2024年10月1日、自民党新総裁に選ばれた石破茂氏が内閣総理大臣に任命され、石破内閣が発足した。しかし、Xでは閣僚らがそろった記念写真が「だらしない」として話題となっている。さらに、首相官邸の公式サイトには、石破首相の身だしなみが修正された写真が掲載されているとして、注目を集めた。写真の修正について首相官邸の報道室は事実を認め、これまでも軽微な修正はしてきていると説明した。
自民党総裁選挙は決選投票を制した石破茂氏の当選で幕を閉じ、1日には早くも石破内閣が発足しました。そんな石破氏が首相となる前から、彼の「語り」に注目していたのが、生きづらさを抱える人たちの支援に取り組むジャーナリストの引地達也さんです。今回のメルマガ『ジャーナリスティックなやさしい未来』では、そんな「自らの言葉」で話し続けてきた石破首相の語りを「イシバナシ」と名付けた引地さんが、首相となった後も変わらず石破氏が「自分の言葉」で語ることを勧めています。
石破茂首相の「イシバナシ」が示す宮沢賢治「雨ニモ負ケズ」の世界観
9人が立候補した自民党総裁選挙は石破茂元幹事長が決選投票を制し、自民党総裁となり、国会を経て内閣総理大臣に就任した。
この欄で、その話しぶりを「イシバナシ」と書き、かつての私が体験した取材や石破氏との交流から得た感覚を伝えた。
コミュニケーションの間合いや声のトーンを変えて、聴き手と語り手を演出し、ミクロな描写をやがてマクロな国家観へと導く手法は落語にも似て聞きやすく、人を惹きつける魅力がある。
この弁舌のうまさに私も聞くたびに納得させられたが、いよいよその弁舌はこの国の行方を左右するところまできてしまった。
自民党、政権与党を率いる立場と、物事を客観視するスタイルは両立するのだろうか、と不安にもなる。
決選投票前の5分間の演説で要約された思いを持続させられるか、ここから
...moreが正念場なのだろう。
「イシバナシ」の語りとは、テレビでは司会者の質問に対し、ちょっと間を置き、自分のペースを保ち、「それはね」という雰囲気で語りだす。
終始、語りはゆっくりだから、聞いているほうにもストレスがかからない。
最近のコメントには年齢を重ねたことによる、「丸み」も帯びてきた。
決選投票前の5分間演説にはそのエッセンスが詰め込まれていた。
最初の時節の句はよどみなく、その後に切り出したのが謝罪だ。
これまで人間関係の希薄さ等、「人徳」のような課題が指摘されてきたが、この点を意識しての発言だろう。
「多くの足らざるところがあり、多くの方々の気持ちを傷つけたり、いろんな嫌な思いをされた方が多かったかと思います。自らの至らぬ点を心からお詫びを申し上げます」
ある報道はこの部分を聞いて投票を決した人もいた、と書く。
この点は、おそらく本質的に「何が悪かった」のか理解しているとは思えず(私はそれでよいと思っているのだが)、少し無理があるような気もしないでもない。
演説の目線でいけば、地元の鳥取の夏から始めたのは、演説をぐっと庶民に近づける効果があったと思われる。
「立候補への決意を表明しましたときに、私は育ちました地元の神社の前で出馬表明をいたしました。暑い日でした。
もう今から60年も前のことになります。夏休みでした。そこで夏祭りがありました。今ほど豊かではなかったけれど、そこには大勢の人の笑顔がありました。今ほど豊かではなかったかもしれないけれど、大勢の人が幸せそうでした。もう一度そういう日本を取り戻したいと思っています」
かつてにぎわっていた地方の夏祭りを想起させるこのフレーズは、国民の一定の年齢層には響くワードが散りばめられ、その情景から「日本」を語れば、おのずと感情的になってくる。
この後、お互いに悪口を言わないようにしようと呼びかけるのは、もはや宮沢賢治が示す世界観に近づいてくる。
「お互いが悪口を言い合ったり、足を引っ張ったりするのではなく、ともに助け合い、悲しい思いでいる人、苦しい思いでいる人、そういう人たちを助け合うような、そういう日本にしてまいりたいと思っております」
最後の5分間のスピーチで語った「夏まつり」「幸せ」「にぎわい」「悪口」。
誰もが親近感のわく言葉の数々に思いを込めたことで、この「落語」も完成したように思う。
しかし前回の本欄で「無派閥で傍流にいる発言者として、メディアとしては頼もしい存在」と表現した石破氏は今や首相。
就任の会見では用意した原稿を読み上げる格好になり、その弁舌は鳴りを潜めた。
質疑への応答では、自分の言葉で語る場面で、「イシバナシ」の一端をのぞかせたが、やはり安全運転に終始し、面白いものにはならなかった。
石破首相にはこれまで通り語り続けてほしい。
