アイドルグループ「#よーよーよー」由良ゆらが5月24日、自身のTwitterを更新し「眩しい顔」ショットを披露した。
11人組男性グループJO1が25日、都内で行ったセカンドアルバム「KIZUNA」発売記念イベントで、初のアリーナツアーを9月に開催することをサプライズ発表した。愛知、大阪、神奈川、福岡の4都市をめぐる。 イベント終盤に映像が流れ、告知さ…
グローバルボーイズグループ・JO1が、デビュー後初となるアリーナツアー「2022 JO1 1ST ARENA LIVE TOUR ‘KIZUNA’」を今年9月に開催することが決定した。9月3日の愛知公演を皮切りに、大阪、神奈川、福岡の全国4都市で開催する。
音楽には計り知れない力がありますが、まさにそれを体現している一曲として代々受け継がれているのは、千葉県船橋市立船橋高校の「市船soul」。演奏されると得点を呼ぶ野球部の“神応援曲”として、注目を集めています。そんな名曲の裏側に隠されたある青年の実話を描いたのが、まもなく公開を迎える『20 歳のソウル』。そこで、こちらの方にお話をうかがってきました。神尾楓珠さん【映画、ときどき私】 vol. 486「市船soul」の生みの親である浅野大義さんを演じているのは、話題作での主演が立て続き、目覚ましい活躍を見せている神尾さん。劇中では、青春時代のきらめきと若くして病に倒れた苦しみや葛藤を見事に演じ切っています。今回は、共演者との印象的なエピソードや自身の高校時代の思い出、そして家族との意外な関係について語っていただきました。―最初に脚本を読まれたときは、どのような印象を受けましたか?神尾さん とにかく青春を感じましたし、読み終わったあとにすごく前向きな気持ちになれるストーリーだなと思いました。あとは、自分と年代が近いことと、舞台である船橋に親戚がいるので、身近というか、他人事とは思えないような感覚にもなりました。―実在の人物ということで、役作りで意識されたこともあったのでは?神尾さん かなりプレッシャーはありましたが、僕自身の感性だけではなく、周りの方々から見た浅野大義像を大切にしたかった
...moreので、そこがぶれないように監督や原作と脚本を手掛けた中井由梨子さんとも話し合いました。驚いたのは、天才タイプだと思っていた大義くんが、実はものすごく努力をしている人だったこと。そして、人を想う気持ちからこの曲が作られていたのもすごいなと思いました。ピアノのシーンは失敗できないプレッシャーがあった―今回は、演技だけでなく、楽器やダンスなどの練習も大変だったと思います。神尾さん そうですね。トロンボーンも苦労しましたが、ピアノは指が全然動かなくて難しかったです。しかも、トロンボーンほど練習時間が取れなかったので、基本的には家に帰ってから自分で練習しました。なかでも大変だったのは、お母さん役の尾野真千子さんが僕のピアノを聴いて涙を流すシーンをワンカットで撮りたいと言われたとき。無理だろうなと思っていましたが、絶対に失敗できないプレッシャーがありました。でも、奇跡的にワンテイクでうまくいってよかったです。―本番に強いんですね。ご自身の学生時代において、人に誇れるほどがんばったことなどはありますか?神尾さん いや、特にないですね。あの当時は何も考えていませんでしたから(笑)。とにかくサッカーが好きだったというのはありましたが、サッカーも挫折して高校1年でやめてしまったので。―ちなみに、サッカーを始めたきっかけは?神尾さん 親から「サッカーと野球どっちがいい?」と聞かれたとき、実は「野球がいい」って答えていたんですよ。ただ、近くにサッカーチームしか見当たらなかったみたいで、「サッカーにして」と言われて始めました(笑)。―それは意外な出会いですね。でも、始めてみたらおもしろくてハマったと。神尾さん そうですね。練習はきつかったですけど、同じチームの友達が楽しそうにしているのを見て、それに負けたくないと思っていたら、どんどん楽しくなっていった感じです。この作品では、学ぶところがたくさんあった―今回は、同年代の方が多い現場でしたが、役と同じようなチームワークもすぐにできましたか?神尾さん (前田)航基と(若林)時英は前にも共演をしていますし、特に時英とはプライベートでも遊ぶくらい仲がいいので、最初から劇中のような空気感は作れました。2人はアドリブを入れたりするタイプなので、刺激をもらう部分も多かったです。あと、(佐野)晶哉は少し年下なので、初めは気を遣っていましたが、すぐに話しかけてくれたおかげで輪ができたので、そのままの感じを現場でも出すことができました。