イギリスのノッティンガム大学(University of Nottingham)を中心とする研究によって、歯の表面に塗るだけでエナメル質(歯の表面の硬い層)を再生させる新しいタンパク質ジェルが開発されました。
再生したエナメル質は硬さや耐久性といった機械特性が約9割前後まで回復し、日常生活における歯磨き・咀嚼・酸への耐性試験でも安定性が確認されました。
通常、エナメル質は一度失われると自然には戻らず、エナメル質を失った歯は虫歯に脆弱になります。
しかしエナメル質を常に完璧に再生・維持されれば、理論上は虫歯はほぼゼロに近づくでしょう。
果たして、このジェルによって「虫歯で歯を削る治療」は過去のものになるのでしょうか?
研究内容の詳細は2025年11月4日に『Nature Communications』にて発表されました。
目次
なぜ歯のエナメル質再生は難しかったのか?「唾液を活用する」エナメル再生ジェルの仕組みエナメル再生ジェルの可能性と限界
なぜ歯のエナメル質再生は難しかったのか?
なぜ歯のエナメル質再生は難しかったのか? / Creditr:ライオン歯科衛生研究所
「虫歯で失った歯が元に戻ったらいいのに」──とは誰もが思うことでしょう。
虫歯治療のために歯を削られたり抜かれたりするのは誰にとってもつらいものです。
しかし、それは歯の表面を守るエナメル質が一度失われると
...more 二度と元には戻らないからに他なりません。
歯のエナメル質はまさに歯を覆う鎧(よろい)のように硬く頑丈な組織ですが、血管も細胞も含まないため骨のように自力で再生することができないのです。
このエナメル質が損なわれると様々な問題が生じます。
例えばエナメル質が酸で溶け出すと内部の象牙質が露出し、冷たい物がしみる知覚過敏の原因になります。
またエナメル質が薄くなると虫歯が進行しやすくなり、放置すると歯に穴が空いてしまいます。
実際、エナメル質の劣化や虫歯による歯の問題は世界人口の約半数が抱える非常に身近な課題で、一度進行すれば最終的には歯の喪失や感染症リスクにもつながりかねません。
一方で、虫歯は口の中の細菌が食べ物に含まれる糖分を分解して酸を出し、その酸がエナメル質を溶かすことで始まります。
つまり、虫歯のスタート地点は常にエナメル質が酸で溶けて崩壊することです。
もし常にエナメル質を速やかに再生できるなら、酸でエナメル質が溶けるよりも早く、あるいは同じ速度で修復が起きることになり、歯に穴が開く前にその穴が埋まるわけで理論上、虫歯はほぼ防ぐことが可能になるはずです。
ところが先にも述べたようにエナメル質は自然には再生しないため、「削って詰める」以外に有効な治療法がなく、フッ素塗布など現在の対策も表面を一時的に補強する応急的な方法にとどまっています。
そのためエナメル質を人工的によみがえらせることは、科学者たちにとって長年の夢でした。
ただその夢の実現には大きな困難がありました。
では、成長期にはどのようにエナメル質が作られていたのでしょうか?
ポイントはエナメル質を並べるための「足場」にあります。
成長期に新たな歯が作られるとき、エナメル質形成タンパク質(アメロゲニン)が足場になり、そこにカルシウムやリン酸が引き寄せられてエナメル質の結晶がびっしりと密集した硬い層が出来上がります。この足場があるおかげで、エナメル質の結晶はきれいに一方向に並び、硬くて丈夫な構造になるのです。
しかし成長期が終わるとアメロゲニンは酵素によって段階的に分解され、足場がなくなるためエナメル質は損傷しても新たな結晶を形成できません。つまり「陶器の職人」がいなくなった状態です。
そこで研究者たちは発想を逆転させました。「それなら人工的にエナメル質の足場を作ってやればいい!」──失われた職人の代わりに、新たなタンパク質の足場を歯に供給すれば、もう一度エナメル質の結晶を成長させられるかもしれないと考えたのです。
本当に足場を用意するだけでエナメル質の再生はできるのでしょうか?
