「拡大自殺」と呼ばれる事件――自分自身が命を絶つ前に他者を道連れに殺害するケース――が報道で目立っています。
最近では大阪のクリニック放火事件をはじめ、無差別刺傷や放火の後に犯人自身も死亡(自殺や意図的に死亡)する事件が相次ぎ、この言葉が日常的に使われるようになりました。
一見すると、見知らぬ他人を巻き添えにして自らも死を選ぶ行為は、常識では理解しがたい“非合理”なものです。
「なぜ他人まで道連れにするのか?」「なぜそんな残酷な選択を?」――誰もが感じる疑問でしょう。
実は、この極端な行動にも何らかの「理由」やメカニズムが潜んでいる可能性があります。
進化生物学や進化心理学の視点から見ると、人間のどんな行動も私たちの祖先が生き延び繁殖する中で形作られた心理メカニズムの産物だと考えられます。
ダーウィンは「自然淘汰はその個体に有害でしかない構造を生み出すことは決してない」と述べました。
では、自分自身に致命的な害を及ぼす自殺や、他人を巻き込む拡大自殺は、どのように説明できるのでしょうか。
本コラムでは、従来の社会心理学的な解釈と対比しながら、進化の観点で拡大自殺という行動を読み解き、その裏に潜む“意外な合理性”に迫ります。
目次
拡大自殺とは何か:その概念と歴史拡大自殺を心理学的に考えた場合進化の観点から拡大自殺を考える非合理な行動に潜む“合理性”をどう見るか
拡大自殺とは何か
...more:その概念と歴史
拡大自殺とは何か:その概念と歴史 / Credit:clip studio . 川勝康弘
拡大自殺とは大まかに言えば、殺人を行った後(または同時に)自殺する行為を指します。
犯人が自分の自殺に他者を(相手の同意なく)巻き込むため、英語では「extended suicide(拡大された自殺)」とも呼ばれます。
要するに、自分一人で死ぬのではなく、他者を道連れにして死のうとする行動です。
精神医学の用語であり、診断名というより現象の名前として1990年代から欧米で使われ始めました。
中でも最も際立っているのは、アメリカで頻発する銃乱射事件(マス・シューティング)のなかにみられます。
多くの銃乱射犯が犯行後に自殺したり、警察に射殺されるケースが多いからです。
研究によれば、公開銃乱射事件の加害者の約半数は犯行に自殺念慮が結び付いています。
こうした犯人たちは犯行そのものを“死に場所”として選び、「栄光の炎の中で死ぬ」と語った例もあります。
「自分一人で死ぬのは馬鹿馬鹿しい。どうせなら大勢巻き添えにしてやる」「死にきれないから死刑になりたい」という心理が垣間見える場合もあり、動機は利他的というより復讐的・攻撃的です。
日本の無差別殺傷事件でも、「複数の人を殺せば死刑になると思った」と自供した例や、「一番手っ取り早く他人に殺してもらえる方法として人を殺した」という例が報告されています。
他にも典型的な拡大自殺にはいくつかパターンがあります。
ひとつは家族や親しい人を巻き添えにするタイプで、いわゆる無理心中(例えば親が子を殺して自殺するケース)も広い意味で含まれます。
犯人自身が「自分が死んだ後に残される家族がかわいそうだ」「この人を一人残しておけない」といった偽りの利他的動機を語ることもあります。
このように、拡大自殺は一言で言っても動機の種類や対象の選び方によって様々な形態があり得ます。
そのため厳密な定義や分類には議論もありますが、今回は「他者を殺めた後に自死する行為全般」にフォーカスしていきます。
拡大自殺を心理学的に考えた場合
拡大自殺を心理学的に考えた場合 / Credit:clip studio . 川勝康弘
拡大自殺に至るまでの典型的な心理社会的背景をまとめると、まず長期間にわたる欲求不満や社会的孤立、人生の挫折体験(失職、破産、離別など)による深い絶望があります。
拡大自殺を図る人々は決まって「自分の人生はもう終わりだ」「何もかも嫌になった」という強い自殺願望を抱えています。
実際、そうした事件の犯人の多くが事前に繰り返し自殺を試みていたり、自殺したい旨を周囲に漏らしていたことが報告されています。
では、そこでなぜ「一人で」自殺せず「他人を道連れに」してしまうのか。
その分岐点には復讐心の強さが大きく関与すると指摘されています。
元来、自殺願望というのは心理学的に見ると「他人への攻撃衝動が自分自身に反転したもの」だと言われます。
