自民党の西田昌司参院議員(66)が、沖縄戦で犠牲になった女子生徒らを慰霊する「ひめゆりの塔」の展示について「歴史の書き換え」にあたるなどと発言した問題。デタラメだらけの事実誤認を指摘され猛批判を浴びた西田氏は発言を修正し形ばかりの謝罪を行ったが、その後も「自分の言っていることは事実」だとして沖縄を愚弄しつづけている。戦後生まれの世襲議員ごときが、なぜここまで戦争体験者の証言を否定したがるのだろうか。元全国紙社会部記者の新 恭氏がその背景を詳しく解説する。(メルマガ『国家権力&メディア一刀両断』より)※本記事のタイトル・見出しはMAG2NEWS編集部によるものです/原題:内閣不信任案に後ろ向きな立憲民主に渦巻く国民民主への疑念
西田昌司参院議員(自民・京都府南区選出・1958年生まれ・バブル世代・世襲・エセ保守)が沖縄を見下す理由
自民党の西田昌司参院議員が、沖縄戦で犠牲となった「ひめゆり学徒隊」にまつわる慰霊碑「ひめゆりの塔」(糸満市)について放った発言が波紋を広げている。
舞台となったのは、5月3日に那覇市内で開かれた憲法関連シンポジウム。主催は日本会議沖縄県本部、沖縄県神社庁(※編註:神社本庁の地方機関)、神道政治連盟県本部で、自民党沖縄県連も共催に名を連ねていた。
西田氏といえば、積極財政派議員として知られ、舌鋒鋭く財務省を追及する姿が思い浮かぶが、右派の論客としても筋金入り
...moreだ。
日本会議、神道政治連盟、神社庁から、沖縄で憲法改正について語れというオファーを受け、どのような話がウケるかと考えて、問題の話に及んだのだろう。その内容は、RBC琉球放送が録画し、公開している。下記はその一部だ。
「われわれ自民党の議員が、間違ってきた戦後の教育、デタラメなことをやってきたというのをやらなきゃいけない」
「かつて私も何十年か前ですね、ひめゆりの塔、お参りに行ったことあるんですけれども。あそこ、今どうか知りませんけどひどいですね」
「ひめゆりの塔で亡くなった女学生の方々、たくさんおられるんですけれど、あの説明のしぶりを見ていてると、日本軍がね、どんどん入ってきて、ひめゆりの隊がね、死ぬことになっちゃったと。そして、アメリカが入ってきてね、沖縄は解放されたと。そういう文脈で書いてるじゃないですか・・・歴史を書き換えられるとこういうことになっちゃうわけですね」
「沖縄の場合にやっぱり地上戦の解釈を含めてですね、かなりむちゃくちゃな教育のされ方をしてますよね」
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西田氏のデタラメ歴史講義が絶賛される「内輪の会合」
まとめると、こういうことだろう。戦後の日本の歴史教育は間違っている。長年占領下にあった沖縄ではとりわけひどい。ひめゆりの塔の説明文には日本軍が悪いからひめゆりの女学生がたくさん死んで、米軍が入ってきたおかげで沖縄が解放されたと書かれているが、これは歴史の書き換えだ。
だが、ひめゆり平和祈念資料館の普天間朝佳館長は「過去にも現在にも、そのような展示はない」と明確に否定した。沖縄でそのような解釈の歴史が語られた事実もない。
西田氏は「何十年か前」にひめゆりの塔を訪れ、その時のおぼろげな記憶をもとに語ったようだが、そのいい加減さが墓穴を掘った。講演の前に、事実をしっかり確認すべきであっただろう。
もっとも、西田氏にしてみれば内輪の会合のようなもので、記者がいないことを関係者に確認してから話したというが、実際には地元メディアが入場していた。(次ページに続く)
「発言は撤回しない」はずが「公明党の抗議で即謝罪」の間抜けな対応
この発言が報道されると、県議会や遺族関係者らから批判の声が巻き起こった。西田氏は7日の記者会見で「事実を言っている」「撤回はしない」と開き直ったが、騒ぎは大きくなるばかりだった。
