各科の専門医が薬局の薬剤師のために、病気と処方を教えていくシリーズ。精神科編の講師は、筑波大学附属病院 精神神経科の松崎朝樹先生です。気分障害と統合失調症を、処方例を交えて解説します。専門医ならではの治療戦略の立て方や薬のさじ加減を学ぶことで、処方箋の背景を読み解く力が身につきます。
統合失調症に対するセロトニン5-HT1A受容体パーシャルアゴニスト(5-HT1A-PA)補助療法は、注意力/処理速度の改善と関連していることが報告されている。また、5-HT1A受容体は、気分障害の病態生理においても重要…
モロッコのカサブランカ大学(University of Casablanca)で行われた研究によって、脳の深部にある「右視床」と呼ばれる部位が小さな脳卒中で損傷すると、「根拠のない嫉妬」という病的な妄想が生まれる可能性があることが明らかになりました。
この研究では、50歳の女性が突然脳卒中を発症した後、まるでシェイクスピア劇『オセロ』の主人公のように、根拠もなく夫が浮気をしているという妄想に支配され、最終的には家族に暴力をふるうまでに至った稀な症例を報告しています。
なぜ脳のごく小さな領域が傷ついただけで、人は「妄想的な嫉妬」に取りつかれてしまうのでしょうか?
研究内容の詳細は『Neurocase』にて発表されました。
目次
シェイクスピアの悲劇が現実に—『オセロ症候群』とは何か脳卒中が『根拠なき嫉妬』を引き起こす理由脳卒中が教えてくれる『心』の脆さ
シェイクスピアの悲劇が現実に—『オセロ症候群』とは何か
シェイクスピアの悲劇が現実に—『オセロ症候群』とは何か / Credit:Canva
誰もが一度は、パートナーのささいな行動に不安を感じて、つい疑ってしまった経験があるかもしれません。
スマートフォンに届いたメッセージ、帰宅時間が遅れた日、あるいは何気ない表情の変化だけでも、「もしかして浮気?」と胸がざわつくことがあります。
普通であれば、それは一時的な不安で済みます
...moreし、パートナーの誠実さや状況説明を聞けば疑いも自然に晴れていくものです。
しかし、そうした普通の嫉妬心とは根本的に異なる病的な嫉妬が存在します。
それが「オセロ症候群」という精神疾患です。
オセロ症候群にかかると、パートナーがどれほど無実の証拠を示しても、患者は決してそれを受け入れず、妄想に取りつかれたように浮気を確信し続けます。
この疾患の名前は、シェイクスピアの悲劇『オセロ』の主人公に由来しています。
劇中でオセロは、周囲の悪意ある噂や些細な誤解から妻の浮気を妄想し、その妄想に支配されて破滅的な結末を迎えました。
現実に起こるオセロ症候群でも、この主人公と同じように妄想が暴走し、患者は完全に嫉妬心に支配されてしまいます。
症状が深刻化すると、言葉による攻撃はもちろん、時には身体的暴力を伴う事件にまで発展することがあります。
これまでの研究では、オセロ症候群は主に統合失調症、アルコール依存症、薬物乱用やパーキンソン病などの神経疾患を背景にして起こりやすいことが知られていました。
ところが非常にまれなケースとして、脳卒中がきっかけで突然こうした嫉妬妄想が現れる患者も報告されていました。
これらの症例は珍しく、なぜ脳卒中が嫉妬という特定の感情を激しくゆがませてしまうのか、脳のどの部分が壊れると妄想が生まれるのかはよくわかっていませんでした。
今回の研究チームが着目したのは、まさにその謎の解明です。
研究のきっかけになったのは、一人の女性患者の症例でした。
その女性は50歳で、これまで精神疾患やアルコール、薬物依存の問題とは無縁でした。
結婚生活も非常に良好で、夫婦は30年以上にわたり仲睦まじく暮らしていました。
ただ一つ、彼女には高血圧という持病がありました。
そんな彼女の日常が一変したのは、ある日、台所で料理をしている最中でした。
突然の激しい頭痛に襲われ、そのまま倒れてしまい、病院に緊急搬送されたのです。
医師の診察により、彼女は脳卒中を起こしていることが判明し、約2週間の入院生活を送ることになりました。
治療の甲斐もあり容体は安定し、退院を迎えましたが、病院を出て間もなく、予想外の出来事が起きました。
それまで何の問題もなかった夫に対して、突如として「妹と不倫をしている」と激しい疑いを持ち始めたのです。
妹は彼女の退院後の手助けのために訪れていただけで、浮気の証拠などは全くありませんでした。
それでも彼女は、夫の浮気こそが自分が倒れた原因だと周囲に言い触らしました。
