ザ・ビーチ・ボーイズ(The Beach Boys)のリーダーでベース、ボーカル担当だった音楽家ブライアン・ウィルソン(Brian Wilson)さんが亡くなりました。82歳でした。
2024年に最愛の妻を亡くし、最近は認知症を患っていたという情報もあって、ある程度の覚悟はできていましたが、やはり訃報に触れるとそのショックは計り知れないものでした。改めて哀悼の意を表します。
image by: Richard King, CC BY 3.0, via Wikimedia Commons
今から15年前の2010年、東日本大震災が起きる1年前に、私はブライアンの代表作(ビーチ・ボーイズ名義のアルバムですがソロ作と言っても過言ではない)『ペット・サウンズ(Pet Sounds)』(1966)にインスピレーションを受けた電子書籍『ペット・タウンズ』を公開していました。
東京中に残っていた戦前の商店建築(看板建築)のある風景を「愛玩すべき街々」と定義し、それを英訳して「ペット・タウンズ」と名付けたのです。
電子書籍『ペット・タウンズ』(2010)表紙
本文の内容は、1994-95年頃に祖父の形見の二眼レフカメラで私が撮影した戦前の看板建築を、その後に取り壊された現在の風景と並べて掲載し、東京という街のビフォーアフターを嘆くという写真集で、着想の原点は『ペット・サウンズ』に収録のラストナ
...moreンバー「キャロライン・ノー」の歌詞です。
image by: Cashbox, Public domain, via Wikimedia Commons
以前とは風貌や性格が変わってしまった彼女(キャロライン)を嘆く男性(彼氏)の心の叫びをテーマにした曲ですが、あまりにも変貌してツルツルピカピカの街だらけになった東京の姿を嘆く私の心情を、この歌詞の世界に重ね合わせました。
電子書籍のジャケット(表紙)は、ブライアンの代表作である『ペット・サウンズ』のデザインを引用し、また本文の随所に『ペット・サウンズ・セッションズ』のブックレット内のデザインもオマージュとして引用しています。
電子書籍『ペット・タウンズ』イントロダクションと撮影した二眼レフカメラ
発売にあたっては、長年交流がある江戸東京博物館 館長で建築家、そして「看板建築」の名付け親でもある東大名誉教授の藤森照信先生に推薦文をお願いしました。
『東京の下町にはかつて、不思議な表情をした看板建築が軒を連ねていた。彼らはその後どうなったのか。この一冊を見よ。』藤森照信(建築家)
いまは電子書籍のみですが、近いうちにAmazonや楽天ブックスなどで買える「紙の本」としても発売したいと考えています。
さて、話を『ペット・サウンズ』に戻しますと、私がこのアルバムと出会ったのは今から20年以上も前です。
The Beach Boys『Pet Sounds』(1966)
それまで、ビーチ・ボーイズといえば「サーフィン」「ホットロッド(カスタムカー)」「波」「海」「夏」「女の子(ナンパ)」といったイメージの曲しか私は聴いたことがなく、甲高い裏声のコーラスを聴かせるアメリカの流行歌を歌う人たち、くらいのイメージしかありませんでした。
しかしある日、偶然ネット上で『ペット・サウンズ』の誕生秘話を目にしてから、ビーチ・ボーイズへのイメージが大きく変わりました。
image by: Trailer screenshot, Public domain, via Wikimedia Commons
1960年代前半は商業的に大成功をおさめていたビーチ・ボーイズですが、作曲を担当し常にヒット曲を出さなければならないという精神的重圧に耐えられなくなったブライアンは、1964年末からワールドツアーを離脱。ザ・ビートルズの『ラバー・ソウル』(1965)に衝撃を受け対抗心を燃やしてスタジオにこもり、凄腕のスタジオミュージシャンたちやプロの作詞家とともに作った『ペット・サウンズ』(1966)は、ブライアンによる事実上のソロアルバムであるということは音楽に詳しい方であれば誰もが知っていることだと思います。
このエピソードを読んで興味を持った私は、まだ一度も聴いたことがないのに、CDショップにて『ペット・サウンズ』のモノ&ステレオ2in1のCDアルバムを購入しました。
いざ自宅で聴いてみると、イメージしていたノリノリなビーチ・ボーイズの曲とはまったく違っていて、一曲目の「素敵じゃないか」以降は、暗く重い曲調の楽曲が延々と続いていることに大変驚きました。唯一「ドント・トーク」だけはFMラジオで高校生のときに聴いたことがありましたが、その他の曲は初めて聴きました。
image by: Cashbox, Public domain, via Wikimedia Commons
「なんだか重いアルバムだなぁ」と、最初は買ったことを後悔したのですが、せっかくお金を出して買ったアルバムなので、試しに通しで2〜3回は聴いてみようと思い、ヘッドフォンを付けて聴いてみることにしたのです。
ところが通しで聴き始めてから3回目、まるで雷に打たれたかのような衝撃を受けました。陳腐な書き方になって申し訳ありませんが、私にはこのアルバムの凄さが突然「分かった」のです。
衝撃を受けた曲は「少しの間」だったか、「神のみぞ知る」か、はたまた「駄目な僕」か、記憶が曖昧なのは半分気絶していたからかもしれません。いずれにしても、聴いている時に電流が身体を駆け抜けていくような体験をしたのです。
それ以降、私は『ペット・サウンズ』の沼にハマり、アルバムが発売されるまでのエピソードが書かれた関連書籍からアナログ盤、バージョン違いのCD、そして『ペット・サウンズ・セッションズ』、DVD、Tシャツなどを買い集めることになります。もちろん、このアルバムのあとに出るはずだった『SMiLE』関連も。
『ペット・サウンズ』は今でも聴くたびに発見のあるアルバムで、YMOに続いて私の音楽ライフを確実に変えた作品でした。
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父親、ドラッグ、精神崩壊、売り上げ不振など、この奇跡のアルバムが出た当時にさまざまな困難や苦難、ネガティブな裏事情があったことも知っています。
『ブライアン・ウィルソン自伝 I Am Brian Wilson』 ベン・グリーンマン 著、松永良平 訳(DU BOOKS)
しかし、この世に生まれ出た楽曲に罪はないのです。そのことを本気で実感したアルバムでした。いや、むしろこのようなストーリーがあったことを知っているからこそ、これらの楽曲はなお一層輝くのかもしれません。
image by: Cashbox, Public domain, via Wikimedia Commons
こんなに素晴らしい作品を残してくれたことに感謝している世界中のファンは今も多く存在しています。
ブライアン・ウィルソンさん、本当にありがとうございました。どうぞ安らかにお眠りください。R.I.P.
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