オーストリアのウィーン獣医大学(Vetmeduni Vienna)で行われた研究によって、アルプスの山あいで暮らす一頭の13歳のペット牛「ヴェロニカ」が、道具を使用している様子が、科学的に記録されました。
ヴェロニカはブラシの毛がついた側で背中や腰など皮膚が厚い場所をゴシゴシこすり、木の棒の側で乳房やお腹のようなデリケートな部分をそっと押すように掻き、合計76回にわたって「場所に合った端」を選んでいました。
こうした“一本の道具の異なる部分を別々の目的に使い分ける”多目的ツール使用は、これまで人間とチンパンジーくらいでしかはっきり報告されていません。
今回の観察研究は、「牛は道具を使えない」のではなく、「そんな姿をきちんと見てこなかっただけではないか」という問いを突きつけます。
研究内容の詳細は2026年1月19日に『Current Biology』にて発表されました。
目次
牛は道具を使わないという思い混みは間違い?道具を用途で使い分ける牛を発見「牛が急に賢くなった」のではなく、私たちが見てこなかっただけかもしれない
牛は道具を使わないという思い混みは間違い?
デッキブラシを孫の手として使っている牛 / Credit:Flexible use of a multi-purpose tool by a cow
背中の真ん中がかゆいのに、手が届かなくてイライラした経験は多くの人
...moreが持っていると思います。
そのとき私たちは孫の手やブラシを探し、「ここをこう掻けば気持ちいい」という位置と力加減を、自分なりに調整します。
実は、道具を使うのは人間だけではありません。
チンパンジーが細い枝でシロアリを釣り上げたり、カラスが枝を曲げてフックのように使ったりすることは、これまで多くの研究で報告されてきました。
ただし、その中でも「一本の道具の別の部分を別の用途に使い分ける」という多目的ツール使用はとてもまれで、チンパンジー以外で確実に示された例はほとんどありません。
一方で、牛はどうでしょうか。
英語では“cow”という言葉自体が、鈍くささや愚かさの比喩として使われることすらあります。
そのため「牛の道具を使用する能力」について真面目に学術的に取り扱われることはあまり多くありませんでした。
実際、もしあなたが研究資金の管理責任者だったとして、新米の研究員が「牛の道具を使う能力を調べたいから研究費をくれ」と言ったら、素直に与えるでしょうか?
きっと多くの人は「研究資金の無駄づかい」と叩かれるのを恐れて、許可しないでしょう。
しかし今回の結果を見ると、その「無駄づかい」こそが世界中の家畜の見方を変えるきっかけになりうるとも考えられます。
研究者たちはこれまで、離島の珍しい動物や、知能が高いと評判の動物には熱心に目を向けてきましたが、最も身近な家畜の行動は、驚くほどちゃんと観察されていませんでした。
また多くの牛は短い寿命のあいだ、狭く単調な環境で暮らしています。
周りに転がっているものといえば金属の柵やコンクリートの床くらいで、枝や道具で遊んだり試したりする余地はほとんどありません。
もし「道具を使う力」があっても、試すきっかけがなければ表に出てこないはずです。
しかしある研究者がたまたま目にした一本の動画で自体は急変しました。
道具を用途で使い分ける牛を発見
道具を用途で使い分ける牛を発見 / Credit:Flexible use of a multi-purpose tool by a cow
研究者が目にした動画には、古い熊手で背中を掻く一頭のペット牛「ヴェロニカ」が映っていました。
その映像を撮影したのは、有機農家でありパン屋でもある飼い主で、彼女の背中掻きは家族にはおなじみの光景でした。
研究者たちは、これが「牛による道具使用なのではないか?」と考え本格的な調査を行うことにしました。
調査にあたり用意されたのは、一本のシンプルなデッキブラシです。
片方には硬い毛(ブラシの部分)、もう片方には木の棒だけという、はっきり性質の違う両端を持つ道具です。
研究者たちはこのブラシを何度も地面に置き、毛の向きや位置を変えながら、ヴェロニカがどちらの端を口でくわえ、体のどの部位を掻くのかを丁寧に記録しました。