自分の言葉で語りを続けることは、政治への関心が高まることにつながると思うのだが、どうだろうか。
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image by: 石破茂 - Home | Facebook
MAG2 NEWS
石破茂首相(自民党総裁)のウソが早くも目立ちはじめた。戦後最短となる解散表明、裏金議員の衆院選公認、比例代表との重複立候補容認、国会での予算委員会拒否、日銀追加利上げへの否定的な見解など、いずれもつい先日まで安倍政治を批判してきた人物とは思えない変節ぶりだ。なぜ石破氏の虚言癖はこれほど急速に悪化したのか。石破退陣シナリオも浮上する中、衆院解散・総選挙にむけた今後の注目点を元全国紙社会部記者の新 恭氏が解説する。(メルマガ『国家権力&メディア一刀両断』より)※本記事のタイトル・見出しはMAG2NEWS編集部によるものです/原題:党内基盤なき石破首相。右派からは早くも「倒閣」の声
反日左翼と言われても舌鋒鋭かった“党内野党”石破氏だが
自民党が党の刷新を掲げて繰り広げた総裁選は、長らく“党内野党”のレッテルで冷遇されてきた石破茂氏を選出する意外な結果となった。
消去法で最後に残ったのが石破氏。そう評されるほど待望感が薄いなか、党役員人事、組閣が行われ、石破首相の新政権が船出した。しかし早くもその先行きを不安視する声が上がっている。
石破氏は軍事オタクといわれるほどのタカ派でありながら、保守論壇やネット右翼から「反日だ」「左翼だ」と攻撃されてきた。いわゆる“安倍政治”に対し真っ当に物申せる存在であろうとし、メディアの期待に応えて政権批判的なコメントを繰り返してきたためだ。党内でも「
...more後ろから鉄砲を撃つ」などという石破評がしばしば聞かれる。
安倍・菅政権時代に自民党を支持していた岩盤保守層の人々は、岸田政権の誕生後、自民党から離反する動きを見せていたが、石破内閣のスタートによって、それに拍車がかかるのではないかという見方が強い。
総裁選の開票終了後、高市早苗総裁の誕生を心待ちにしていた保守論壇には沈痛な空気が広がった。以下は、櫻井よしこ氏が主宰するYouTubeチャンネル「櫻LIVE」の一コマだ。
「総裁選の中継を見ながら番組をやっていて、結果が出るまで盛り上がっていたんですが、一気にお通夜みたいになっちゃって」(花田紀凱・月刊Hanada編集長)
「天の声にも変な声があるというやつですね」(政治ジャーナリスト、石橋文登氏)
1回目の投票では高市氏が181票を集めトップに立った。2位は154票の石破氏だ。二人の決選投票。ついに、初の女性総理の誕生かと思われた。
だが、決選投票になって、どんでん返しが起きた。それを仕掛けたのは、岸田首相(当時)だった。
岸田前総理の名誉欲を読み誤った、高市氏と麻生氏
旧岸田派から出馬した林芳正官房長官と上川陽子外相はいずれも決選投票には進めず、旧岸田派の票がキャスティングボートを握る状況が生まれた。直前まで仲間と協議していた首相は、「高市さんでは政策が合わない」と周囲に語り、決選投票に残る可能性が高かった石破氏か小泉氏のいずれかに投票するよう伝達したという。(9月28日朝日新聞朝刊)
これにより、林、上川両陣営に集まった国会議員票は決選投票で石破氏に流れることになった。まさに派閥パワー全開である。高市氏は政治信条の異なる岸田首相に対し、つねに冷ややかな視線を向けてきた。岸田首相にとっては気にくわないヤツなのだ。
筆者はこれまで当メルマガにおいて、「総裁選ショー」のプロデューサーの一人として森山裕総務会長(現幹事長)の名を挙げてきた。だが、森山氏に全体的な方向性を示したのは岸田首相ではなかっただろうか。
岸田首相は歴史に名をとどめたいという思いが強い。麻生太郎副総裁(当時)の猛反対を押し切って、「派閥解消」へ動き、安倍派の解体にこぎつけたのは、これまで自分にたえずプレッシャーをかけ続けてきた存在への破壊衝動もあっただろうが、「党改革の先鞭をつけた宰相」の名誉に浴したい気持ちに駆られた面が強かったからに違いない。
そのために党内から反発を受け、総裁選出馬を断念することにもつながった。だからといって総裁選を党に任せっきりにしないのが岸田流だ。総裁選で党の刷新姿勢を打ち出し、自分が言い出した「派閥解消」の意味を高めたい。そう考えたに違いない。
「派閥なき総裁選」は格好のフレーズだった。閣議で大臣たちに向けて多数の出馬を促したのは岸田首相だ。むろん、当初のシナリオは変更を余儀なくされた。“刷新感”の主役として小泉進次郎氏に期待したのだが、論戦力不足は隠しようもなく、人気が急落した。その代役として岸田氏や森山氏が目をつけたのが石破氏だった。