何らかの形で他者(いじめ加害者や社会そのもの)に怒りや恨みを抱えていても、それを直接ぶつけることができない無力感ゆえに矛先が自分に向かい、「自分が消えるしかない」という思いになる――これが通常の自殺の裏に潜むメカニズムの一つです。
ところが、絶望から生じた自殺願望の矛先がもう一度反転して外部の他者に再度向け直されることも起こり得ます。
こうして「道連れに他人も殺してやる」という発想に至ったとき、拡大自殺のシナリオが現実味を帯びてしまうのです。
その際、「自分だけ不幸なまま死ぬのは嫌だ」「一人で死んでたまるか」という強い怨念や、「どうせ死ぬなら少しでもやり返したい」という復讐心がエスカレートしているほど、実際に他者への無差別な攻撃行動に踏み切りやすくなるといいます。
もちろん、拡大自殺に至る要因はケースによって様々であり、精神疾患(妄想や統合失調症状など)の関与が指摘される例もあります。
しかし全体として見ると、「強い孤立感・喪失感による絶望」と「外部への攻撃的な責任転嫁」が重なった状況が共通して見られます。
専門家も「欲求不満が強く孤独な人ほど『自分の不幸は他人のせいだ』と他責的な思考に陥り、社会への復讐願望を募らせやすい」と指摘しています。
まさに、絶望(自殺念慮)と怒り(攻撃念慮)が結びついたとき、拡大自殺という最悪の形で噴出しやすいということです。
ではここからは視点を変えて、進化生物学・進化心理学の観点から拡大自殺を考えてみましょう。
人間の心の働きは進化の歴史の中で形成されてきました。
したがって、一見非合理に見える行動でも、進化的な文脈で「それがなぜ生じ得るか」を検討すると意外な論理が見えてきます。
以下に、拡大自殺やそのベースとなる自殺という現象について進化論の立場から分析したいと思います。
進化と自殺、そして拡大自殺はいったいどのように関係しているのでしょうか?
進化の観点から拡大自殺を考える
進化の観点から拡大自殺を考える / Credit:clip studio . 川勝康弘
自殺の非合理と合理
進化生物学には「包括適応度(inclusive fitness)」という概念があります。
これは、自分自身の子孫を残す直接の繁殖成功(個人適応度)に加え、遺伝的に近い他者(血縁者)の繁殖を助けることも遺伝子の存続に寄与するという概念です。
例えば、ハチやアリなどの社会性昆虫では、働きバチが自ら繁殖せず女王や姉妹のために犠牲になる行動が進化しています。
人間でも、親族を助ける行動は進化的に利他的な戦略として説明されます。
この理論を自殺に当てはめ、「自分が生きていることで親族にとってマイナスが大きい状況では、自己を取り除く(=自殺する)ことでかえって遺伝的利益が増す」という仮説が提唱されています。
心理学者デビッド・デ・カタンツァロは包括適応度理論に基づき、個人の残りの繁殖可能性と家族への負担を数値化する数式まで提案しまし。
その数式によれば、「繁殖の見込みが極めて低く、家族への経済的・情緒的負担が大きい」と主観的に感じられる場合、自己保存本能が弱まり自殺念慮が高まるとされます。
実際、社会的孤立感や家族に対する“重荷感”は自殺念慮と相関することが報告されています。
また、一部の自殺者が「自分が身を引いた方が家族のため」「保険金で家族が楽になる」といった発言を残すように、自殺行動を自ら“親族への献身”として正当化する場合もあります。
極限状況下での“利他的な自殺”の実例も知られています。
歴史的に、イヌイット(エスキモー)社会では食糧事情が極端に悪化した際、老齢者や重病者が自発的に命を絶つ(あるいは他者に殺してもらう)風習があったと報告されています。
これは自分が生き残ろうとすれば子や孫世代が餓える可能性があるため、「自分が犠牲になれば一族全体の生存機会が上がる」という考えに基づくものです。
このように、本人にとっては生き延びるよりも死んだ方が“合理的”とさえ思える心理状態が、進化的適応の文脈で説明できるケースも存在するのです。
ただし注意したいのは、人間の自殺の大半は病的な鬱や追い詰められた環境による“適応機能の誤作動”と考え...
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