開巻から不穏極まりない音が神経を逆撫でする。全編モノクローム、1.44:1の濃密な画面の中央に人物を配する構図を基本に、光と闇の陰翳が暗澹たる時代に生きる苦しみを醸しだす。
第一次世界大戦直後の
第二次大戦期の超難解暗号マシン「エニグマ」に現代のAIが挑んでみた第二次大戦期の超難解暗号マシン「エニグマ」に現代のAIが挑んでみた2025.05.16 20:3025,201 Margherita Bassi - Gizmodo US [原文] ( 岩田リョウコ ) 今の技術が相当すごいってことを再確認。 1930年代〜40年代、数学者アラン・チューリングと連合国の暗号解読者たちは、ナチスが第二次世界大戦中に使用したドイツの...
新しい核分裂の世界が広がろうとしています。
日本の近畿大学(近畿大)で行われた研究によって、人類が比較的安定的に扱える最も重い99番元素アインスタイニウム(Es)にヘリウムを浴びせて101番元素メンデレビウム(Md)を作成し、その核分裂の挙動を調べたところ……予想外の新しい核分裂を行っていたことが示されました。
かつては観測データなどから、「質量数257を超える原子核ほど真っ二つ(対称的)に割れやすくなる」というパターンが知られていましたが、今回の観測では、むしろ大きさの違う破片(非対称核分裂)が増える傾向が見られたのです。
これは、原子核に隠された仕組みや“257の壁”と呼ばれてきた境界が、実は単純ではないことを示唆しています。
そしてこの変化こそが、まだ誰も見ぬ超重元素の存在限界や、星のなかで鉄より重い元素がどう生み出されるか――いわゆる「宇宙での元素誕生」の謎を解く、重要な手掛かりになりそうです。
研究内容の詳細は2025年04月21日に『Physical Review C』にて発表されました。
目次
超重元素研究の常識を打ち破る「人類が利用できる最も重い元素」が開いた未知の割れ目宇宙の元素工場に潜む逆転スイッチ
超重元素研究の常識を打ち破る
超重元素研究の常識を打ち破る / Credit:wikipedia
核分裂の現象が初めて明確に示されたのは1930年代末のことで
...moreす。
ドイツのオットー・ハーンとフリッツ・シュトラスマン、そしてリーゼ・マイトナーとオットー・フリッシュらの功績によって、「ウランの原子核に中性子照射を行うと、核が二つに割れてバリウムなどの元素を生じる」という衝撃的な発見が世に知られるようになりました。
そこから核分裂は一気に研究の中心に躍り出ます。
第二次世界大戦中に核エネルギー開発をめぐる国際競争が激化したことはもちろんですが、戦後は基礎科学の領域でも「原子核の内部構造はいったいどうなっているのか」「もっと重い元素でも同じように分裂するのか」など、さまざまな興味が広がっていきました。
核分裂には大きく分けて、破片がほぼ同じ大きさになる「対称核分裂」と、片方が大きくもう片方が小さい「非対称核分裂」があるとされています。
ウランやプルトニウムなどでは、主に非対称に割れることが多いのが知られた特徴です。
その一因として、“殻構造”と呼ばれる原子核内部の微妙なエネルギー配置が関係していると考えられます。
これは、ちょうど電子が特定の軌道に配置されるように、陽子や中性子にも安定しやすい“魔法数”のような組み合わせが存在する、というイメージです。
ところが、質量数が257を超えるさらに重い原子核を調べてみると、真っ二つな対称核分裂の割合が急増する現象がある程度確立された観測として示唆されてきました。
つまり、これより重い(あるいは中性子が多い)原子核では、一度に二つのほぼ同じ質量の破片に分かれやすい可能性が高いのです。
これは、“より重い核になると殻構造の影響が弱まり、液滴のような均一な塊として割れやすくなる”という見方を後押しするものでしたが、実際にはデータが非常に限られており、その理由や条件については謎が多く残されていました。
ここで大きな役割を果たすのが、99番元素アインスタイニウム(Es)です。
アインスタイニウムは1952年に南太平洋で行われた水素爆弾実験の残骸から初めて発見された“核実験生まれ”の元素です。現在でも年間に合計ミリグラム程度しか合成できず、主に米国オークリッジ国立研究所の高フラックス炉でナノグラム単位の試料が確保されるだけという超希少種です。Esはα線とγ線を絶えず放ち、自ら発熱して結晶格子を数週間で壊してしまうほどの放射線パワーを持ちます。アインスタイニウム熱中性子捕獲断面積は約3800 barnとウランを大きく上回り、炉内ではすぐより重いメンデレビウムへ育つため「超重元素製造の踏み石」にもなります。また重要な点としてアインスタイニウム-254は、半減期が275日と超重元素としては比較的長く、実験室で本格的な化学が行える“最後の元素”として研究者を魅了し続けています。