さらに妄想は徐々に対象を変え、夫の浮気相手は妹ではなく、友人の娘だと信じるようになりました。
嫉妬心に支配された彼女の行動は日を追うごとに過激になり、夫が眠っている間にこっそり携帯電話を調べたり、夜中に夫を起こして浮気を責めたりするようになりました。
発症から約1年が経つころには、その妄想はついに暴力事件へとエスカレートします。
激しい怒りに駆られた彼女は刃物を持ち出し、夫を攻撃するという事件を、それも別々の機会に2度も起こしてしまったのです。
幸い深刻な怪我には至りませんでしたが、彼女自身は後に攻撃の事実を否定しながらも、妄想は一向に収まりませんでした。
なぜ、脳卒中をきっかけに、これほどまで激しく妄想が暴走してしまったのでしょうか?
脳卒中が『根拠なき嫉妬』を引き起こす理由
脳卒中が『根拠なき嫉妬』を引き起こす理由 / Credit:wikipedia
なぜ、脳卒中をきっかけに、これほどまで激しく妄想が暴走してしまったのでしょうか?
謎を解明するため研究者たちはまず、彼女に対して詳しい精神医学的な評価を行いました。
その結果、明らかになったのは、彼女が深刻な認知機能の低下に陥っているという事実でした。
記憶力は明らかに低下し、注意力や集中力にも大きな問題が見られました。
彼女の意識は嫉妬の妄想にばかり集中し、それ以外の事柄にはほとんど注意を向けることができなくなっていました。
認知機能を評価するための標準的なテスト(ミニメンタルステート検査、モントリオール認知評価)でも、正常値を大きく下回るスコアしか得られず、脳機能がかなり深刻に影響を受けていることが示されました。
研究者たちは、他の病気が症状を引き起こしている可能性を慎重に検討しました。
具体的には、認知症、薬物中毒、代謝異常などの可能性が詳細に調べられましたが、いずれも否定されました。
これらを踏まえて次に研究者たちは、患者の脳を詳しく検査することにしました。
脳の詳しい検査を行ったところ、脳卒中によって脳の奥深くにある「視床」という部位が損傷を受けていることが明らかになったのです。
視床とは脳の中で特に重要な役割を持つ、小さな「ハブ(中継地点)」のような場所です。
この視床は感情や注意力、記憶、さらに感覚情報や思考を統合するなど、脳全体の機能を円滑に保つための司令塔のような役割を担っています。
特に、左右に一つずつある視床のうち、右側の視床は感情や社会的な判断をコントロールする脳のネットワークと深くつながっているとされています。
今回の検査で、女性の脳卒中は非常に珍しいタイプで、左右両方の視床に損傷を与えていることが判明しましたが、そのうち特に右側の視床の損傷が強く見られました。
医師たちはこの右側の視床へのダメージが、嫉妬妄想という特殊な精神症状に直接的に関係している可能性が高いと判断し「脳卒中によるオセロ症候群(病的嫉妬妄想)」と正式に診断されました。
そして診断後から医療チームは症状の改善を目指して薬物治療が始まりました。
最初に使用されたのはクエチアピンという抗精神病薬です。
この薬により症状はある程度落ち着きを見せ、一時的に妄想は弱まりました。
ところが数ヶ月後には再び嫉妬の妄想がぶり返してしまい、症状が完全に消えることはありませんでした。
そこで医師たちは、新たにオランザピンという別の抗精神病薬を試してみることにしました。
すると今度は劇的な効果が現れました。
嫉妬妄想は明らかに弱まり、その後の経過観察の中でも再発は見られませんでした。
薬の量を徐々に減らしていっても症状が再び現れることはなく、約1年後には彼女自身が過去の妄想が事実無根であったことを理解し、自らの行動を冷静に振り返れるほどに回復しました。
夫への疑念も消え去り、以前の穏やかな生活を取り戻すことができたのです。
脳卒中が教えてくれる『心』の脆さ
脳卒中が教えてくれる『心』の脆さ / Credit:Canva
今回の研究によって、脳の深部にある右側の視床が損傷を受けると、理性と感情のバランスが崩れて「根拠のない嫉妬」という妄想が暴走してしまう可能性が示されました。
この結果は私たちにとって衝撃的です。
なぜなら、「嫉妬」という誰もが経験するような日常的な感情が、脳の小さな領域の損傷によって簡単に病的な妄想にまで変貌してしまうことを意味しているからです。
特に興味深いのは、これがごく稀とはいえ、他の精神疾患や薬物乱用歴がない普通の人に突然起こりうるという点です。
実際、脳卒中の後に精神的な異常が起こるケースは以前から知られており、特に「嫉妬」をテーマにした妄想はそうした症状の中でも比較的...