「唾液を活用する」エナメル再生ジェルの仕組み
エナメル質の再生を求めて研究者たちはまず、エナメル質形成の仕組みを模倣した画期的なタンパク質ジェルを開発しました。
このジェルは一見すると歯医者さんで使うフッ素塗布剤のようですが、中身は全く新しいものです。
ジェル自体はフッ素を含まず、代わりにエナメル質を育てるタンパク質(アメロゲニン)の働きを模倣する分子でできています。
歯の表面に塗るとすぐに薄い被膜状に広がり、細かな傷や穴を埋めるように歯質に浸み込みます。
この薄い被膜こそが人工の「足場」です。
しかし足場だけでは、エナメル質の材料となるミネラル(カルシウムやリン酸)がなければ結晶は成長できません。
そこで新しいタンパク質ジェルには、唾液に含まれるカルシウムイオンやリン酸イオンを自然に引き寄せるしくみが組み込まれました。
タンパク質ジェルの準備が整うと、次に研究者たちは本物の歯を使った実験を行いました。
ヒトの歯のサンプルを用い、表面のエナメル質を人工的に一部溶かしたうえで標準的な清掃と酸処理ののちにジェルを塗布し、人工唾液に浸して経過を観察しました。
すると、わずか10日〜2週間程度で失われていた部分に新しいエナメル質の結晶が成長しました。
再生したエナメル質の結晶は下地のエナメル質と同じ方向に並び、一体化するように結合していました。
これは、ジェルが作る足場が下地の結晶と同じ並び(結晶の方向)を再現したためです。
そのおかげで再生部分も含めて歯の表面が滑らかに埋まり、見た目にも機能的にも健康なエナメル質が蘇ったといえます。
左はエナメル質が溶けている状態、右はエナメル質が再生した状態 / Credit:Biomimetic supramolecular protein matrix restores structure and properties of human dental enamel
左の画像は酸でエナメル質が溶けて、結晶がボロボロになった状態ですが、右の画像では2週間のジェル処置後にエナメル質の結晶が林のように垂直方向へ整然と伸びているのがわかります。こ
うして結晶がきれいに並んで埋まったことで、エナメル質の強度と構造がほぼ元通りに回復したのです。
では、その再生エナメル質の性能(硬さや耐久性)は本物といえるのでしょうか?
研究チームは再生後の歯にさまざまな試験を行いました。
歯磨き・咀嚼(そしゃく)・酸への曝露など、日常生活とほぼ同じ条件の摩耗試験を実施したところ、再生したエナメル質はまるで健康な天然エナメル質と同じように安定していました。
さらに硬さや摩擦係数、耐摩耗性の測定でも、処置前にスカスカだった歯が処置後には主要な指標で健常歯に近い値(約9割前後)を示しました。
つまり見た目だけでなく、物理的な強度まで天然のエナメル質に迫る水準まで回復したのです。
さらにこのジェルの優れた点は、一様に薄くコーティングするだけで作用するため、歯科医院での応用もしやすいことです。
実験では、歯科で行うフッ素塗布とほぼ同じ要領で歯に塗り、3〜4分ほど待つだけで被膜が形成されました。
特殊な機械や外科的処置も不要で、患者にとっても塗るだけの簡単な処置になり得ます。
エナメル再生ジェルの可能性と限界
エナメル質の再生速度が損傷速度を上回っている限り虫歯はエナメル質を突破できず虫歯にはなりません。Credit:Canva
今回の研究成果は、歯科医療に大きな転換点をもたらす可能性があります。
エナメル質が再生できるなら、初期の虫歯はジェルを塗るだけで自然に“傷が治る”ように治療できるかもしれません。
従来は削って詰めるしかなかった部分が、自前のエナメル質で埋まれば、痛みも少なく歯の本来の強さを取り戻せるわけです。
これは患者にとって夢のような改善であり、将来的には歯科医療の常識を覆す有望な一歩となるでしょう。
例えば、子どもからお年寄りまで、虫歯で歯を失うリスクを大幅に減らし、歯の寿命を延ばすことが期待されます。
予防的にエナメル質を強化する用途など、常にエナメル質を維持できれば、虫歯はずっとエナメル質を突破できず、理論上その下の歯は無傷のままでいられます。
もっとも、解決すべき課題も残されています。
再生できるエナメル質の層は現在のところ約10マイクロメートル(0.01ミリメートル)程度とごく薄く、再生できる厚みに限界があります。
しかし大きな虫歯でエナメル質が深く欠けてしまった場合には、完全に元通りにするのは難しいでしょう。
道路工事に例えるならば...
アメリカのブラウン大学(Brown University)で行われた研究によって、キツツキはクチバシを打ち付ける瞬間に人間のテニス選手がスマッシュを打つときの「うなり声(グラント)」のように息を「グッ」と吐き出していることが示されました。
呼吸には筋肉を硬直させるタイミングを同期させる効果もあると考えられており、この全力の呼吸法と全身の筋肉の連鎖的な動きにより、キツツキの一撃は体重の20~30倍規模の衝撃を生むと報じられています。
なぜ呼吸のもたらす効果はなぜこれほど大きいのでしょうか?
研究内容の詳細は2025年11月6日に『Journal of Experimental Biology』にて発表されました。
目次
キツツキの打撃は瞬間的に400Gに達する打撃と呼吸の完全同期を実証「気合いの呼吸」は生物共通の戦略か?
