脳細胞を自由自在に誘導できるとしたら、脳科学や医療の可能性は広がります。
そんな革新的な技術を現実のものにしようとしているのが、イタリアのピサ大学(University of Pisa)と京都大学の国際共同研究チームです。
彼らは、磁力を使って神経細胞の突起を「引っ張る」ことで、失われた神経回路を人工的に再構築する新技術「ナノプーリング(nano-pulling)」を開発したのです。
この研究成果は、2025年5月11日付で科学誌『Advanced Science』に掲載されました。
目次
磁力を使って「軸索の成長を誘導する」ことに成功
磁石で脳細胞を誘導し、失われた神経回路を再構築する新技法を開発
手足が震えるパーキンソン病 / Credit:Canva
パーキンソン病は、世界で急速に患者数が増加している神経変性疾患のひとつです。
ドパミンという神経伝達物質を分泌する神経細胞が、脳の「黒質(こくしつ)」という領域で徐々に失われていくことで発症します。
ドパミン神経細胞は、長い軸索(神経細胞が他の細胞に信号を伝えるために伸ばす細長い突起)を伸ばして「線条体(せんじょうたい)」という別の脳領域に情報を届け、運動機能をコントロールしています。
この重要な神経回路が「黒質線条体系路(ニグロストリアタル経路)」です。
しかし、パーキンソン病ではこの経路が壊れることで、ドパミンが供給さ
...moreれず、手足の震えや動作の緩慢さなどの症状が現れます。
既存の治療法は、こうした症状を一時的に緩和するものであり、根本的な回復には至りません。
この問題に対し、近年注目されているのがiPS細胞を用いた再生医療です。
iPS細胞から作られたドパミン神経前駆細胞を脳に移植することで、失われた神経細胞を補おうとする試みが進められているのです。
神経細胞の図。パーキンソン病を治療するには、軸索(Axon)を線条体の方向に正しく成長させなければいけない / Credit:Wikipedia Commons
しかし大きな課題が残っていました。
それは「移植した神経細胞の軸索が、目的地である線条体まで十分に伸びない」ということです。
成人の脳では、軸索の成長を誘導する仕組みが乏しく、細胞を移植しても神経回路を再構築できないのです。
こうした状況を打開するべく研究チームが開発したのが「ナノプーリング」という新技術です。
この方法では、まず磁性ナノ粒子を、移植する神経細胞にあらかじめ取り込ませておきます。
そして外部から弱い磁場を与えることで、細胞の中に取り込まれた粒子に微弱な力(ピコニュートンレベル)を発生させます。
この極めて小さな力が、軸索を磁場の方向に“引っ張る”働きを生み出し、神経突起が目的地へ向かって成長するように誘導できるのです。
そして実験では、中脳黒質と線条体を含む脳の一部を共培養し、初期のパーキンソン病を模倣したモデルを構築。
そこにヒト神経上皮幹細胞(磁性ナノ粒子を取り込んだもの)を移植し、ナノプーリングを実施しました。
磁力を使って「軸索の成長を誘導する」ことに成功
この実験で得られた結果は、再生医療にとって画期的なものでした。
まず、ナノプーリングを適用した細胞では、軸索の伸長が明らかに促進されており、その成長方向も磁場の方向に沿っていることが確認されました。
まるで“見えない手”に導かれるかのように、神経突起が正しい方向に向かって伸びていったのです。
磁力で軸索を誘導することに成功 / Credit:Sara De Vincentiis(University of Pisa)et al., Advanced Science(2025)
さらに、神経突起がただ伸びただけでなく、「軸索の分岐の増加」「神経伝達物質が入っているシナプス小胞の形成促進」「細胞骨格を構成する微小管の安定化」など、神経細胞としての機能的な成熟も促進されていました。
また、今回の研究では、ヒトiPS細胞から作成したドパミン神経前駆細胞を用いても同様の結果が得られており、ナノプーリング技術が実際の臨床応用に近い細胞系でも有効であることが実証されました。
そして安全性の面でも注目すべき成果があります。
磁性ナノ粒子と磁場は、MRIなどの医療機器で既に使用されている技術であり、臨床的な安全性が高いと考えられています。
今回の実験でも、長期間にわたる磁場の刺激が、移植細胞の生存率や周辺組織に悪影響を与えることはありませんでした。
今後の研究では、ナノプーリング技術の実用化に向けて、生きた動物個体の中で長期間にわたる効果や安全性を評価することが重要になってきます。
さらにナノプーリング技術は、中枢神経系の他の損傷・疾患にも応用できる可能性があり、その展開が期待されています。
「神経細胞の成長を磁場でコントロールする」
この画期的な技術は、失われた機能を回復させる新たな希望として、未来の医学に革新をもたらすことでしょう。
全ての画像を見る参考文献磁石で脳細胞を誘導し失われた神経回路を再構築するhttps://www.cira.kyoto-u.ac.jp/j/pressrelease/news/250707-130000.html元論文Mechanical Forces Guide Axon Growth through the Nigrostriatal Pathway in an Organotypic Modelhttps://doi.org/10.1002/advs.202500400ライター矢黒尚人: ロボットやドローンといった未来技術に強い関心あり。材料工学の観点から新しい可能性を探ることが好きです。趣味は筋トレで、日々のトレーニングを通じて心身のバランスを整えています。編集者ナゾロジー 編集部...
