皮膚を”透明”にする最短の方法が見つかったようです。
米スタンフォード大学(SU)、テキサス大学ダラス校(UTD)らが2024年に発表した研究では、マウスに食用着色料を塗るだけで、皮膚を透明化し、血管や内臓の動きを観察することに成功したといいます。
この食用着色料はスナック菓子やシロップなどに普通に使われている「タートラジン」です。
しかもタートラジンを洗い流せば、皮膚はすぐ元通りになるので、安全かつ簡単な医療ツールとしての応用が期待されています。
しかし、なぜ食用着色料を塗るだけで皮膚は透明になったのでしょうか?
研究の詳細は2024年9月6日付で科学雑誌『Science』に掲載されています。
目次
どうして皮膚は「透視」できないのか?皮膚の「透明化」に成功!ヒトでも可能か?
どうして皮膚は「透視」できないのか?
Credit: canva
私たちの体は頑丈な皮膚に覆われており、その奥を透かし見ることはできません。
表に現れている太い血管などは見えますが、骨や筋肉の繊維の一本一本を見ることは不可能です。
これにはれっきとした物理的な理由があります。
私たちの皮膚は、液体やタンパク質、脂肪といった様々な物質がぎっちりと密に詰まった状態にあります。
そしてこれら液体・タンパク質・脂肪などは光を曲げる屈折率がバラバラです。
具体的には、体液の水溶性部分は屈折率が低く、タンパク質や
...more 脂肪の部分は屈折率が高くなっています。
こうした屈折率の違いが光を皮膚上で散乱させることで、不透明な状態となるのです。
皮膚を透明にするアイデア
しかしこの物理的な仕組みは逆に「光の屈折率を一致させれば、皮膚を透明にできる」ことを意味しているかもしれません。
そこで研究チームはこんな仮説を立ててみました。
「生きた皮膚に光を強く吸収する染料を染み込ませれば、皮膚全体の屈折率が一定に近づいて、光を散乱させずに中身を透かし見ることができるのではないか」
このアイデアをわかりやすくイメージ化したものがこちらです。
Credit: Zihao Ou et al., Science(2024)
このアイデア実現のためにチームはまず、マウスの皮膚組織と光の相互作用を様々に変える化学物質を調べ、いくつかの候補をピックアップ。
その中から、スナック菓子やシロップの食用着色料として一般的に使われている「タートラジン(通称・黄色4号)」が最良の候補として選ばれました。
研究者によると「タートラジンは光を吸収する強い性質を持ち、水に溶かすと、その水がまるで脂肪のように光を曲げた」という。
つまりタートラジン溶液を皮膚に染み込ませると、液体部分と脂肪部分の屈折率が一致して透明化が期待できるのです。
チームはこの実証テストを行いました。
皮膚の「透明化」に成功!ヒトでも可能か?
チームは最初の検証段階として、薄くスライスした鶏むね肉にタートラジン溶液を染み込ませて、透明になるかを試してみました。
すると、ご覧ください。
下図の左は実験前、右は実験後ですが、右のタートラジンを塗り込んだ方は下に置いた「スタンフォード」の字がしっかりと透けて見えるようになったのです。
鶏むね肉にタートラジンを塗布した実験 / Credit: Zihao Ou et al., Science(2024)
研究者の説明では、タートラジン溶液を塗ってから数分ほどで透明化が起こったといいます。
では次に、生きたマウスを対象に、一時的に毛を剃った皮膚にタートラジン溶液を塗り込みました。
最初に頭皮で行った実験の結果、タートラジンが皮膚全体に染み込むと、ものの見事に頭皮が透明化し、中が透けて見えるようになったのです。
頭蓋骨の表面を走る血管を皮膚ごしに0.001ミリメートルの解像度で見ることができました。
さらに同じ実験をマウスの腹部でも行っています。
Credit: Zihao Ou et al., Science(2024)
結果は同様に、わずか数分以内で腹部の透明化が起こり、体内の肝臓や小腸、膀胱といった臓器をはっきりと識別することができたのです。
これは生きたまま内臓の動きを見ることができる点で、生体を傷つけない非侵襲的な医療ツールになると期待されています。
こちらはマウスの腹部を透明化した実際の画像ですが、刺激的な内容のためボカシを入れています。(※ボカシなしはこちらから。)
Credit: Zihao Ou et al., Science(2024)
洗い流せば元通りに!