かつて何時間でも熱中できたテレビゲームが、年を重ねるとともに「なんだか退屈だ」と感じるようになる――そんな経験はないでしょうか?
これは単なる飽きではなく、脳の報酬系の変化による可能性が指摘されています。
最近の神経科学の研究では、「無快楽症(アネドニア)」と呼ばれる、快楽を感じにくくなる症状が報酬系の変化と関連していることが示唆されています。
この現象を理解することで、年齢を重ねても新鮮な喜びを感じる方法を探ることができるかもしれません。
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無快楽症とは? 快楽を感じにくくなる脳のメカニズムどうすれば「新鮮な感動」を取り戻せるのか?
無快楽症とは? 快楽を感じにくくなる脳のメカニズム
無快楽症とは、楽しいと感じるはずの活動に対して興味を持てなくなる状態を指します。
これはうつ病や統合失調症などの精神疾患と関連が深いとされていますが、必ずしも精神疾患のみに限らず、加齢や環境要因によっても発生する可能性があると言われています。
最新の研究では、視床の室傍核(PVT)と側坐核(NAc)の間の機能的結合性が強化されることが、無快楽症の症状と関連していることが明らかになっています。
視床の室傍核(PVT)と側坐核(NAc)の位置/Credit:Wikimedia Commons
PVTは覚醒・ストレス応答・報酬処理・学習と記憶という複数の機能を統合する重要な場所です。そして側坐核
...moreとつながることで報酬や動機づけに関連するされていて、側坐核はやる気スイッチなんて表現されることもある場所です。
この2つの脳領域の結合が強くなると、報酬系の働きが変化し、新しい刺激に対する感受性が低下すると考えられています。
つまり、強化された結合性によって脳はこの経験に対して「すでに満たされている」と誤解してしまい、関連する体験に対して期待値が下がるのです。
その結果、かつて夢中になったゲームや娯楽が「新鮮ではなくなった」「退屈になった」と感じるようになるのです。
「年を取ると涙もろくなる」のと矛盾? 感情変化との関係
Credit:canva
一方で、「年を取ると涙もろくなる」という現象もよく知られています。
これは一見すると感受性が高まっているように見えるため、ゲームなどの体験に感動を覚えにくくなるという問題と矛盾しているように感じます。
ではなぜ、年齢が進むと映画や音楽に対してはより強い感動を覚えるのに、ゲームなどの娯楽には興味を失いやすくなるのでしょうか?
実際のところ研究では、加齢による涙もろさは、感受性が高まっているというポジティブな変化ではないと考えられています。
これは、単に感情の制御能力の低下である可能性が高いのです。
涙もろくなるのは、感情を司る扁桃体や前頭葉の変化によるものですが、特に前頭前野(PFC)の機能低下が影響を与えるとされています。
前頭前野は感情の抑制や意思決定を司る部分ですが、加齢によりこの機能が衰えることで、感情をコントロールする力が弱まり、結果として涙もろくなる現象が起こるのです。
そのため「加齢に伴い涙もろくなる」というのは、決して感受性が高まっているわけではなく、単に脳機能の衰えが原因と考えられるのです。
こうして年を取ると、簡単なことで涙を流して感動してしまう一方、ゲームなどの体験には脳が慣れてしまい期待が下がって退屈になるという状況を生んでしまうのです。
どうすれば「新鮮な感動」を取り戻せるのか?