つまるところ今回の総裁選も、派閥領袖の好悪の感情や、権力への思惑が議員票を動かし、勝敗を左右するという点において、従来と基本的には変わりなかった。
麻生氏にマイナスに働いた、産経新聞の独自スクープ
「絶対に石破だけは許せない」と常々から石破氏を毛嫌いする麻生氏は、派内に河野太郎氏という候補者を抱えながら、決選投票に残りうる候補者として高市氏を選び、支援することを決めた。
産経新聞は9月26日深夜に以下のスクープ記事をウェブサイトに掲載した。
自民党の麻生太郎副総裁が、総裁選で高市早苗経済安全保障担当相を支持する意向を固め、岸田文雄首相らに伝えたことが分かった。(中略)麻生派は河野氏や上川陽子外相らに推薦人を出していたが、麻生氏は1回目の投票から高市氏を支援するよう同派議員に指示を出した。
この効果はもろに出た。河野氏の議員票は22にとどまり、高市氏は72票の議員票を集めた。予想より30票ほど多かった分が、麻生派から流れたものと思われる。高市氏は得票数トップに躍り出た。
麻生氏は安堵した。もし、決選投票に残る上位二人が石破氏と小泉氏になった場合、麻生氏は乗る“船”を見失ってしまう。高市氏なら、安倍元首相と同盟関係を続けたのと同じ感覚で支援することが可能と踏んだのであろう。
ところが、この産経の記事が麻生氏にとってはマイナスに働いた。麻生氏の号令を知った菅義偉元首相が、応援する小泉陣営の引き締めをはかるとともに、決選が高市、石破両氏の間で争われるケースにそなえて、石破氏との連携話をきっちり進めたからだ。
その結果、決選投票で石破氏には小泉、林、上川陣営の議員票がごっそり加わることになり、議員票数は1回目投票の46から189へとハネ上がった。勝ち馬に乗ってキングメーカーたらんとする岸田氏や菅氏の介入で状況は激変し、大逆転劇が生まれたのである。
麻生氏は、ともに高市氏に乗ろうと岸田首相に持ちかけていたらしい。しかし岸田氏は先述した通り石破支持を決めていたため、それを断った。麻生氏の完全なる敗北だった。
石破総理が急速に「ウソつき」になった理由
岸田、菅両氏に気を遣わねばならなくなった石破新首相は早くも壁にぶち当たった。総裁選では「国民に判断の材料を提供するのが新首相の責任だ」と予算委を経てから衆院を解散する意向を示していたのだが、一転して方針を変更した。
森山裕氏に幹事長への就任を要請したさい、森山氏から「衆院選をできるだけ急ぎ、総裁選の盛り上がりを活用してほしい」と進言され、その後、説得に応じたといわれている。
多くの候補者が勢ぞろいして総裁選を彩り、国民の関心を引きつける。その盛り上がりが冷めないうち、すなわち国民の目がくらんでいるうちに解散・総選挙を行って、勝利につなげる。それが、党内世論を汲んで岸田氏と森山氏が打ち合わせた「総裁選ショー」のシナリオだった。その完結のためにも、森山氏は10月中の総選挙を強く説いたのであろう。
石破氏は、9月30日、まだ首相になっていないにもかかわらず、「10月27日に総選挙を行いたい」と表明した。臨時国会(10月1日召集)の会期末は9日とし、その日に衆院を解散するという日程も、森山幹事長の主導で決められた。27日に投開票を行うには全国の選管の準備の都合上、一刻も早く日程を発表する必要があったというが、なんとも奇妙な話だ。
さて、悲願をかなえた石破首相にとって、最大の難問は挙党体制の構築だ。総裁選の決選投票で194票を獲得した高市早苗氏に総務会長就任を打診したが、あえなく断られた。幹事長だったら受けるつもりだったと高市陣営の誰かが言っていたというが、そんなオファーが来るわけもなく、眉唾物の話といっていい。
“安倍政治”の継承者として高市氏を支持する岩盤保守層が、石破政権に高市氏が組み込まれることを望まないからではないだろうか。党内基盤が弱い高市氏が政治活動を進めるうえで、岩盤保守層の強力な支援は絶対に欠かすことのできない条件である。
石破退陣シナリオも浮上。衆院解散・総選挙の注目点
右寄りの立場から見ると、石破首相は“アンチ安倍”の左翼的政治家に映るらしく、党内...
3日実施の毎日新聞世論調査で石破内閣の顔ぶれを評価するかどうかを聞いた。最も多かった回答は「わからない」の45%で「評価しない」は41%。「評価する」は14%にとどまった。
政府は3日の臨時閣議で、石破内閣の副大臣、政務官人事を決定した。自民党では前任者の入閣に伴い、副財務相に斎藤洋明衆院議員、副文部科学相に武部新衆院議員を新たに起用したが、27日投開票の衆院選を控えているため、自民の副大臣・政務官の大半は再任された。