さらに重要なポイントは、マウスの皮膚を水で洗い流せば、皮膚の状態が元通りになったことです。
加えて、体内に吸収されてしまった余分なタートラジンも、塗布から48時間以内に尿となって体外に排出されることが確認されました。
またタートラジンの塗布によってわずかな炎症こそ見られたものの、それ以外は健康に悪影響もありませんでした。
この結果を踏まえて、タートラジンによる透明化は安全かつ簡単な方法として、医療目的に利用できると結論されています。
こちらは人体にタートラジンを塗った場合のシミュレーション映像です。
その一方で、この方法が私たちヒトにも応用できるかどうかは実証されていません。
そもそも私たちの皮膚はマウスの皮膚よりも数倍厚いため、タートラジンが皮膚の深層まで吸収されにくいと予想されます。
またタートラジンの塗布量も必然的に多くなりますが、それに伴う害悪はないのかどうかも確かめなければなりません。
しかしこれらの点がクリアになり、人体にも応用できると実証されれば、体内の様子を安全かつ安価に見る方法として医療界に革命を起こすと期待されています。
全ての画像を見る参考文献Researchers make mouse skin transparent using a common food dyehttps://news.stanford.edu/stories/2024/09/using-a-common-food-dye-researchers-made-mouse-skin-transparentResearchers Create Solution That Makes Living Skin Transparenthttps://news.utdallas.edu/science-technology/yellow-dye-solution-transparent-skin-2024/A window into the body: groundbreaking technique makes skin transparenthttps://new.nsf.gov/news/window-into-body-invisible-skin元論文Achieving optical transparency in live animals with absorbing moleculeshttps://www.science.org/doi/10.1126/science.adm6869ライター大石航樹: 愛媛県生まれ。大学で福岡に移り、大学院ではフランス哲学を学びました。
他に、生物学や歴史学が好きで、本サイトでは主に、動植物や歴史・考古学系の記事を担当しています。
趣味は映画鑑賞で、月に30〜40本観ることも。編集者ナゾロジー 編集部...
地球から100億光年彼方で発生したブラックホール同士の衝突――。
東京大学、米カリフォルニア工科大学(Caltech)らを中心とする国際研究チームは、この衝突によって発生した重力波を調べた結果、観測史上最大となるブラックホールの合体であることを確認しました。
合体の結果として、なんと太陽質量の225倍もの新たなブラックホールが誕生したと見られています。
目次
観測史上最大のブラックホール合体理論の限界を突き破る「怪物」の正体とは
観測史上最大のブラックホール合体
2023年11月23日、米ワシントン州とルイジアナ州にある重力波観測施設「LIGO(ライゴ)」の検出器が、わずか0.1秒の異変を記録しました。
それは2つの超大質量ブラックホールが衝突・合体したことで生じた重力波によるものでした。
この重力波の信号は、他にもイタリアの「Virgo(バーゴ)」、日本の「KAGRA(かぐら)」といった観測施設と共同で解析され、国際研究チームによって驚くべき事実が明らかとなりました。
合体したブラックホールは、それぞれ太陽質量の約100倍と約140倍という並外れた質量を持ち、その衝突によって太陽質量の225倍以上という“怪物級”のブラックホールが誕生したのです。