アメリカのインディアナ大学医学部(IUSM)で行われた研究によって、薬物に手を伸ばす子どもの脳は、薬物を使い始める前からある種の特殊性を備えていることが示されました。
研究では脳の詳細な比較が行われており、衝動を抑える役割を持つ前頭前野の一部が薄くなっている一方、好奇心や刺激を求める傾向に関わる脳領域の体積が大きいという「ブレーキが弱く、アクセルが強い」という特徴が明らかになりました。
本研究は「薬物摂取➔脳が変わる」という従来の常識とは逆の「脳が変っている➔薬物摂取をしやすい」という逆因果を示す初めての大規模研究になります。
研究内容の詳細は『JAMA Network Open』にて発表されました。
目次
なぜ薬物に手を出すのか? 従来の常識を覆す新視点とは薬物に手を伸ばす子ども、脳に共通する「意外な特徴」薬物リスクは才能の裏返しになり得る
なぜ薬物に手を出すのか? 従来の常識を覆す新視点とは
なぜ薬物に手を出すのか? 従来の常識を覆す新視点とは / Credit:Canva
子どもや思春期の若者が薬物に手を出すと聞くと、私たちはつい「何がその子を薬物に走らせたのか?」と考えてしまいます。
多くの人がまず思い浮かべるのは、家庭環境や交友関係、本人の意志の弱さなどでしょう。
また、「薬物を使ったせいで脳がダメージを受ける」というイメージもよく持たれています。
実際、これまでの
...more科学的な研究でも、特に若い頃から薬物を使用すると依存症になりやすいということが統計的にもはっきり示されています。
10代の早い段階からアルコールや大麻を使い始めた人ほど、より深刻な薬物に進みやすく、「ゲートウェイ効果」と呼ばれる問題が生じやすいこともよく知られています。
しかし近年になって科学者たちは、こうした常識を覆すような新しい視点を提示し始めました。
それは、「薬物が脳を壊すから依存症になる」という従来の理解とは逆に、「薬物を使い始める前から、すでに脳構造に違いがある可能性がある」という考え方です。
つまり、薬物に手を出しやすいかどうかを決めるのは、環境や個人の意志だけではなく、生まれ持った脳の個性、あるいは成長過程で生じた脳構造の微妙な差異が関わっているかもしれない、ということです。
例えば、家族にアルコール依存症の人がいる子どもは、本人がまだ一度も薬物を使ったことがなくても、脳の前頭前野という部分が平均より薄い傾向があるという研究結果が出ています。
前頭前野は感情や行動をコントロールする「脳の司令塔」であり、ここが薄いことは、自分の衝動を抑える力が弱まることと関連していると考えられています。
さらに興味深いのは、こうした脳構造の特徴が双子や兄弟の研究でも確認されている点です。
双子の片方が大量にお酒を飲む場合、その兄弟も脳の特定の部分が小さくなる傾向があり、これらが生まれつきか、早い時期から存在する可能性が示唆されているのです。
こうした状況を踏まえて研究者たちは疑問を持ちました。
「薬物を使った結果、脳が変化して依存症になる」というこれまでのストーリーは本当に正しいのだろうか?
