは、どのような経緯で人気アレンジャーとなり、そして今どのような活動をしているのでしょうか? 日本の70-80年代に生まれたシティポップが世界的な評価を受けている現在、その影の立役者ともいうべき井上さんに、学生時代からプロへ、そして2023年に発売されたソロアルバム『RHAPSODIZE』まで、アレンジャー・井上鑑の半生を振り返っていただきました。【聞き手・都鳥流星(音楽ライター)】 ...more
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