本調査の概要図/ Credit: Simona J. Miller,Caltech
これまで観測された中で最も大きなブラックホー
...more ル合体は、2021年に検出されたGW190521で、最終質量は約140太陽質量とされていました。
今回の合体は、その記録を大きく塗り替える史上最大の出来事です。
しかもこの新たなブラックホールは、地球の40万倍の速さで自転していたことも明らかになっています。
理論の限界を突き破る「怪物」の正体とは
この発見がなぜ注目されるのかというと、「恒星の進化で生まれるブラックホールの質量には上限がある」とされてきた通説を打ち破る事例だからです。
一般的にブラックホールは、大質量の恒星が寿命を迎え、核融合が止まって自己崩壊するときに誕生します。
その際に生まれるブラックホールの質量は、太陽の数倍から数十倍程度が限界と考えられてきました。
つまり、100倍を超えるようなブラックホールは、通常の恒星進化モデルでは説明がつかないのです。
LIGOの検出器、左がワシントン州に、右がルイジアナ州にある/Credit: Caltech(2025)
この“質量の壁”を越えて存在するブラックホールの正体として、有力視されているのが「階層的合体(ハイアラーキカル・マージ)」です。
これは小さなブラックホール同士が何度も合体を繰り返し、最終的に超大質量のブラックホールが形成されるというシナリオです。
今回の観測も、まさにその証拠の一つと考えられます。
要するに、今回合体した2つのブラックホールもそれぞれ、以前により小さなブラックホール同士が合体して生まれた可能性があるということです。
本研究に参加したカーディフ大学のマーク・ハナム氏も「これは私たちが重力波で観測した中で最も質量の大きいブラックホール連星であり、ブラックホールの形成理論にとって大きな挑戦です」と述べています。
全ての画像を見る参考文献LIGO Detects Most Massive Black Hole Merger to Datehttps://www.caltech.edu/about/news/ligo-detects-most-massive-black-hole-merger-to-dateScientists detect biggest ever merger of two massive black holeshttps://www.theguardian.com/science/2025/jul/14/scientists-detect-biggest-ever-merger-of-two-massive-black-holesライター千野 真吾: 生物学に興味のあるWebライター。普段は読書をするのが趣味で、休みの日には野鳥や動物の写真を撮っています。編集者ナゾロジー 編集部
みなさんは「その場に止まって動かないでください」と言われたら、どれくらい我慢できるでしょうか?
おそらくは頑張っても数時間くらいでしょう。
しかし自然界には、信じがたいほど長い期間、微動だにしない生き物がいます。
それがヨーロッパの洞窟内に生息する不思議な両生類の「ホライモリ」です。
ハンガリーのエトヴェシュ・ロラーンド大学(ELTE)による2020年研究で、2659日間(約7年!)の追跡観察で数センチも動いていないホライモリが発見されたのです。
また他のホライモリも7年間で数メートルほどしか動いていませんでした。
なぜホライモリはこれほど極端に「省エネ」なのでしょうか?
研究の詳細は2020年1月28日付で科学雑誌『Journal of Zoology』に掲載されています。
目次
寿命100年を超える「ホライモリ」ってどんな生き物?7年間でほぼ動かない?ホライモリが選んだ“究極の生き方”
寿命100年を超える「ホライモリ」ってどんな生き物?