中央政界にも激震が走った。公明党の西田実仁幹事長は、自民党の森山裕幹事長と松山政司参院幹事長に強く抗議した。
さすがの西田昌司氏もこの動きに抗することはできず、9日になって一転、謝罪と発言の訂正・削除を表明した。
「沖縄県民・ひめゆりの塔の関係者のみなさんにおわびを申し上げると同時に、私の発言したところは訂正・削除させていただきたいと思います。本当に申し訳ございませんでした」
西田氏のフェイク体質は「歴史観」以前の問題
だが、問題は単なる「失言」ではない。発言の根底には、近年の保守論壇における歴史修正主義的な潮流が色濃く反映されている。
西田氏の講演は、「日本の戦後教育は東京裁判史観に基づいている」という認識から出発する。これは保守系論壇に共通するフレームであり、いわば「歴史の名誉回復」を掲げる政治運動の一部でもある。
「東京裁判史観」とは、第二次世界大戦後に連合国が日本の戦争責任を追及した「極東国際軍事裁判(東京裁判)」の判決やその論理に基づいた次のような歴史認識を指す。
《日本は侵略戦争を行い、アジア諸国に多大な被害を与えた加害者であり、軍部の暴走と、それを許した政治・社会体制が悲劇を招いた。日本国民にも一定の責任があり、再発防止には民主主義と平和主義の徹底が必要。》
これに対し、1950年代以降、以下のような批判が台頭してきた。
《「侵略」の定義が曖昧で、日本の行動を一方的に悪と断じた。米英仏などの植民地政策や原爆投下は不問にされた。自虐的な歴史観が日本人の誇りや国家意識を損なった。》
教育界やマスコミでは、今も依然として東京裁判史観をベースにした「反戦・平和教育」が主流だ。一方、保守の政治家や論壇では、東京裁判史観から脱却すべきという声が強く、教科書検定や靖国参拝などで繰り返し対立してきた。
だが、西田氏の発言は、歴史観というより先に、記憶の継承を軽んじているといえる。「ひめゆり平和祈念資料館」の展示内容を確かめもせず、自分勝手に理論をあてはめて批判する。イデオロギーが真実を見る目を曇らせていると解釈するほかない。(次ページに続く)
今も沖縄を愚弄する西田氏「自分の言っていることは事実だ」
資料館では、学徒たちの証言や遺書、手記をもとに、米軍と日本軍の双方の行動を含めて“体験の証言”として歴史を伝えている。
例えば、第三展示室では、生存者の証言映像や米軍の記録フィルムを通じて、1945年6月18日に出された「解散命令」により、学徒たちが戦場に放り出され、多くが命を落とした事実が紹介されている。
これらの展示は、戦争の悲惨さと命の尊さを後世に伝えるためのものであり、政治的な意図や偏向は見られない。西田氏の発言は、こうした努力を否定するものだ。
さらにここから問われるべきは、「国家が主導する歴史観」と「証言に基づく歴史記録」のいずれが公に語られるべきか、という根源的な問題である。
今回の西田氏の発言は、「政治家が慰霊碑や資料館の展示内容を“検閲”する」という、民主主義において最も危うい行為と受け止められても不思議ではない。
西田氏は発言についての謝罪と撤回を表明したが、同時に「自分の言っていることは事実だ」とも語り、姿勢は二重化している。「謝罪はするが、信念は変えない」というスタイルは、保守派政治家にとって定番とも言えるが、被害当事者や関係者にとっては納得のいかない態度でもある。
「歴史は勝者によって書かれる」という言葉がある。だが、真の民主主義においては、歴史は「体験者の声」によって紡がれるべきである。
ひめゆりの少女たちは、陸軍の人員不足を補うために戦場へと動員され、犠牲となった。せめてその事実だけは、政争の具とすべきではないのではないか。
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