アインスタイニウムは核実験や高性能原子炉の中でごく少量だけ生成されるもので、「人類が何とか扱える限界に近いほど重い元素」と言われています。
そのアインスタイニウムにヘリウム粒子を衝突させると、101番元素メンデレビウム(Md)が合成できますが、このような重い元素は半減期が短く放射能も強いため、研究用のサンプルを準備するだけでも非常に困難です。
しかし、こうした極限状況を調べる意義はとても大きいです。
核分裂の仕組みがどう変化するかを正確に突き止めれば、「超重元素はどこまで存在しうるのか」「星のなかでどうやって金やウランのような重い元素がつくられるのか」という壮大な疑問に迫る手がかりになるからです。
実際、天体内の核反応では巨大なエネルギーと膨大な中性子の供給があり、高原子番号や中性子過剰の核種が生成されやすいと考えられています。
そこでの核分裂パターンがわかれば、なぜ宇宙にはこんなにも重い元素が存在するのか、あるいは周期表の先へどこまで新元素が続くのか、さらに明らかになるかもしれません。
そこで今回研究者たちは、最重量級のアインスタイニウム(254Es)を標的にヘリウム粒子を高速で衝突させ、メンデレビウム(258Md)を合成して核分裂の詳細を初めて大規模に測定するという大胆なアプローチを取りました。
こうして質量257の境界を超えた未知の核分裂領域に迫ることで、“常識を覆す”現象が次々に見えてきたのです。
「人類が利用できる最も重い元素」が開いた未知の割れ目
「人類が利用できる最も重い元素」が開いた未知の割れ目 / Credit:新しい「核分裂」の発見! 99番元素アインスタイニウムが導く元素の世界― 超重元素の存在限界と宇宙での元素合成の理解へ ―
アインスタイニウム(Einsteinium, 元素番号99)は、現代物理学の巨匠アルベルト・アインシュタイン(Albert Einstein)にちなんで名づけられた超ウラン元素の一つです。
初めて見つかったのは1952年に行われた大規模な水素爆弾実験の残留物からで、地球上に自然にはほとんど存在しません。
実験や高出力の原子炉などでわずかに合成されるだけなので、私たちが扱える数量は極めて限られています。
それでも今回の研究で用いられた「254番アインスタイニウム(254Es)」は、比較的長い半減期(約275.7日)を持ち、超重元素の中ではまだ“取り扱いが可能”な最後の砦といわれます。
アインスタイニウムが「人類が利用できる最も重い元素」ってどういう意味?
プレスリリースや国内外の共同研究グループではアインスタイニウムは「人類が利用できる最も重い元素」と紹介されています。アインスタイニウム溶液化・錯形成・分光測定といった“ふつうの化学操作”がギリギリ成立することがその根拠です。なおアインスタイニウム-252の半減期は471.7 日でアインスタイニウム-254の半減期 は275.7 日となっています。
ただ厳密にはより重い元素に対して行われる実験もあります。しかしその場合、原子1個レベルの実験だったり、ビーム状にするなど物理測定だけが可能な実験がメインとなり、半減期も多くが日単位から秒単位以下になってしまいます。このように、アインスタイニウムの“次”の世界は、「原子 1 個を秒速で追いかける科学」へと舞台を移し、周期表の最先端を切り拓いているのです。
この長めの半減期のおかげで、国際的な協力のもと微量を合成し、実験に使うことができました。
本研究チームはその254Esのわずか10ナノグラム(1グラムの1億分の1程度)という試料を、タンデム加速器と呼ばれる装置を使い、高エネルギーのヘリウム粒子(α粒子)と衝突させる手法をとりました。
放射能が強く取り扱いが難しいことを考慮しつつも、実験に耐えうる最小限の分量を用意できたのです。
ヘリウム粒子が254Esに衝突すると、いくつかの核反応を経て101番元素メンデレビウム(258Md)が生成されます。
そのメンデレビウム核(励起状態を「258Md*」と呼ぶ)が核分裂を起こす様子を詳しく測定することが、今回の研究の大きなポイントでした。
具体的には、メンデレビウムが割れて生じる「二つの核分裂片」を検出器で捉え、それぞれの速度と運動エネルギーを正確に測定します。
そうすることで、分裂片の質量(重さの比率)が対称的か非対称的かを見極めるのです。
さらにチームは、ヘリウム粒子を照...