キツツキの打撃は瞬間的に400Gに達する
キツツキの打撃は瞬間的に400Gに達する / Credit:Canva
森の中から「コンコンコン…」と響く音。わずか数十グラムの小さな鳥が、自分より遥かに大きな木に穴を開ける光景は何度見ても不思議です。
あの激しい頭突きに「痛くないのかな?」「首は大丈夫だろうか?」と心配になった経験がある人もいるでしょう。
実際、キツツキは1秒間に最大13回ものハイスピードで木を突くことができ、その頭には瞬間的に最大約400Gの減速が
...more かかるとも言われます(それだけ急激にスピードが変化しているということです)。
常識的に考えれば大惨事になりそうな動きですが、彼らは平気な顔でやり遂げます。
もちろん、これまでの研究でその謎にいくつかの答えは見つかっています。
キツツキの頭部や首には衝撃を和らげる特殊な構造があり、クチバシや頭蓋骨の形状、太く発達した首の筋肉などが高速の打撃に耐える役割を果たしていることが知られていました。
近年は「頭部は硬いハンマーに近い」という見解を示す研究もあります。
しかし、それでも疑問は残ります。
肝心の「強力な打撃」は一体どこから生まれているのでしょうか。
多くの研究者は首の筋肉に着目してきましたが、首だけであれほどのパワーを生み出せるのか、そして全身の他の部分や呼吸はこの猛烈な動作にどう関与しているのかは、ほとんど分かっていませんでした。
そこでヒントになるのが呼吸です。
実は、生き物の激しい反復運動では「動きと呼吸を同期させる」現象がよく見られます。
たとえば走るウマは一歩ごとに呼吸し、鳥はさえずり(高速の鳴き声)の合間に小刻みな息継ぎを挟みます。
呼吸のリズムを動作に合わせることで、効率良く力を発揮したり身体への負担を抑えたりできるからです。
では、キツツキの場合はどうでしょうか?
木にクチバシを打ち込むまさにその瞬間、息を吐いているのか、それとも踏ん張るために息を止めて体を固めているのか――この点は謎に包まれていました。
もしかすると、キツツキは全身の筋肉を巧みに連携させるだけでなく、「呼吸」まで利用して自らを全身ハンマーと化しているのではないでしょうか?
本研究は、この疑問に真正面から挑んだのです。
打撃と呼吸の完全同期を実証
キツツキの打撃は「呼吸」も利用しているのか?
謎を解明するため研究チームは、アメリカに生息する体長15センチほどのダウニーキツツキ(北米最小のキツツキの一種)8羽を野外で捕獲し、実験室で協力してもらいました。
鳥たちには好物の木片をつついてもらい、その様子を高速カメラで撮影するのです。
さらに、頭や首、腹部、尾部、脚の主要な筋肉に筋電図を装着し、一部の個体には気嚢(きのう:肺の前後にある袋)の内部圧力センサーと気道の空気流量センサーも取り付けました。
これにより、木を突く瞬間にどの筋肉がどのタイミングで働き、呼吸がどう変化しているかを同時に記録したのです。
その後、鳥たちは元いた森に放たれ、研究者たちは集めたデータの解析に取りかかりました。
その結果、キツツキは首だけでなく頭から尾の先まで体中の筋肉を駆使して、まるで全身を一本のハンマーのように振るっていることが分かりました。
クチバシが木に当たる瞬間、首周りの筋肉が一斉に収縮して頭部をがっちり固定しますが、これはちょうど人間がハンマーを振り下ろすときに手首を固める動作に似ています。
また、まるでボクサーがパンチを繰り出す前に踏ん張るように、尾羽を動かす筋肉は打撃の直前に体を木に押し付けて踏ん張る役割を果たし、腰の筋肉(尾の付け根付近)は頭部を突き出す強力な推進力を生み出していました。
打撃のあとは別の首の筋が素早く頭を引き戻し、各筋肉の収縮タイミングが微妙に重なり合うことで、速い連打でも動きの勢いが途切れないスムーズなリズムを実現しています。
キツツキの動きを詳細に分析した図 / キツツキが木に穴をあけるとき、首だけではなく体のさまざまな筋肉を使っています。具体的には頭や首、胸や腰、尾などの筋肉が働いています(図のA)。研究者たちは、これらの筋肉が「どのタイミングでどれくらい強く動いているか」を調べました。 まず、キツツキが軽く木をつつくときの筋肉の動きを調べたところ(図のB)、頭を前に突き出す直前に首の前側や胸の筋肉が動き始め、頭が木に当たる瞬間(図の中の黒い点線)には首の後ろ側や背中の筋肉も一気に収縮します。頭が木に触れている短い間(灰色の部分)は、首や背中の筋肉がピークを迎え、頭が跳ね返った後(青色の部分)に再び筋肉がゆるみます。この一連の動きが、木をつつく「一撃」をスムーズで安定したものにしています。 また、「何もしていないとき」や「首を左右に動かすだけのとき」と、「実際に軽く穴を掘るとき」で筋肉の活動の強さを比べると(図のC)、穴を掘る動作のときに筋肉が明らかに活発に働いていることが分かります。キツツキは頭や首だけではなく、体中の筋肉をタイミングよく協力させることで、効率的で強力な打撃を生み出しているのです。特に、頭が木に当たる瞬間に首や背中の筋肉を一気に収縮させて頭をしっかり支え、さらに強く叩く場合には腰回りの筋肉を追加で動員してパワーを高めていると考えられます。/Credit:Neuromuscular coordination of movement and breathing forges a hammer-like mechanism for woodpecker drilling