もしかすると、薬物に手を伸ばすずっと前から、脳の方に「薬物使用を引き寄せやすい構造的な違い」が存在しているのではないか?
もしそれが事実なら、薬物依存を防ぐための対策は、単に薬物を遠ざけるだけでなく、その前段階で子どもの脳の個性を理解してサポートする必要があるかもしれません。
今回取り上げるアメリカでの研究は、まさにこうした疑問に真正面から答えるために実施されました。
薬物を使用する前の子どもたちの脳を調べることで、薬物を使い始めるリスクがある子どもには、そもそも脳構造にどんな特徴があるのかを大規模に分析したのです。
本当に薬物を使用する子供たちの脳は使用する前から特別だったのでしょうか?
薬物に手を伸ばす子ども、脳に共通する「意外な特徴」
薬物に手を伸ばす子ども、脳に共通する「意外な特徴」 / Credit:Canva
薬物を使う子供の脳は最初から特別だったのか?
この問いの答えを得るため研究者たちはまず子どもたちの脳を詳しく観察することにしました。
そこで活用されたのが、アメリカで進行している史上最大規模の脳研究プロジェクトである「青年期脳認知発達(ABCD)スタディ」です。
このプロジェクトでは全米の22拠点で、9〜11歳の子ども約1万人の脳を詳しくMRIでスキャンし、その後何年にもわたって追跡調査を行っています。
研究チームはまず、スタディ開始時に集められた9,804人の子どもの脳のMRI画像を分析し、脳のさまざまな部位の体積や皮質の厚さ、表面積などの特徴を記録しました。
この段階ではほとんどの子どもがまだ薬物を使用した経験がありませんでした。
次に研究者たちは、これらの子どもたちがその後の3年間でどのくらい薬物を使い始めたかを継続的に追跡しました。
具体的には、アルコールやタバコ、大麻を使った経験があるかどうかを毎年の面接や半年ごとの電話調査を通じて聞き取り、最終的に約35%の子どもたちが15歳までに薬物を使用したことがわかりました。
研究者はここで重要な比較を行います。
「薬物を使い始めた子ども」と「一度も使っていない子ども」とをグループに分け、薬物を使う前の脳構造にどのような違いがあったのかを慎重に比較したのです。
すると驚くべき結果が明らかになりました。
薬物を使い始めた子どもたちは、全体的に前頭前野と呼ばれる脳の前側の皮質が比較的薄い傾向がありました。
前頭前野は物事を冷静に判断したり、自分の行動や感情をコントロールしたりする、いわば「脳のブレーキ」のような役割を果たす部位です。
ここが薄いということは、自分の衝動をコントロールするのがやや苦手で、リスクのある行動を抑えにくいことを意味する可能性があります。
一方で、感覚や好奇心、報酬を感じやすい部位は平均より厚く、脳全体の体積や表面積もやや大きめである傾向がありました。
こうした脳構造は、知的な能力や好奇心を高める一方で、刺激を求める気持ちやリスクに対する反応が過剰になりやすい可能性もあることを示唆しています。
さらに深く観察すると、脳の内部にある「淡蒼球」という部分の体積も大きめであることがわかりました。
この淡蒼球は感情や行動の制御に重要な役割を果たし、この部分が大きいと衝動的な行動を抑えることが難しくなる可能性があります。
また、記憶に関連する「海馬」と呼ばれる部位の体積もやや大きい傾向が見られました。
物質ごとの違いも確認され、大麻を使用した子どもでは「尾状核」という脳の報酬系に関わる部位が比較的小さいことがわかりました。
ニコチンを使用した子どもは「上前頭回」という領域の体積が小さく、また「眼窩前頭皮質」という部分に深い溝があるという特徴が確認されました。
アルコール使用でも特定の脳領域に特徴的な差異がありましたが、全体としては、これらの物質を使用した子どもたちは前頭前野が薄く、それ以外の皮質が厚いという共通の特徴を持っていたのです。
具体的にどこが何%違うのか?