―いっぽうで、先生役を演じた佐藤浩市さんや尾野真千子さんといった大先輩から学んだこともあったのでは?神尾さん 自分とは全然かけ離れている方々なので、何かを盗みたいという気持ちになりました。撮影前に驚いたのは、音楽準備室に置いてあるものすべての配置を確認しながらそこで何ができるかを考えている佐藤さんの姿を見たとき。そこまで計算されているのかとびっくりしてしまいました。尾野さんは気さくな方で、いつも現場を明るくしてくださるんですが、本番になると一瞬で変わって、一気に感情が出てくるので、一体どういう仕組みなんだろうかと思ったほど。本当にすごかったので、この作品ではみなさんから学ぶところがたくさんありました。―劇中では、「まさに青春!」といったシーンが満載でしたが、ご自身にとって青春の思い出といえば?神尾さん 僕は文化祭とか、イベントが好きだったので、そのときのことはよく思い出しますね。時代的にお化け屋敷はダメと言われたので、“お化け屋敷っぽいもの”をしました(笑)。―どんな高校生だったのでしょうか? 神尾さん 一応、中心のグループにはいましたが、そのなかでも目立っていたかというとそうでもないですね。どちらかというと、みんながやりたがらないような地味な作業をしていたほうなので(笑)。でも、学生時代にやり残したことも後悔もないので、本当に楽しかったです。学生時代に思い描いていた未来といまの自分は全然違う―そのときからすでに俳優一筋で考えていたのか、それともほかにやりたいこともありましたか?神尾さん 中学生くらいまではサッカー選手になりたいと言っていましたが、無理だと気がついたので、普通に働いて、週末は家族で遊びに行くような“普通の暮らし”ができればいいなと思っていました。なので、自分でも「何でこの仕事始めたのかな?」と思っているくらいで(笑)。思い描いていたのとは全然違いますね。―とはいえ、俳優になったのは、ご自分で事務所に応募されたことがきっかけですよね?神尾さん あのときは、ちょっと何かやってみようかなと思っていただけで、正直に言うと、最初はここまで続けるつもりもなかったんです。有名になりたいとかもなかったですし、オーディションでもどうせ落ちるだろうと思っていましたから。なので、気がついたら7年もやっていたという感じです。もちろん、楽しいからというのもありますが、僕は面倒くさがりなので、新しいことを始めるほうが大変というのもあるかもしれないです……。―でも、ここまで続けられたということは、天職だったのでは?神尾さん いや、自分では全然向いていないと思っています。そもそも人前に立つのは得意ではないですし、目立つのも好きではないので。だから、いまだに親からは「よくこの仕事できてるね」と言われているくらいですよ。これからも無理せず、自分らしくやっていきたい―以前、「おじいちゃんを喜ばせるためにもこの仕事をしている」とお話されていたことがありましたが、家族が大きな支えとなっているのでしょうか。神尾さん それはありますね。特に、親戚は僕がこの仕事をしていなかったら、みんな僕には興味がないですから(笑)。もはや家族から興味を持ってもらうためのツールみたいになっています。―(笑)。それほど家族からは反響が大きかったと。神尾さん 対応はかなり変わりましたね。その前はまったく興味を持たれていなかったので、いまは「サイン書いて」とか言われるだけでもうれしいです。―現在は23歳ですが、劇中の大義さんと同じように20歳を迎えたときは大人になる決意とかもありましたか?神尾さん 20歳になりたてのころは、「もう自分も大人だからしっかりしなきゃ!」みたいな意識はすごくありました。そこから1年くらいはそう考えていましたが、意外とすぐにその気持ちも消えてしまって……。いまは、まったく思っていません。―ある意味、潔いですね(笑)。今後の目標や理想像は?神尾さん あまり無理はしたくないので、自分に合う環境やペースに合わせて長く続けていけたらいいかなと。とにかく、自分らしくやっていきたいと思っています。最後まで生き切る強さを感じてほしい―そのほかに、プライベートでもしたいことはありますか? 以前は、バンジージャンプを経験したから次はスカイダイビングをしたいとおっしゃっていましたが。神尾さん まだできていないので、いまでもスカイダイビングはやってみたいです。―ということは、アウトドア派なんですね。神尾さん いえ、インドア派です(笑)。休みの日は家でずっと寝っ転がって、アニメとかYouTubeを見ているくらいなので。―とはいえ、インドア派の方にスカイダイビングはかなりハードルが高いようにも思うのですが...