インドのインド科学研究所(IISc)で行われた研究によって、1914年に天才数学者ラマヌジャンが発表した円周率π(パイ)の公式が、現代のブラックホールなどを扱う理論モデルの数式の中で、よく似た骨組みの数学構造として現れることがわかりました。
100年前の純粋数学が、ある意味で “ブラックホールの言語” として通じていたのです。
この発見により、ブラックホールの理論計算の一部がこれまでより効率的に行える可能性が示されています。
100年前に紙と鉛筆だけで書かれた数式が、なぜ今になってブラックホールや乱流の計算に役立つのでしょうか。
研究内容の詳細は2025年12月2日に『Physical Review Letters』にて発表されました。
目次
『ただの計算道具』で終わらなかったラマヌジャンのπ公式ブラックホールに関わる理論に、ラマヌジャンのレシピがそのまま現れていた専門家向けの解説
『ただの計算道具』で終わらなかったラマヌジャンのπ公式
『ただの計算道具』で終わらなかったラマヌジャンのπ公式 / Credit:Canva
数学の公式がブラックホールの「言語」を話していたら――そんな奇想天外な話が実際に起きました。
円周率π(パイ)は学校で3.14…と習う不思議な数字ですが、これと黒い天体であるブラックホールを結びつけて考えることは普通ありません。
しかし今から約100年前、こ
...more のπにまつわる驚くべき発見がなされていました。
1914年、インドの天才数学者シュリニバーサ・ラマヌジャンは、円周率の逆数1/πを高速に計算できる17個の無限級数の公式を発表しました。
わずかな項で多くの桁を正しく計算できることから、これらは「魔法の級数」として知られています。
驚異的な公式を生み出したラマヌジャン本人は「頭の中に突如として公式が現れた」と伝えられており、当時応用方法までのアイディアがあったわけではありません。
ただその後の研究で、この系統の公式は非常に効率的で、現在ではスーパーコンピュータによる円周率計算(ラマヌジャン型の級数に基づくチュドノフスキー算法)にも応用され、πを300兆桁まで求めた記録も報告されています。
しかしこのような強力な公式はただのツールに過ぎないのでしょうか?
数学の産物である公式が、自然界の原理に“偶然にも”根ざしているとしたらどうなるのでしょうか。
そこで今回研究チームは「ラマヌジャンの公式はどこか物理の世界に自然に現れるのではないか?」という大胆な問いを立て、それを確かめることにしました。
ブラックホールに関わる理論に、ラマヌジャンのレシピがそのまま現れていた
ブラックホールに関わる理論に、ラマヌジャンのレシピがそのまま現れていた / Credit:Canva
ラマヌジャンの魔法のような公式は、物理学とどのように関係しているのでしょうか。
研究チームはまず、「物理の世界に自然な形でこの公式が現れているかもしれない」という興味深い仮説を立てました。
そこで調査の対象として選ばれたのが、「対数共形場理論」というやや難解な理論です。
この対数共形場理論は、物理学者がさまざまな自然現象を説明するときに利用する数学的な枠組みのひとつです。
また近年、この対数共形場理論は、「ホログラフィー」と呼ばれる非常にユニークな物理学の考え方を通して、「ブラックホールの数学的なモデル」としても注目されています。
ホログラフィック原理というのは、「もしかすると宇宙そのものが、ホログラムのように振る舞っているかもしれない」という大胆なアイデアです。
もう少し丁寧に言うと、「ある空間の中で起こりうるすべての物理的な情報は、その空間の“中身”ではなく、“外側の表面”に書き込めるかもしれない」という主張です。
たとえばブラックホールでいうと、穴の中(三次元)にどんなものがどれだけ入っていても、その「情報の量」はブラックホールの表面(二次元)に書き込めてしまうという考えです。
これを宇宙全体に広げて想像すると、「もし宇宙を取り囲む二次元の膜のようなものがあるとしたら、三次元の宇宙の中で起きていることは、原理的にはその膜(二次元)の上に情報として書き込むことできるかもしれない」というイメージの理論だと言えます。