以下では薬物リスクがある子とそうでない子の脳の「どこがどれくらい違うのか」を標準偏差(SD)単位で示します。
まず、脳の大きさは、薬物使用開始群が非使用群と比べて全脳体積がSDの0.05倍大きく全皮質体積も同じく約5%大きいという差が観察されました。加えて、頭蓋内容積は0.04倍、皮質下灰白質体積も0.05倍大きく、皮質表面積は0.04倍拡大していました。これらのグローバルな増大傾向は、薬物使用前の完全未使用サブサンプルを対象にしてもほぼ同じパターンで維持されており、薬物暴露の“後付け”では説明がつかない、先天的・発達的な差異である可能性を示唆しています。
なお脳体積とIQの間には中程度の正の相関があり脳体積が5%ほど違う場合、IQは平均で約2.2ポイント高くなることが過去の研究などで報告されています。また他の研究では高IQが後年の薬物使用リスクを高めるとする興味深い報告もなされています(ただし思春期の大麻などの常用によりIQは2~8ポイント低下するとの報告もあります)。
次に、脳の局所領域を細かく見ると、意思決定や衝動抑制に関わる前頭前野の一部である右ロストラル中前頭回の皮質厚が、非使用群に比べ0.03倍薄い一方で、後頭葉の言語処理に関わる左舌状回は0.03倍厚くさらに右外側後頭回の体積は約0.04倍大きいという特徴的なパターンも見られました。これは本文でも述べたように前頭前野という“ブレーキ”領域がわずかに縮小している一方、好奇心や視覚処理と関連する領域はや...
かつて何時間でも熱中できたテレビゲームが、年を重ねるとともに「なんだか退屈だ」と感じるようになる――そんな経験はないでしょうか?
これは単なる飽きではなく、脳の報酬系の変化による可能性が指摘されています。
最近の神経科学の研究では、「無快楽症(アネドニア)」と呼ばれる、快楽を感じにくくなる症状が報酬系の変化と関連していることが示唆されています。
この現象を理解することで、年齢を重ねても新鮮な喜びを感じる方法を探ることができるかもしれません。
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無快楽症とは? 快楽を感じにくくなる脳のメカニズムどうすれば「新鮮な感動」を取り戻せるのか?
無快楽症とは? 快楽を感じにくくなる脳のメカニズム
無快楽症とは、楽しいと感じるはずの活動に対して興味を持てなくなる状態を指します。
これはうつ病や統合失調症などの精神疾患と関連が深いとされていますが、必ずしも精神疾患のみに限らず、加齢や環境要因によっても発生する可能性があると言われています。
最新の研究では、視床の室傍核(PVT)と側坐核(NAc)の間の機能的結合性が強化されることが、無快楽症の症状と関連していることが明らかになっています。
視床の室傍核(PVT)と側坐核(NAc)の位置/Credit:Wikimedia Commons
PVTは覚醒・ストレス応答・報酬処理・学習と記憶という複数の機能を統合する重要な場所です。そして側坐核
...moreとつながることで報酬や動機づけに関連するされていて、側坐核はやる気スイッチなんて表現されることもある場所です。
この2つの脳領域の結合が強くなると、報酬系の働きが変化し、新しい刺激に対する感受性が低下すると考えられています。
つまり、強化された結合性によって脳はこの経験に対して「すでに満たされている」と誤解してしまい、関連する体験に対して期待値が下がるのです。
その結果、かつて夢中になったゲームや娯楽が「新鮮ではなくなった」「退屈になった」と感じるようになるのです。
「年を取ると涙もろくなる」のと矛盾? 感情変化との関係
Credit:canva
一方で、「年を取ると涙もろくなる」という現象もよく知られています。
これは一見すると感受性が高まっているように見えるため、ゲームなどの体験に感動を覚えにくくなるという問題と矛盾しているように感じます。
ではなぜ、年齢が進むと映画や音楽に対してはより強い感動を覚えるのに、ゲームなどの娯楽には興味を失いやすくなるのでしょうか?