さらに注目すべきは、呼吸の連動という発見です。
アニメやマンガでしばしば強力な技として描かれる無呼吸からの絶え間ない打撃が描かれることがありますが、キツツキの場合は超速呼吸を通じて連打を実現していたと言えるでしょう。
たとえば約0.1秒間隔(1秒間に10~13回程度)の速さで穴を掘っている最中も、打撃の合間に40ミリ秒(0.04秒)ほどで素早く息を吸い込み、クチバシを打ち付けるまさにその瞬間に合わせて急激に呼気(吐く息)圧が高まることが記録されました。
研究者は呼吸リズムと打撃リズムが1対1の対応を保ち、小刻みな呼吸が酸素補給に役立っている可能性があると考えているようです。
まるで鳥が一撃ごとに超高速で息を吸い込み打撃と共に「フンッ!」と吐き出しているかのようです。
人間でもテニスや重量挙げで力む際に思わず声が漏れることがありますが、それと同じ現象だと考えられます。
息を吐くことで腹筋など体幹の筋肉が一層働き、身体が安定して力を込めやすくなる効果が知られているため、キツツキも呼気で体幹を固め打撃力を高めていると考えられます。
さらに、キツツキが息を吐くときの空気の流れが「鳴管(めいかん)」という鳥特有の声を出す器官を通っていることも確認されました。
通常、鳥はこの鳴管を使って鳴き声を出しますが、キツツキは穴を掘るときに声は出していません。
つまり、鳴管を通った空気は声を出すためではなく、体を支えたり踏ん張ったりする力を生むために使われている可能性があります。
「気合いの呼吸」は生物共通の戦略か?
「気合いの呼吸」は生物共通の戦略か? / Credit:Canva
本研究は、キツツキが全身の筋肉と呼吸を緻密に連動させることで、身体を極めて効率的な打撃システムに仕立て上げていたことが示されました。
この発見により、呼吸と筋肉の連携が極限の運動能力発揮に果たす役割について理解が深まりました。小さな体で大きな仕事をやってのけるキツツキは、生物の運動能力が進化によってどこまで高められるのか、その一端を示しています。
ではここで、なぜ呼吸の効果がこれほど大きいのかを整理してみましょう。
キツツキの研究で見えてきたのは、呼吸が...
アメリカのスタンフォード大学で行われた最新の研究により、尿管結石を細かく砕いた後にどうしても残ってしまう小さな破片を、磁気を帯びたゼリーを利用して一気にまとめて回収できる新しい方法が開発されました。
これまで手術を行っても結石の約40%が取り残されていましたが、実験では人工腎臓内にある全ての結石を除去することに成功しています。
またブタを使った試験では、腎臓内の結石破片の広範囲が視認下で回収され、安全性も確認されました。
この新しい磁気技術が、本当に人間の腎臓結石治療を変える画期的な方法となるのでしょうか。
研究内容の詳細は、2025年10月29日に『Device』で発表されました。
目次
尿管結石の40%は手術しても取り残されている磁気を帯びた服薬ゼリーが尿管結石をまとめて除去する結石治療が変わる日
尿管結石の40%は手術しても取り残されている
Credit:Magnetic retrieval of kidney stones via ureteroscopy in a porcine model
「腎臓の結石が磁石で取れたら…」そんな冗談みたいなことを考えた人は案外多いかもしれません。
特に腎臓結石の激しい痛みに一度でも苦しんだ経験のある人ならなおさらでしょう。
実は、最新の研究によってそれが冗談では済まなくなるかもしれないのです。
そもそも腎臓にできる結石とは、体のな
...more かで結晶化した小さなミネラル(鉱物)が、腎臓や尿管などをふさいでしまう病気です。
小さな石でも尿の通り道が詰まると、非常に激しい痛みを伴います。
そこで現在、一般的に行われている治療が「レーザー砕石術(さいせきじゅつ)」という手術です。
これは、細く柔らかな管状のカメラ(内視鏡)を尿道から入れ、腎臓まで進めて、結石をレーザーで細かく砕く方法です。
しかし、砕いた結石をどうやって回収するかが問題でした。
従来の方法では、レーザーで細かく砕いたあとに、バスケットカテーテル(小さなかごのついた細い器具)で、破片を一つひとつ地道に拾い上げる必要があります。
この作業は想像するだけでも気が遠くなるほど手間がかかり、術者はもちろん、患者さんにとっても負担が大きいのです。
しかも、この「かご」では小さすぎる破片をすべて拾いきれません。
実際、手術後の患者さんのうち約40%で、破片が腎臓や尿路に残ってしまうことが報告されています。
残された破片は、尿路を再びふさいだり、細菌感染を引き起こしたり、さらには再び結石の芯になって再発の原因となることがあります。
では、徹底的に細かく砕いて「砂」のようにサラサラにすれば、破片が勝手に尿と一緒に流れ出るのではないか?
