「唐津線」とは?

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<鉄路の行方シンポジウム>来場者「当事者意識が大切」 - 03月26日(日)08:15 

佐賀市で25日に開かれた地域と交通をテーマにした本紙連載「鉄路の行方」のシンポジウム。県内外から訪れた参加者は講演やパネルディスカッションを聞き、登壇者の意見に共感したり、問題意識を強くしたりしていた。 基調講演では、四季の風景があるローカル線が海外から評価されていると紹介された。JR唐津線を利用している小城市の原田きよさん(75)は「唐津線も不採算路線に挙げられ、何かできないかという思いで来た。鉄道の良さをもっと見直さないといけないと思った」と話した。
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<鉄路の行方 第7章 分岐点のローカル線(4)>富山市とJRで活性化した高山線 公共交通、まちづくりの軸に 市の負担で増便、利用者増 - 03月19日(日)06:00 

渓谷沿いの線路を北上し、日本海に面した富山平野に出ると、車窓の右側に雄大な立山連峰が出迎えた。岐阜市と富山市を結ぶJR高山線。富山県側の猪谷(いのたに)-富山間36・6キロはすべて富山市内で、同市がJR西日本と対話を重ね、沿線の活性化に長年取り組んでいる。 高山線は国鉄末期の国鉄再建法で「地方交通線」に分類されている。佐賀県内では唐津線が同類になるが、輸送密度(1キロ当たりの1日平均乗客数)を比較すると、その差は際立つ。
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〈たてものがたり 唐津建築遺産(38)〉旧山本郵便局 鉄路とともに暮らし支え - 03月22日(水)18:00 

古代から中世の頃まで山本は松浦潟の最奥部にあたり、上松浦党の軍船基地のひとつでした。戦国末期には岸岳城の脇城・青山城が築かれ、今も石垣などの遺構が残されています。 1898(明治31)年に唐津線の前身・唐津興業鉄道の妙見-山本、翌年に山本-厳木が、1912年には岸嶽支線が開通しました。1929(昭和4)年に筑肥線の前身・北九州鉄道の山本-東唐津も開通し、1935年には伊万里まで開通して山本駅はにぎわいました。 山本郵便局は1908(明治41)年に開局。
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