実際のところ研究では、加齢による涙もろさは、感受性が高まっているというポジティブな変化ではないと考えられています。
これは、単に感情の制御能力の低下である可能性が高いのです。
涙もろくなるのは、感情を司る扁桃体や前頭葉の変化によるものですが、特に前頭前野(PFC)の機能低下が影響を与えるとされています。
前頭前野は感情の抑制や意思決定を司る部分ですが、加齢によりこの機能が衰えることで、感情をコントロールする力が弱まり、結果として涙もろくなる現象が起こるのです。
そのため「加齢に伴い涙もろくなる」というのは、決して感受性が高まっているわけではなく、単に脳機能の衰えが原因と考えられるのです。
こうして年を取ると、簡単なことで涙を流して感動してしまう一方、ゲームなどの体験には脳が慣れてしまい期待が下がって退屈になるという状況を生んでしまうのです。
どうすれば「新鮮な感動」を取り戻せるのか?
繰り返される刺激に慣れてしまうの当たり前のことであり、年齢とともに報酬系が変化していくのは自然なことです。
では年を取ると、もうゲームを徹夜で楽しむというような体験は出来ないのでしょうか?
悲観的になってしまいますが、脳科学の研究では、こうした脳の変化は不可逆的というほど強固なものではないと考えられています。
そのため脳の可塑性(柔軟に適応する力)を活かせば、若い頃のような感動を取り戻すことも可能だと考えられています。
この変化に必要なことは次のようなものだとされています。
新しい体験を意識的に増やす:
未知のジャンルのゲームや新しい趣味に挑戦する。
過去にやったことのあるゲームでも、新しいプレイスタイルを試してみる。
運動を習慣化する:
軽い有酸素運動は脳の可塑性を高め、報酬系の活性化を助ける。
特にリズミカルな運動(ウォーキングやダンス)が効果的とされている。
生活リズムを整え、十分な睡眠を確保する:
睡眠不足は報酬系の働きを低下させ、快楽を感じにくくする要因となる。
規則正しい生活を送ることで、脳の健全な機能を維持する。
社会的なつながりを大切にする:
他人と共有することで、娯楽や体験がより楽しく感じられる。
マルチプレイヤーゲームや協力プレイを活用するのも一つの方法。
Credit:Generated by OpenAI’s DALL·E,ナゾロジー編集部
生活習慣も脳の活動に影響しますが、重要なのは新しい体験に意欲的になることです。
年を取るほど考え方が保守的になり、慣れ親しんだ方法以外を試すことが億劫になってしまいがちです。
「ゲームは1人で遊ぶのが当たり前」「ネット上で人と遊ぶのはなんか怖い」とマルチプレイを避けたりする人も多いかもしれません。
新しいジャンルのゲームに手を出すことが億劫で、ずっと同じタイプのゲームを遊んでしまうということもあるでしょう。
年を経るごとに「どうせやってもつまらないよ」と手を出さずに食わず嫌いしているジャンルも多いはずです。
しかし、そうした行動を取ってしまうのは、先に述べたように視床の室傍核と側坐核の結合が強化されたことで、新しい体験への期待値も下がっている影響だと考えられます。
そのため新しい体験に手が伸びず、結果的に何をやってもつまらないという感覚に陥ってしまっているのです。
年齢とともに変化する「楽しみ」の仕組みを理解しよう
年齢とともにゲームが退屈に感じるのは、単なる飽きではなく、脳の報酬系の変化による可能性があります。
既存の体験に慣れてしまって、昔のような快感を得られなくなるというのは当然の変化です。
しかし、これは必ずしも不可逆的な変化ではありません。脳はもっと柔軟に出来ており、新しい楽しみや感動を取り戻すこともできるのです。
問題は既存の体験で報酬系が満たされてしまったことで、新しい体験に対しても「どうせ楽しめない」という期待値の低下が生じていることです。
「最近ゲームがつまらなくなった」と感じる人は、新しいジャンルに手を出す、やったことのなかったマルチプレイに挑戦する、など新しい体験を取り入れたり、脳を刺激する習慣を持つことで、再び楽しみを見出すことができるかもしれません。
【若者の充実離れ】若者の退屈感がこの10年間で急増している
全ての画像を見る参考文献Neuroimaging study links anhedonia to altered brain connectivityhttps://www.psypost.org/neuroimaging-study-links-anhedonia-to-altered-brain-connectivity/元論文Anhedonia is associated with higher functional connectivity between the nucleus accumbens and paraventricular nucleus of thalamushttps://doi.org/10.1016/j.jad.2024.08.113ライター相川 葵: 工学出身のライター。歴史やSF作品と絡めた科学の話が好き。イメージしやすい科学の解説をしていくことを目指す。編集者ナゾロジー 編集部...