最近では、そうした考えで「粉砕モード」と呼ばれる処置を行うこともあります。
ところが実際には、その粉末状の破片の多く(約75%)が尿と一緒に流れ出ず、腎臓に残ってしまうことが知られています。
結局のところ、粉にしても安全という保証はありません。
微細な破片から再び結石が大きく育ってしまい、再発するケースも少なくないのです。
さらに最近では、こうした微細な破片を吸引する「吸引デバイス」も登場しています。
しかしこれも完全な解決とはいきません。
石をきれいに粉砕しないと吸引できないうえ、破片が詰まってしまうと尿路内の圧力が急上昇し、腎臓に負担がかかるリスクがあると報告されています。
つまり、どの方法をとっても「結石破片をすべて安全に除去する」という課題は、泌尿器科の分野で長らく未解決のままでした。
この難問に、今回スタンフォード大学の研究チームが立ち上がりました。
彼らが提案したのは、「砕けた結石に磁石でくっつく性質を与え、一気にまとめて回収する」という新しい発想です。
「磁石で一網打尽」というのは、かなり大胆に聞こえますが、科学的な仕組みは意外なほどシンプルで理にかなっています。
もし本当に砕けた結石を砂鉄のように磁石でまとめて回収できるなら、手術の常識が根本から変わるかもしれません。
それにしても、本当にそんなことが可能なのでしょうか。
磁気を帯びた服薬ゼリーが尿管結石をまとめて除去する
実験で使用された人工の腎臓モデル / Credit:Magnetic retrieval of kidney stones via ureteroscopy in a porcine model
今回の研究チームが開発した磁気デバイス「MagSToNE」は、「磁性ハイドロゲル」と「磁性ワイヤ」という2つの要素から成り立っています。
まず磁性ハイドロゲルですが、これは簡単に言えば「磁石に引き寄せられる特殊なゼリー」のことです。
このゼリーは、医療用として使われている非常に細かな酸化鉄の粒子(ナノ粒子)と、キトサンという天然由来の素材を混ぜることで作られます。
磁石に引かれる性質を持つ酸化鉄の粒子が、ゼリー状のキトサンによって石の破片の表面に貼り付くように固定され、破片を「磁石に反応する物体」に変えてしまうのです。
薬を楽に飲むための服薬ゼリーを磁気に反応し、かつ結石を取り込めるように調整したバージョンと捉えるとイメージしやすいでしょう。
(※市販の服薬ゼリーは増粘多糖やゼラチンですが今回の研究のゲルは甲殻類由来の多糖(キトサン)とグリセリンなどを体内で混ぜ合わせて患部でゲル化させる方式をとります)
これにより、結石破片は一瞬で「磁石にくっつく性質」を持つようになります。
次に磁性ワイヤですが、これは「とても細い磁石の棒」のようなものです。
直径は約1ミリ(実際は約0.9ミリ)ほどしかありませんが、実はこの細長い棒の全体が強い磁石の力を帯びています。
この細さのおかげで、ワイヤは内視鏡という細い管を通じて腎臓の奥深くまで挿入することが可能です。
そして磁性ワイヤが破片の近くに差し込まれると、破片は磁石の引力によってワイヤに吸い付くように集まります。
従来、バスケットカテーテルという小さなかごで一つひとつ丁寧に拾わなくてはならなかった破片を、「磁石にくっつくゼリーで破片を砂鉄化して、磁力の棒でまとめて吸い上げる」というアイデアです。
この磁気デバイスの効果をまず確認するため、研究チームは人工的に作られた腎臓のモデル内に直径2ミリ以下の小さな結石の破片をモデル内に置き磁性ゲルを一回だけ注入しました。
すると、破片は瞬時にゼリー状のゲルに覆われ、「磁石に引き寄せられる状態」になりました。
その後、磁性ワイヤを近づけてみると、28個の結石の破片がまとめて磁性ワイヤに吸い付いたという結果が得られました。
また、この様子は動画でも確認されており、ゲルは注入してから数秒以内に固まり、磁石への反応が素早く起こることが示されました。
人工モデルで成功を収めた研究チームは、次に生きたブタを使った実験に挑戦しました。