自民党の西田昌司参院議員(66)が、沖縄戦で犠牲になった女子生徒らを慰霊する「ひめゆりの塔」の展示について「歴史の書き換え」にあたるなどと発言した問題。デタラメだらけの事実誤認を指摘され猛批判を浴びた西田氏は発言を修正し形ばかりの謝罪を行ったが、その後も「自分の言っていることは事実」だとして沖縄を愚弄しつづけている。戦後生まれの世襲議員ごときが、なぜここまで戦争体験者の証言を否定したがるのだろうか。元全国紙社会部記者の新 恭氏がその背景を詳しく解説する。(メルマガ『国家権力&メディア一刀両断』より)※本記事のタイトル・見出しはMAG2NEWS編集部によるものです/原題:内閣不信任案に後ろ向きな立憲民主に渦巻く国民民主への疑念
西田昌司参院議員(自民・京都府南区選出・1958年生まれ・バブル世代・世襲・エセ保守)が沖縄を見下す理由
自民党の西田昌司参院議員が、沖縄戦で犠牲となった「ひめゆり学徒隊」にまつわる慰霊碑「ひめゆりの塔」(糸満市)について放った発言が波紋を広げている。
舞台となったのは、5月3日に那覇市内で開かれた憲法関連シンポジウム。主催は日本会議沖縄県本部、沖縄県神社庁(※編註:神社本庁の地方機関)、神道政治連盟県本部で、自民党沖縄県連も共催に名を連ねていた。
西田氏といえば、積極財政派議員として知られ、舌鋒鋭く財務省を追及する姿が思い浮かぶが、右派の論客としても筋金入り
...moreだ。
日本会議、神道政治連盟、神社庁から、沖縄で憲法改正について語れというオファーを受け、どのような話がウケるかと考えて、問題の話に及んだのだろう。その内容は、RBC琉球放送が録画し、公開している。下記はその一部だ。
「われわれ自民党の議員が、間違ってきた戦後の教育、デタラメなことをやってきたというのをやらなきゃいけない」
「かつて私も何十年か前ですね、ひめゆりの塔、お参りに行ったことあるんですけれども。あそこ、今どうか知りませんけどひどいですね」
「ひめゆりの塔で亡くなった女学生の方々、たくさんおられるんですけれど、あの説明のしぶりを見ていてると、日本軍がね、どんどん入ってきて、ひめゆりの隊がね、死ぬことになっちゃったと。そして、アメリカが入ってきてね、沖縄は解放されたと。そういう文脈で書いてるじゃないですか・・・歴史を書き換えられるとこういうことになっちゃうわけですね」
「沖縄の場合にやっぱり地上戦の解釈を含めてですね、かなりむちゃくちゃな教育のされ方をしてますよね」
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西田氏のデタラメ歴史講義が絶賛される「内輪の会合」
まとめると、こういうことだろう。戦後の日本の歴史教育は間違っている。長年占領下にあった沖縄ではとりわけひどい。ひめゆりの塔の説明文には日本軍が悪いからひめゆりの女学生がたくさん死んで、米軍が入ってきたおかげで沖縄が解放されたと書かれているが、これは歴史の書き換えだ。
だが、ひめゆり平和祈念資料館の普天間朝佳館長は「過去にも現在にも、そのような展示はない」と明確に否定した。沖縄でそのような解釈の歴史が語られた事実もない。
西田氏は「何十年か前」にひめゆりの塔を訪れ、その時のおぼろげな記憶をもとに語ったようだが、そのいい加減さが墓穴を掘った。講演の前に、事実をしっかり確認すべきであっただろう。
もっとも、西田氏にしてみれば内輪の会合のようなもので、記者がいないことを関係者に確認してから話したというが、実際には地元メディアが入場していた。(次ページに続く)
「発言は撤回しない」はずが「公明党の抗議で即謝罪」の間抜けな対応
この発言が報道されると、県議会や遺族関係者らから批判の声が巻き起こった。西田氏は7日の記者会見で「事実を言っている」「撤回はしない」と開き直ったが、騒ぎは大きくなるばかりだった。
中央政界にも激震が走った。公明党の西田実仁幹事長は、自民党の森山裕幹事長と松山政司参院幹事長に強く抗議した。