2025年7月4日
早稲田大学
福井大学
成人自閉スペクトラム症者と定型発達者における 身体部位の脳内表象構造が類似 ~fMRIによるASDの新たな理解~
【発表のポイント】 〇コミュニケーションに困難を抱える自閉スペクトラム症(ASD)者は、身体部位や顔の知覚が苦手とされています。 〇成人のASD者が人の身体や顔をどのように見ているのかを、外側後頭側頭皮(LOTC)という脳部位の活動から調べました。 〇表象類似度分析という解析を行ったところ、ASD者も定型発達(TD)者も同じように、身体部位を見たときの脳活動のパターンを「顔」「手足」「胴体」という3つのクラスターに分けることができました。 〇この結果は、「身体部位の見え方」に関する低次な視覚的働きが、ASD者とTD者で類似している可能性を示しています。
図 身体部位の表象構造が自閉スペクトラム症(ASD)者と定型発達(TD)者で類似
早稲田大学人間科学学術院の栗原 勇人(くりはら ゆうと)助教、大須 理英子(おおす りえこ)教授、岡本 悠子(おかもと ゆうこ)客員次席研究員らを中心とした研究グループは、福井大学の小坂 浩隆(こさか ひろたか)教授らと共同で、成人の自閉スペクトラム症(ASD)者が他者の身体をどのように認識しているのかを明らかにする研究を行い
...moreました。fMRI※1という脳の活動を可視化する技術を用いて、身体の各部位を見ているときの外側後頭側頭皮(LOTC)※2という脳領域の反応を比較しました。表象類似度分析(RSA)※3という解析を行ったところ、ASD者と定型発達(TD)者とのあいだで、顔や手足、胴体といった部位ごとの分類パターンがよく似ていることが分かりました。これはASD者が他者と関わる際に困難を感じる理由が「見え方」そのものの違いではなく、見えた情報をどのように解釈・理解するかといった、より高度な認知の過程にある可能性を示しています。
本研究成果は、「Imaging Neuroscience」に2025年6月5日にオンライン公開されました。
キーワード
自閉スペクトラム症、身体認知、外側後頭側頭皮質、表象類似度解析、fMRI
(1)これまでの研究で分かっていたこと
ASD者は、他者の顔や身体から感情や意図を読み取るのが難しいことが知られています。この困難は視覚情報の処理やコミュニケーション上の課題と関連すると考えられてきました。さらに、これまでの脳画像研究では、ASD者は「身体の部位」に反応する脳領域である外側側頭後部皮質(Extrastriate Body Area:EBA)や「顔」に反応する紡錘状顔領域(Fusiform Face Area:FFA)の活動が、TD者と比べて弱いという報告が多数あります。とくに模倣されるなど、社会的インタラクションが求められる場面では、これらの領域の活動に差があることが示されています。しかし、身体の「見え方」、すなわち視覚的に身体の部位をどのように区別しているのかについてはこれまで十分に検証されていませんでした。そのため、ASD者のコミュニケーションの難しさが視覚処理に起因するのか、それとも高次の情報処理にあるのかわかっていませんでした。
(2)新たに実現しようとしたこと、明らかになったこと、そのために新しく開発した手法
本研究では成人のASD者が他者の身体を見たときに、脳内でどのようにその情報を整理・構造化しているのかを明らかにすることを目的としました。従来の研究では、「身体の反応の強さ(活動量)」の違いに注目したものが多く、身体の各部位が脳内でどのような意味的まとまりとして扱われているかを直接比較する手法を用いたものはほとんどありませんでした。そこで、本研究ではASD者とTD者が身体の部位をどのように「カテゴリー分け」して脳内で表現しているのかを検証することを新たに試みました。
この目的を達成するため、ASD群とTD群それぞれに対して、身体の各部位(顔、手、腕、脚、胸、腰など)および椅子の画像を提示し、画像を見ている間の「外側後頭側頭皮質(LOTC)」という脳領域の活動を機能的磁気共鳴画像法(fMRI)により計測しました(図1)。