ブタの腎臓内で結石を細かく砕き、その破片に磁性ハイドロゲルを注入したところ、肉眼で確認できる範囲のあらかたの破片が回収されました。
また、磁性ゲルの回収量も測定されました。
摘出した腎臓を用いて、10分間の洗浄と磁気ワイヤによる操作でどれだけゲルが除去されるかを調べた結果、腎臓内の磁性ゲルの約99.8%が取り除かれました。
磁性ワイヤは余分なゲルを優先的に引き寄せ、結石の破片はゲルで磁化された部分が直接磁気ワイヤに吸着するかたちで回収されたわけです。
砂場で磁石を近づけると砂鉄ばかりがくっついてくるように、腎臓内でも磁性ゲルがワイヤに集まり、結果として腎臓内にゲルはほとんど残りませんでした。
結石治療が変わる日
結石治療が変わる日 / Credit:Canva
今回の研究により、磁性ゲルを使うことで尿管結石を磁石でほぼ一掃できる可能性が見えてきました。
研究チームも述べているように、この磁気デバイスが臨床に応用されれば、尿管鏡手術の「石の取り残し率」を大きく改善でき、大きめの結石でも一度の内視鏡手術で治療に役立つ可能性があります。
そうなれば患者さんにとっては、複数回の手術や開腹手術を避けられる可能性が高まり、術後の痛みや負担、医療費の軽減にもつながるでしょう。
社会的インパクトは計り知れません。
米国では年間約40万件もの尿管鏡手術が行われていますが、そのうちの多くで破片が残り、再手術や救急搬送が必要になる例も報告されています。
もしこの技術が実用化されれば、そうした再発や再手術を防ぐ有効な手段となるでしょう。
バスケットで何十回も出し入れする代わりに、磁石でまとめて回収できれば、手術時間の短縮による麻酔リスクの減少や、繰り返し内視鏡を出し入れする際に起こる尿管の損傷や感染の...
英国のレディング大学(University of Reading)を中心とした研究チームによって、恐竜の骨の化石の表面にコケのようなオレンジ色の地衣類が優先的に繁茂していることが科学的に明らかになりました。
研究者たちは地衣類が化石骨の表面の最大約50%を覆うのに対し、すぐそばにある普通の岩石には1%未満しか生えていないと報告しています。
また研究ではこの結果を利用して空中を飛ぶドローン(小型の無人航空機)を使い、地衣類の特殊な反射パターンを目印にして空から化石を探すという新しい方法を実証しました。
この方法が発展すれば、これまで困難だった化石の発見を効率的に進められる可能性があります。
しかし、なぜ地衣類たちは骨の化石の上で優先的に繁殖していたのでしょうか?
研究内容の詳細は2025年11月3日に『Current Biology』にて発表されました。
目次
化石が好きなコケの噂は本当なのか?恐竜の化石に群がるオレンジ色の地衣類の謎を科学が解明化石探しに革命を起こす
化石が好きなコケの噂は本当なのか?
化石が好きなコケの噂は本当なのか? / Credit:Canva
化石探しというのは古生物学者にとってはとても骨の折れる作業です。
広大な大地を地道に歩き回り、小さな骨のかけらを根気よく探すほかありません。
新しい化石を見つけるのは、運が良ければというレベルの話なのです。
長年
...more 、この非効率な方法を何とか改善したいと研究者たちは願ってきました。
そこで最近注目され始めたのが、空からの探査です。
ドローン(小型の無人飛行機)を飛ばして上空から地表を撮影し、映像から化石を探す手法が試されています。
しかし、大きな問題がありました。
肝心の化石の骨は背景の土や岩と見た目がほとんど変わらないため、ドローンが撮った写真だけではなかなか骨を見つけられないのです。
ところが、現場の研究者たちは以前から不思議なことに気づいていました。
「化石が多く見つかる場所では、なぜかコケのようなオレンジ色の地衣類がよく目立つ」という声が以前から挙がっていたのです。
Royal Tyrrell博物館の古生物学者であるカルブ・ブラウン博士も、「露出した化石骨が集まる場所では、骨そのものより先にオレンジ色の地衣類の“草原”が目に飛び込んでくることもしばしばです」と指摘しています。
オレンジ色のコケの正体とは?