この理論において外側の表面部分を担当する理論(共形場理論や対数共形場理論)が登場するのですが、驚くべきことに、ラマヌジャンの公式の骨格とこれらの理論で現れる境界(外側の面)側の数式パターンが、非常によく似ていることが発見されたのです。
つまり、ラマヌジャンが紙の上に書いた1/πのレシピは、数学的には「ブラックホールを覆う表面部分に書かれた情報の書式」とほぼ同じ型の表現として通用する形になっていたわけです。
ある意味で100年前に作られたラマヌジャンの公式が「ブラックホール語」として当てはまったようなものです。
もしラマヌジャンが生きていたら、きっとビックリしたことでしょう。
さらにこの発見をもとに、研究者たちは物理側の計算手法を新しい形で構築しました。
対数共形場理論における相関関数を計算するために、ラマヌジャンの級数から着想を得た新しい展開式(シリーズ展開)を構築したのです。
その結果、ラマヌジャンの公式を理解して最適な形に並べ直すことは、「表面の理論をとても効率よく書き下すこと」になり、その効率のよさがそのままホログラフィック原理を使ったブラックホール計算などにも利いてくる可能性があります。
さらに驚くべきことに、研究チームは「ある微分演算」を新たな展開式に施しました。
ざっくり言うと、数式にフィルターをかけるような操作です。
すると、もともとはたくさんの項が入り乱れていた計算が、一気に整理されました。
その結果、ある条件のもとでは、「ログ恒等演算子」と呼ばれる、その理論の中でいちばん基本的なパーツひとつだけの働きで、1/πの値がほとんど全部説明できてしまったのです。
言い換えれば、見かけ上は無数にあった項のほとんどが不要で、ほんの一握りの本質的な項だけで1/πを表現できることが数学的に示されたのです。
これは対数共形場理論という理論に内在する普遍的な性質を示唆しており、ブラックホール模型を含む複雑系の計算に新たな光を当てる成果と言えるでしょう。
そして何より象徴的なのは、この結果が示すストーリーです。
100年前にラマヌジャンが発表した純粋数学の公式は、実は当人の知らないところでブラックホールや乱流を扱う理論研究に貢献していたとみなすこともできます。
筆頭著者のバット氏は「ラマヌジャンの動機は非常に数学的なものだったかもしれませんが、彼は知らないうちにブラックホールや乱流、浸透といったあらゆる現象をも研究していたのです」と述べています。
ラマヌジャンの残した公式の多くは現代数学の力を得て解読が進んでいますが、それでもいくつかにおいては不明部分が多く未だにその全容が掴めていません。
100年前の青年の勘に人類科学が追い付くのはいつになるのでしょうか?
専門家向けの解説
本論文で「ブラックホール」が顔を出すのは、ラマヌジャンのπの逆数級数と、2次元の対数共形場理論(LCFT:相関関数に対数が現れる共形場理論)の対応を、ホログラフィー(重力の時空と境界の場の理論を対応させる考え方)として読み替える局面です。
著者らは本編の結論としてホログラフィー的な解釈を議論すると明記しており、LCFTが「ホログラフィーにも現れる」と位置づけています。
中心になるのは付録で提示される「ルジャンドル関係式のホログラフィー解釈」です。
そこで扱うのは、漸近的に反ド・ジッター(AdS:負の曲率をもつ重力時空の標準模型)に近いシュワルツシルト型のブラックブレーン背景(ブラックホールの“平面版”に相当する模型)中のスカラー場です。
さらに質量をブライテンローナー–フリードマン境界(BF bound:AdSでの安定性の下限)ちょうどに調整すると、このスカラーのバルク–バルクGreen関数(時空内部の2点応答に相当)の構造が、LCFTの相関関数の骨格と一致すると述べます。
特に、周波数と運動量をゼロにした静的成分(ゼロモード)が物理的に重要であり、そのラジアル方程式には「境界で正則な解」と「地平線で正則な解」という自然な2つの基底が現れます。
境界で正則な解は地平線側で対数的特異性を持ち、地平線で正則な解は境界側で対数的特異性を持つ、という“ログ”の性格が、重力側では「どこで正則性を課すか」という境界条件の違いとして具現化されます。
そしてGreen関数は、ソース点を境にこれら2解の積を貼り合わせた形...
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