図1 外側後頭側頭皮質
計測した脳活動データに対しては、表象類似性分析(Representational Similarity Analysis:RSA)と呼ばれる多変量パターン解析手法を適用しました。RSAは異なる刺激に対する空間的な脳の反応パターン同士の「類似度」に着目することで、脳内でどの刺激同士が「近いもの」として扱われているかを明らかにするものです。つまり、この解析は単なる反応の強さを調べるのではなく、構造的な分類のされ方を検証できるという長所を持っています。本研究ではこのRSAを用いて、身体部位の表象構造をASD群とTD群で比較しました。
解析の結果、ASD群とTD群のいずれにおいても、身体の部位は左右LOTC内で「顔(=コミュニケーションに関わる部位)」「手足(=動作に関わる部位)」「胴体(=行動に関わらない部位)」の3つの意味的なグループに分けて整理されていることが分かりました。つまり、ASD者においても、身体の視覚的なカテゴリー化の仕組みはTD者と大きく変わらないことが示されました。さらに、RSAによって得られた脳内の類似性マップは、統計的に非常に高い類似度を示し、両群の構造的表現がとてもよく似ていることが裏づけられました。
図2 身体部位の表象構造がASD者とTD者で類似。右側LOTCだけでなく、左側も同様な構造を示した。
加えて、今回の研究ではRSAに加え、分類ベースのマルチボクセルパターン解析(MVPA)※4も導入しました。これは脳活動パターンから提示された身体のカテゴリーを機械学習的に分類する手法で、カテゴリー間の分類精度が高いか調べるものです。MVPAの結果もRSAと一致し、顔・手足・胴体というカテゴリーが明確に区別されていました。本研究の成果は、ASD者が他者の身体を「見て識別する」段階の脳内処理には、TD者と大きな違いがないことを明確に示しました。
(3)研究の波及効果や社会的影響
本研究では、成人のASD者において、身体の各部位を視覚的に捉えた際の表象構造がTD者と類似していることを示しました。加えて、今回の研究では、コミュニケーションや感覚過敏・鈍麻、運動の苦手さとLOTCの活動との間に有意な相関関係がみられませんでした。この結果はこれらの特性が身体の見え方以外の脳の働きの違いに起因する可能性を示唆するものです。同研究チームのこれまでの研究では、模倣される場面などにおいて、LOTCの活動が低下することが報告されており、コミュニケーションや感覚過敏・鈍麻、運動の苦手さは対人コミュニケーションに関わる高次機能に関連していると考えられます。このように、多岐にわたるASDの特徴の背景にある脳機能を解明することは、今後のASD支援方法を検討するうえで重要な手がかりとなります。
(4)課題、今後の展望
本研究は成人のASD者を対象にしているため、幼児・青少年における身体部位の表象構造については十分に分かっていません。また、サンプルサイズにも限りがあるため、幅広い特性をもつASD者の方すべてに当てはまるとは限りません。今後は幼児・青少年から成人まで年齢の幅を広げた大規模な調査や、長い期間を追いかける研究などを進めることで、成長の過程で身体の見え方や社会的困難さがどのように変化していくのかを詳しく検討していく必要があります。
(5)研究者のコメント
本研究では、成人のASD者の身体の基礎的な視覚認知がTD者とほぼ同等の構造をもつ可能性が示されました。これは、ASD者のコミュニケーションの苦手さが視覚の初期処理に起因しないことを示唆する重要な知見です。ASD者に対する適切な支援につなげることで、より包括的な社会づくりに寄与できればと考えています。
(6)用語解説
※1 機能的磁気共鳴画像法(functional Magnetic Resonance Imaging: fMRI):
脳内での血流変化を計測し、どの領域がどの程度活動しているかを画像として示す装置や技術のこと。
※2 外側後頭側頭皮質(Lat...