オレンジ色のコケと言われているのはRusavskia elegans(ルサヴスキア・エレガンス) と Xanthomendoza trachyphylla(キサントメンドーサ・トラキフィラ)という2種類の地衣類です。これら地衣類とコケは見た目はそっくりですが生物学的には全く別の種となっており、地衣類は菌と藻類の混ざった複合生命のような存在です。またこの地衣類たちは共に乾燥に強く、特にカルシウムを多く含んだアルカリ性の岩石や骨の表面を好んで生育するという性質が確認されています。色がオレンジになる理由は、これらが属するテロスキステ科(Teloschistaceae)の多くが持つアントラキノン系色素によるものです。
このような経験的な感覚は以前からありましたが、それが科学的なデータで確認されたことはこれまでありませんでした。
1980年には「人工衛星からでもオレンジ色の地衣類が見つけられるかもしれない」と予測した研究者もいました。
しかし、このような話はあくまで噂レベルであり、本当に地衣類が化石探しに役立つのか、誰もはっきりした答えを持っていませんでした。
そこで今回、国際的な研究チームが本格的にこの謎に取り組みました。
地衣類は本当に恐竜の化石の骨を好んで生えるのか?
もしそうなら、その性質をうまく利用して化石の在処を空から発見できるかもしれない——こうした大胆な仮説を、科学的なデータを使って確かめようとしたのです。
果たしてこの「地衣類=化石の目印」仮説は本当なのでしょうか?
本当にオレンジ色の小さな生態系が、巨大な恐竜の化石を見つけ出すための道しるべになるのでしょうか?
恐竜の化石に群がるオレンジ色の地衣類の謎を科学が解明
恐竜の化石に群がるオレンジ色の地衣類の謎を科学が解明 / 露出したハドロサウルスの四肢骨 2 本 (白矢印) に地衣類が広範に生息しているが、周囲の堆積物には地衣類は見られない/Credit:Remote sensing of lichens with drones for detecting dinosaur bones
「地衣類は本当に化石の骨を好んで生えているのか?」
この問いに答えるために、研究チームは実際にカナダ・アルバータ州の恐竜州立公園にある恐竜化石が密集する「ボーンベッド」という場所で詳しい調査を行いました。
まず、研究者たちは現地で化石が集まる場所を探し、地表に露出している化石の骨とその周囲に転がっている岩や土の表面を詳しく調べました。
次に、それぞれの表面にどれくらい地衣類が生えているかを細かく記録しました。
これは「化石の骨」と「周囲の岩石」のどちらに地衣類がたくさん生えているかを統計的に確かめるためです。
その結果、化石の骨の表面ほど地衣類が集中的に生えているという強い傾向が見つかりました。
逆に、骨のすぐそばに大量に転がっている鉄分を含んだ石(鉄岩)には、地衣類があまり生えていないことが分かりました。
つまり、地衣類はただ単に「そこにあるもの」に無差別に生えるのではなく、明らかに「化石の骨」を好んで選んでいる可能性が示されたのです。
実際、研究チームが観察した最も顕著な例では、地表に露出した化石骨の表面のおよそ50%が地衣類で覆われていましたが、そのすぐ隣にある普通の岩石では1%未満しか地衣類が生えていないと報告されています。
これはかなり驚くべき差と言えるでしょう。
撮影された現地の写真を見ても、大きな恐竜の骨がオレンジ色の地衣類でびっしり覆われている一方、そのすぐ周囲の地面にはほとんど地衣類がない様子が明確に映っています。
先にも触れたように、まるで骨が特別な魅力を持っているかのように地衣類が選択的に生えることが、視覚的にも確認されたのです。
研究チームは、ここで「色」に注目しました。
地衣類や化石の表面は、それぞれ特有の「光の反射パターン(スペクトル)」を持っています。
これは、地表が光を受け取って、それをどの色の光として跳ね返すかという性質です。
実際に地衣類の反射パターンを調べてみると、地衣類は青い光(波長400〜500ナノメートル付近)をあまり反射しませんでしたが、逆に赤外線(近赤外から短波赤外の波長800〜1400ナノメートル付近)では非常によく反射することが分かりました。
これに対し、化石の骨そのものやその周囲の岩石、砂地などは、こうした特有の反射パターンがなく、すべて似たような反射をしていました。
そのため、人の目や普通のカメラでは化石の骨を見つけるのは難しいのです。
ここで研究チームは、「地衣類だけが持つ特別な反射パターン」を利用するアイデアを思いつきました。
その反射パターンを目印にすれば、地衣類が覆っている化石の骨を空からでも見つけられるかもしれないと考えたのです。
これを可能にするために開発されたのが、地衣類特有の反射パターンを画像データから識別する「LSR/NDLI」という新しい解析手法です。
いよいよこの手法を使って、研究チームはドローンを飛ばして実際に空中から化石を探す実験を行いました。
ドローンには特殊なカメラを取り付けて、上空約30メートルから地表を撮影しました。
その撮影した写真をこの新しい手法で解析したところ、地表に露出している地衣類に覆われた化石の位置を、ドローンが未学習分類(あらかじめ教えなくても自動でグループ分けする方法)で抽出することに成功しました。
最後に、研究者たちはなぜ地衣類がここまで化石の骨に好んで生えるのかを考察しました。
恐竜の骨には微細な穴がたくさんあり、そこに水分や栄養素を貯め込むことができるため、地衣類にとって最適な「居住地」になるのではないかと考えられています。
さらに、骨の表面はアルカリ性でカルシウムなどのミネラル分が豊富であり、これが地衣類の好む環境条件にも一致しています。
まさに、化石の骨は地衣類にとって栄養が豊富な「貯水タンク付きのオアシス」のような存在だったのです。
化石探しに革命を起こす
化石探しに革命を起こす / Credit:Canva
今回の研究で明らかになったのは、オレンジ色の地衣類という現代の小さな生き物が、約7500万年前に生きていた恐竜の遺骸(化石)の...