ホライモリ(学名:Proteus anguinus)は、ウーパールーパーと同じ有尾類に属する両生類です。
バルカン半島を中心とした地下の泉や洞窟の水路に生息しており、全身は白く、目は皮膚の下に埋もれており、まるで水中に漂う幽霊のような姿をしています。
この生物は、非常に特殊な環境に適応して進化してきました。
洞窟内は昼夜の変化がなく、気
...more 温も一定、栄養も極端に乏しい世界です。
ホライモリ/ Credit: ja.wikipedia
そんな厳しい環境に順応するために、ホライモリは「動かないこと」を極めたのです。
ホライモリの代謝は非常に低く、数年間まったく食べなくても死にません。
繁殖も非常にゆっくりで、生殖周期はなんと12.5年に1回、寿命は100年を超えることもあります。
彼らには生き急ぐ理由がまるでないのです。
その特徴的なライフスタイルに、科学者たちは古くから注目してきました。
ホライモリの存在は数百年も前から知られていましたが、その暮らしぶりについては、主に飼育環境での観察に限られており、野生下での本当の姿は長らく謎に包まれていたのです。
そんな中、2020年にハンガリーとイギリスの研究チームが、ボスニア・ヘルツェゴビナのゴリツァ地区の洞窟で、個体ごとにタグを付けて長期的な追跡調査を開始。
そこで目撃されたのが、まさに信じられない「不動の生き物」の姿でした。
7年間でほぼ動かない?ホライモリが選んだ“究極の生き方”
この調査では、野生の26匹のホライモリに個体識別タグをつけ、8年間にわたって同じ洞窟で定期的に再捕獲して位置を確認しました。
その結果、多くの個体が約5メートル以内の同じ場所にずっと留まり続けていたのです。
とりわけ驚かされたのは、1匹のホライモリが2,569日(約7年間)にわたり、まったく同じ場所から動いていなかったという事例です。
Credit: canva
もちろん、ホライモリには泳ぐ能力があり、本気を出せば数十メートルを一気に移動することも可能です。
にもかかわらず、実際にはほとんど動かなかった、その理由は何でしょうか?
まずひとつは「捕食者がいない」ことです。
洞窟内にホライモリを食べる生き物はいないため、逃げるための運動能力が必要がありません。
危険がなければ、エネルギーを消費してまで移動する必要はないのです。
またエサは水生昆虫や小型の甲殻類などですが、洞窟環境ではお互いに目が退化しているために、派手な狩りは行われず、エサが自分からそばにやってくるまで、ホライモリはひたすら待ち伏せ、機会が来れば一気に飲み込みます。
ホライモリは獲物が近くに来るまでじっと待ち伏せし、タイミングを見て一気に飲み込むという戦法をとります。
そのため、摂食のために移動する必要もほとんどないのです。
こうした理由から、ホライモリはエサがない間は代謝を限界まで落としエネルギー消費を抑えることで、数年間もエサを食べずに生きていける「省エネ生物」に進化したのです。
その結果、ホライモリは、野生環境においてナマケモノを遥かに上回る「不動性」を手に入れたのでしょう。
ただ、ホライモリの姿を見て「怠け者」と思うのは、人間の価値観にすぎません。
動かず、無駄を省き、最小限のエネルギーで長く生きる――それは洞窟という過酷で静かな世界で生き抜くために選ばれた、究極の生存戦略です。
そしてこの研究は「動かないことこそが環境適応の鍵になることもある」という、生き物の多様な進化の姿を教えてくれます。
人間が“忙しさ”を競う世界で、ホライモリは何年も同じ場所で、静かに、しかし確かに生き続けているのです。
全ての画像を見る参考文献Scientists Tracked An Olm For 2,569 Days And It Did Not Move An Inchhttps://www.iflscience.com/scientists-tracked-an-olm-for-2569-days-and-it-did-not-move-an-inch-79999元論文Extreme site fidelity of the olm (Proteus anguinus) revealed by a long-term capture–mark–recapture studyhttps://doi.org/10.1111/jzo.12760ライターナゾロジー 編集部編集者ナゾロジー 編集部...
まるで幽霊を捕まえるような科学的偉業が達成されました。
スイスのスイス連邦材料科学技術研究所(Empa)を中心とした国際研究チームによって、これまで理論上でのみ予測されていた特殊な構造が再現され、さらにその中に現れる幻の粒子「スピノン」の定在波パターンを初めて「可視化」することに成功しました。
この粒子は電子が持つ電荷と磁気の両方のうち磁気的な性質(スピン)だけが切り離され、まるで磁気だけを持つ幽霊のように物質内を動き回るという、極めて奇妙な特徴を持っており「スピンの幽霊」の異名を持ちます。
今回の発見は、単なる理論上の現象を超えて、量子コンピュータや新しい電子デバイスなど、最先端技術への応用の可能性を大きく広げる成果です。
「スピノン」がもたらす未来のテクノロジーとは一体どのようなものなのでしょうか?