さすがの西田昌司氏もこの動きに抗することはできず、9日になって一転、謝罪と発言の訂正・削除を表明した。
「沖縄県民・ひめゆりの塔の関係者のみなさんにおわびを申し上げると同時に、私の発言したところは訂正・削除させていただきたいと思います。本当に申し訳ございませんでした」
西田氏のフェイク体質は「歴史観」以前の問題
だが、問題は単なる「失言」ではない。発言の根底には、近年の保守論壇における歴史修正主義的な潮流が色濃く反映されている。
西田氏の講演は、「日本の戦後教育は東京裁判史観に基づいている」という認識から出発する。これは保守系論壇に共通するフレームであり、いわば「歴史の名誉回復」を掲げる政治運動の一部でもある。
「東京裁判史観」とは、第二次世界大戦後に連合国が日本の戦争責任を追及した「極東国際軍事裁判(東京裁判)」の判決やその論理に基づいた次のような歴史認識を指す。
《日本は侵略戦争を行い、アジア諸国に多大な被害を与えた加害者であり、軍部の暴走と、それを許した政治・社会体制が悲劇を招いた。日本国民にも一定の責任があり、再発防止には民主主義と平和主義の徹底が必要。》
これに対し、1950年代以降、以下のような批判が台頭してきた。
《「侵略」の定義が曖昧で、日本の行動を一方的に悪と断じた。米英仏などの植民地政策や原爆投下は不問にされた。自虐的な歴史観が日本人の誇りや国家意識を損なった。》
教育界やマスコミでは、今も依然として東京裁判史観をベースにした「反戦・平和教育」が主流だ。一方、保守の政治家や論壇では、東京裁判史観から脱却すべきという声が強く、教科書検定や靖国参拝などで繰り返し対立してきた。
だが、西田氏の発言は、歴史観というより先に、記憶の継承を軽んじているといえる。「ひめゆり平和祈念資料館」の展示内容を確かめもせず、自分勝手に理論をあてはめて批判する。イデオロギーが真実を見る目を曇らせていると解釈するほかない。(次ページに続く)
今も沖縄を愚弄する西田氏「自分の言っていることは事実だ」
資料館では、学徒たちの証言や遺書、手記をもとに、米軍と日本軍の双方の行動を含めて“体験の証言”として歴史を伝えている。
例えば、第三展示室では、生存者の証言映像や米軍の記録フィルムを通じて、1945年6月18日に出された「解散命令」により、学徒たちが戦場に放り出され、多くが命を落とした事実が紹介されている。
これらの展示は、戦争の悲惨さと命の尊さを後世に伝えるためのものであり、政治的な意図や偏向は見られない。西田氏の発言は、こうした努力を否定するものだ。
さらにここから問われるべきは、「国家が主導する歴史観」と「証言に基づく歴史記録」のいずれが公に語られるべきか、という根源的な問題である。
今回の西田氏の発言は、「政治家が慰霊碑や資料館の展示内容を“検閲”する」という、民主主義において最も危うい行為と受け止められても不思議ではない。
西田氏は発言についての謝罪と撤回を表明したが、同時に「自分の言っていることは事実だ」とも語り、姿勢は二重化している。「謝罪はするが、信念は変えない」というスタイルは、保守派政治家にとって定番とも言えるが、被害当事者や関係者にとっては納得のいかない態度でもある。
「歴史は勝者によって書かれる」という言葉がある。だが、真の民主主義においては、歴史は「体験者の声」によって紡がれるべきである。
ひめゆりの少女たちは、陸軍の人員不足を補うために戦場へと動員され、犠牲となった。せめてその事実だけは、政争の具とすべきではないのではないか。
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第二次世界大戦末期の1945年3月から終戦の直前まで続いた大阪の空襲被害についての資料展が、東京・新宿にある「帰還者たちの記憶ミュージアム」(平和祈念展示資料館)で開かれている。展示しているのは、ピースおおさか(大阪国際平和センター)が所蔵する空襲体験画や当時の写真、戦時下の市民生活がうかがえる日