当初は牧草地でしばらく待つことになると覚悟していましたが、ほうきを置いた途端にヴェロニカはすぐそれを拾い上げて使い始めたといいます。
このやりとりを七回のセッションに分けてそれぞれ十回ずつくり返し、その中で合計七十回の試行の中から七十六回もブラシを道具として使った場面が記録されました。
観察の結果、ヴェロニカは背中や腰など皮膚が厚く、しっかりこすりたい場所ではブラシの毛が付いた側を使っていました。
一方で、乳房やお腹、肛門の周囲など、柔らかくて敏感な場所では、木の棒の端で軽くつついたり押したりすることが多かったのです。
単に「たまたま当たった端で掻いている」のではなく、「どの場所にどちらの端を使えばよいか」を選び分けているようなパターンが見えてきました。
さらにヴェロニカは、ブラシを口と大きな舌でカーペットのように持ち上げ、歯の間できゅっと固定してから、頭と首を器用に動かして自分の体の後ろ半分にブラシを運びます。
背中側では広い範囲を力強くゴシゴシとこすり、お腹側では狭い範囲を慎重にツンツンと突く動きが多く見られました。
この「力加減」と「動かし方」の違いも、ただの偶然にしてはできすぎに見えます。
補足図では、ブラシ端と棒端の使い分けや、狙った部位ごとの違いがまとめられており、ヴェロニカの行動がランダムなものではなさそうだと示されています。
研究チームはこれらの結果から、ヴェロニカの行動が「一本の道具の異なる部分を別々の目的で使う、多目的ツール使用」であると解釈しました。
人間が孫の手のカーブや向きを変えながら「ここをこう掻くと気持ちいい」と選んでいるのと、構造としてはよく似ています。
自分の体のかゆみを狙って道具を向けるこうした行動は、「自分の体を相手にした道具使用」としても、動物行動の中では珍しいタイプです。
一本の道具の両端を、場所ごとに使い分ける行動は「多目的ツール使用」と呼ばれ、チンパンジー以外の動物ではほとんど知られていなかったタイプです。
「牛が急に賢くなった」のではなく、私たちが見てこなかっただけかもしれない
「牛が急に賢くなった」のではなく、私たちが見てこなかっただけかもしれない / Credit:Canva
今回の研究により、「少なくとも一頭の牛は、デッキブラシという一本の道具を、自分の体の部位ごとに使い分ける柔軟な道具使用を行う」ことが示されました。
ただ著者たちはヴェロニカを「牛界のアインシュタイン」と見なしてはいません。
むしろ、長く生き、物体に自由に触れられるまるで牛にとっての「ベストライフ」とも言えるような豊かな環境にいたからこそ、もともと持っていた問題解決能力が表に出てきたのではないかと語っています。
南アジアの牛が枝で体を掻いている逸話的な報告も合わせると、道具を使う素地はウシ全体に広く潜んでいるかもしれません。
ただ、環境が単調で物も少ない工場式の飼育では、その素地が一度も試されないまま人生を終えてしまう可能性があります。
この点を考えると、私たち人間のほうこそ「曇ったメガネ」をかけて牛を見てきたのかもしれません。
しかし、ヴェロニカがほうきをくわえて背中をかいている姿を見てしまうと、そのメガネのレンズにはっきりとヒビが入ります。
道具を使う牛が示しているのは、「牛が急に賢くなった」のではなく、「私たちが牛の頭の中を見ようとしてこなかった」という現実かもしれません。
もしかしたら未来の世界では、牧場のあちこちで、ほうきや棒をくわえた牛たちが、それぞれの「孫の手テク」を披露しているかもしれません。
全ての画像を見る元論文Flexible use of a multi-purpose tool by a cowhttps://doi.org/10.1016/j.cub.2025.11.059ライター川勝康弘: ナゾロジー副編集長。
大学で研究生活を送ること10年と少し。
小説家としての活動履歴あり。
専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。
日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。
夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。編集者ナゾロジー 編集部...