研究内容の詳細は2025年3月14日に『Nature Materials』にて発表されました。
目次
磁石の謎から量子の幽霊へ「スピンの幽霊」を観測!量子物理学の100年の予言が的中「幽霊粒子」の観測は量子テクノロジーをどう変えるか?
磁石の謎から量子の幽霊へ
磁石の謎から量子の幽霊へ / Credit:川勝康弘
子どもの頃、磁石で遊んだ経験を持つ人は多いでしょう。
砂鉄を引きつけたり、磁石同士をくっつけたり反発させたり。
そんな身近な磁石ですが、その仕組みを科学的に理解する
...more 道のりは決して平坦ではありませんでした。
古代から磁石(天然の磁鉄鉱)の存在は知られていましたが、磁石が「なぜ」磁力を持つのか、その理由は長い間謎に包まれていました。
11世紀の中国では羅針盤として実用化されましたが、その磁力の根源は古典物理学では解明できず、20世紀初頭に登場した量子力学を待つ必要がありました。
量子力学が登場した1920年代、磁石の正体が徐々に明らかになっていきました。
その正体とは、物質の中にある電子が持つ「スピン」というミクロな磁石としての性質だったのです。
電子のスピンは非常に小さな磁石のように働き、そのスピン同士が一定の方向にそろって整然と並ぶと、物質全体が磁石として振る舞います。
一方、スピンがバラバラの方向を向いてしまうと、それぞれのスピンが生み出す磁力は打ち消しあい、磁石としての性質は失われてしまいます。
ある意味で、電子は電荷を運ぶ基本粒子であると同時に極小磁石でもあったわけです。
ところが、このスピンを詳しく調べる中で、科学者たちはさらに奇妙な予言に直面します。
電子1個のスピンの大きさは「1/2」という特定の値で決まっているのですが、通常、物質の中で一つの電子のスピンを反転させる(方向を逆向きにする)と、物質全体のスピンは「1」だけ変化します。
電子1つが動いたのに、物質全体では電子1つ分の「1/2」ではなく「1」だけスピンが変化するという、一見奇妙なことが起きていたのです。
これが量子磁石の世界の常識でした。
しかし理論物理学者たちは、特定の特殊な状況(例えば一次元の鎖のような構造)では、この常識が破られる可能性があることを指摘しました。
通常は物質のスピンが整数でしか変化しないのに、ある条件の下では「1/2」という半端な量だけスピンが変化することが理論上可能だと示されたのです。
この半端なスピンを物理学者たちは『スピノン』と名付けました。
このスピノンの性質もなかなかに異様なものです。
スピノンは通常の電子と異なり電子が持つ電荷(電気的性質)は全く持たず、磁力に関わるスピンだけを持つため、物質の中を自由に動き回っても電気的には検出できないという、まるで『スピンの幽霊』のような粒子です。
理論的には予測されていたものの、スピノンは特殊な性質ゆえに、実験でその姿を直接捉えることは非常に難しく、長年にわたり『捉えどころのない謎の粒子』とされてきました。
実際にスピノンを観測しようと試みても、従来の実験手法では大きな問題がありました。
通常の物質で電子のスピンをひっくり返すと、安定したスピンのペア構造が崩れ、常に二つのスピノンがペアで同時に生じてしまいます。
そのため、一つだけ孤立したスピノンを取り出して観察することができなかったのです。
この状況から、「スピノンは必ずペアで現れ、単独では存在しない」と、実験物理学者たちは長年考えてきました。
こうした背景のもと、研究者たちは、理論的に予言されたこの不思議な粒子、スピノンを実験的に直接観測し、その謎を解明することに挑みました。
もし実験で孤立したスピノンを直接見ることができれば、量子力学が予測した不可思議な現象を裏付けることになり、さらには量子磁石にまつわる新たな物理現象の発見へと繋がるかもしれません。
そこで今回研究者たちは、『スピンの幽霊』を捕まえる試みに挑むことになりました。
研究者たちはこれまで誰も成功できなかった『スピンの幽霊』を、いったいどのような方法で捕まえたのでしょうか?