早稲田大学 英語Podcast番組「Rigorous Research, Real Impact」 第2シーズン エピソード4 配信開始
“Market Makers: The Politics of Market Design”
早稲田大学(東京都新宿区、総長:田中愛治)は、英語Podcast番組「Rigorous Research, Real Impact」の新エピソード「Market Makers: The Politics of Market Design」を2025年11月4日に配信を開始しました。スマートフォン専用アプリやインターネット、Spotify、Apple Podcasts、Amazon Music、YouTubeの各プラットフォームを通じて、「無料」で聞くことが出来ます。
エピソード 4: “Market Makers: The Politics of Market Design”
エピソード4は、政治経済学術院 のセドン ジャック 准教授をゲストに迎え、MCを務める経済学研究科博士後期課程学生のファビアン氏とともに、「グローバル経済の隠れた構造」について探ります。セドン准教授は、ロンドン金属取引所を題材とした自身の研究をもとに、国際市場が経済的要因だけではなく、政治的な力関係や制度設計によって形づけられているこ
...more とを明らかにします。
また、資本市場弁護士から研究者へと転身したセドン准教授のキャリアの歩みや、日本での仕事の経験、そして政治経済学術院の英語学位プログラムが国際政治経済を学ぶ上で特に魅力的である理由についても語ります。
“Waseda University Podcasts: Rigorous Research, Real Impact”
○Apple Podcasts
○Spotify
○Amazon Music
○YouTube
○Waseda University Website
第2シーズンについて
早稲田大学の英語のPodcast番組、「Waseda University Podcasts: Rigorous Research, Real Impact」の第2シーズンは、全8回の15分ほどのエピソードでお送りします。優れた研究者をゲストとして招き、最近取り組んでいる研究内容、日本にある早稲田大学での研究者・教員としての活動、そして、早稲田の英語学位プログラムの魅力について語り、紹介していきます。日本の社会言語学的コンテキストにおける「トランスランゲージ」の概念、ゲームデザイナーのレジェンド小島秀夫氏、複合的な平和構築など、幅広いテーマを取扱います。日本の大学への進学を検討しているリスナー、大学院でのさらなる学びを考えている現役学生、そして学際的アプローチを重視する大学で働くことを検討している研究者などにとって最適な番組です。
エピソード配信スケジュール(予定)
エピソードは2週間ごとに1本ずつ配信します。 ※予定は変更となる場合があります。
■エピソード5(配信日: 2025年11月18日):
香川 めぐみ 准教授 (社会科学総合学術院)
“Hybrid Peacebuilding: Local Voices in Conflict Resolution”
■エピソード6(配信日: 2025年12月2日):
ピタルク パウ 准教授 (文学学術院)—
“Authors, Abnormality, and Identity in Modern Japan”
■エピソード7(配信日: 2025年12月16日):
コアド アレックス 教授 (商学学術院)—
“University vs. Corporate Startups: A Tale of Two Entrepreneurial Paths”早稲田大学について 早稲田大学では現在6学部と15研究科で英語学位プログラムを提供しています。日本学生支援機構(JASSO)の2024年の報告では早稲田大学は日本国内で最も多くの留学生を毎年受け入れていることが報告されています(※1)。さらに、QS世界大学ランキング(分野別)2024では、早稲田大学は人文・芸術系(総合順位65位)および社会科学・経営系(総合順位99位)の広い分野で世界トップ100にランクインしています(※2)。
(※1)https://www.studyinjapan.go.jp/ja/_mt/2025/04/data2024z.pdf
(※2)https://www.waseda.jp/top/en/news/83700