繰り返される刺激に慣れてしまうの当たり前のことであり、年齢とともに報酬系が変化していくのは自然なことです。
では年を取ると、もうゲームを徹夜で楽しむというような体験は出来ないのでしょうか?
悲観的になってしまいますが、脳科学の研究では、こうした脳の変化は不可逆的というほど強固なものではないと考えられています。
そのため脳の可塑性(柔軟に適応する力)を活かせば、若い頃のような感動を取り戻すことも可能だと考えられています。
この変化に必要なことは次のようなものだとされています。
新しい体験を意識的に増やす:
未知のジャンルのゲームや新しい趣味に挑戦する。
過去にやったことのあるゲームでも、新しいプレイスタイルを試してみる。
運動を習慣化する:
軽い有酸素運動は脳の可塑性を高め、報酬系の活性化を助ける。
特にリズミカルな運動(ウォーキングやダンス)が効果的とされている。
生活リズムを整え、十分な睡眠を確保する:
睡眠不足は報酬系の働きを低下させ、快楽を感じにくくする要因となる。
規則正しい生活を送ることで、脳の健全な機能を維持する。
社会的なつながりを大切にする:
他人と共有することで、娯楽や体験がより楽しく感じられる。
マルチプレイヤーゲームや協力プレイを活用するのも一つの方法。
Credit:Generated by OpenAI’s DALL·E,ナゾロジー編集部
生活習慣も脳の活動に影響しますが、重要なのは新しい体験に意欲的になることです。
年を取るほど考え方が保守的になり、慣れ親しんだ方法以外を試すことが億劫になってしまいがちです。
「ゲームは1人で遊ぶのが当たり前」「ネット上で人と遊ぶのはなんか怖い」とマルチプレイを避けたりする人も多いかもしれません。
新しいジャンルのゲームに手を出すことが億劫で、ずっと同じタイプのゲームを遊んでしまうということもあるでしょう。
年を経るごとに「どうせやってもつまらないよ」と手を出さずに食わず嫌いしているジャンルも多いはずです。
しかし、そうした行動を取ってしまうのは、先に述べたように視床の室傍核と側坐核の結合が強化されたことで、新しい体験への期待値も下がっている影響だと考えられます。
そのため新しい体験に手が伸びず、結果的に何をやってもつまらないという感覚に陥ってしまっているのです。
年齢とともに変化する「楽しみ」の仕組みを理解しよう
年齢とともにゲームが退屈に感じるのは、単なる飽きではなく、脳の報酬系の変化による可能性があります。
既存の体験に慣れてしまって、昔のような快感を得られなくなるというのは当然の変化です。
しかし、これは必ずしも不可逆的な変化ではありません。脳はもっと柔軟に出来ており、新しい楽しみや感動を取り戻すこともできるのです。
問題は既存の体験で報酬系が満たされてしまったことで、新しい体験に対しても「どうせ楽しめない」という期待値の低下が生じていることです。
「最近ゲームがつまらなくなった」と感じる人は、新しいジャンルに手を出す、やったことのなかったマルチプレイに挑戦する、など新しい体験を取り入れたり、脳を刺激する習慣を持つことで、再び楽しみを見出すことができるかもしれません。
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全ての画像を見る参考文献Neuroimaging study links anhedonia to altered brain connectivityhttps://www.psypost.org/neuroimaging-study-links-anhedonia-to-altered-brain-connectivity/元論文Anhedonia is associated with higher functional connectivity between the nucleus accumbens and paraventricular nucleus of thalamushttps://doi.org/10.1016/j.jad.2024.08.113ライター相川 葵: 工学出身のライター。歴史やSF作品と絡めた科学の話が好き。イメージしやすい科学の解説をしていくことを目指す。編集者ナゾロジー 編集部...
札幌地裁は7月2日、被告の男に有期刑では最も重い、懲役30年の実刑判決を言い渡しました。2025年07月02日(水) 19時58分 更新