「スピンの幽霊」を観測!量子物理学の100年の予言が的中
「スピンの幽霊」を観測!量子物理学の100年の予言が的中 / スピンの幽霊を顕現させるための檻として機能する鎖構造/図(E、F、G)に示されているのは、オリンピセンと呼ばれる特殊なナノグラフェン分子を使って作られた人工的な「スピン鎖」の合成プロセスです。まず最初(E)、研究者たちはオリンピセン分子同士を化学的に連結して鎖状に並べました。その後(F)、この鎖状の分子を水素で処理(水素化)して安定化させ、スピンの性質が一時的に抑えられました。そして最後のステップ(G)では、特殊な顕微鏡の針先(STMチップ)を用いて選択的に水素を取り除くことで、再びスピンを活性化させました。これにより、スピノンという特殊な粒子を観察するための理想的な量子磁性鎖が完成したのです。・Credit:Spin excitations in nanographene-based antiferromagnetic spin-1/2 Heisenberg chains
どのようにして「スピンの幽霊」を捕らえたのか?
鍵となったのはナノグラフェン分子と呼ばれる特殊な分子です。
ナノグラフェンとは、炭素原子が蜂の巣状につながったグラフェンという物質を、ナノメートルサイズに切り出したものです。
このナノグラフェンはその形状によって様々な磁気的・電子的な性質を示します。
研究で用いられた「オリンピセン」という分子は、5つのベンゼン環が環状につながった構造をしていて、オリンピックの五輪マークを連想させる形状をしています。
このオリンピセンは1つの電子が対になっていない「非対電子スピン(S=1/2)」を持つ磁性分子で、スピノンを生み出す理論モデルに理想的な特徴を備えていました。
研究者たちはまず、このオリンピセンを1つ1つ丁寧に結びつけることで、人工的な「スピンの鎖」を作り上げました。
オリンピセン同士をまるでレゴブロックのようにつなげて並べていくと、それぞれのオリンピセンが持つ小さなスピン同士が互いに影響し合うことで、理論上予測されていたスピノンが出現する構造(1次元の反強磁性スピン鎖:ハイゼンベルク鎖)が作り出されます。
さらに研究者たちは、この鎖を長さの異なるいくつものバリエーション(5個や7個、最長では50個のスピン)で用意し詳細に観測しました。
そのために使われたのは、「走査型トンネル顕微鏡(STM)」という特殊な顕微鏡です。
走査型トンネル顕微鏡は非常に鋭い針先を物質に近づけ、わずかな電圧をかけて電流が流れる様子を調べることで、物質のミクロな性質を探ることができます。
研究チームはこの走査型トンネル顕微鏡を使ってオリンピセン鎖の一つひとつにごく小さな電圧を与え鎖の各位置における電流の強さを非常に精密にマッピングしました。
すると特に「奇数個のスピンを持つ鎖」(5個や7個など)では、電流の強さが交互に強弱の山谷パターンを描いていることが確認されました。
これはまさに理論が予測した「単一スピノンの定在波」と呼ばれるパターンに一致します。
【コラム】定在波パターンを可視化することがなぜスピノンを観測したことになるのか?
スピノンという不思議な粒子を実験で確認したとき、研究者たちは「定在波パターン」を画像として捉えました。でも、なぜこの「波」のような模様を撮影できたことが、「スピノンそのものを観察できた」ことになるのでしょうか?
まず、「定在波」というのは、文字通り「その場で止まっている波」のことを指します。水面に石を投げると、波は遠くまで広がっていきますが、もし池の両端が壁で囲まれていれば、波は進んだ...
千葉大学などの研究チーム、超高エネルギー宇宙線の主成分は陽子よりも重い原子核であることが示されたことで“40年来の議論に決着と共同発表。