「スプリングスティーン」とは?

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Dearダニー 君へのうた〜43年遅れで届いたジョン・レノンからの手紙 - 12月08日(月)19:15  TAP the POP

『Dearダニ― 君へのうた』(Danny Collins/2015) 1980年12月8日、ジョン・レノンが亡くなった。享年40。前人未到の「40代のロックスター」として精力的な活動が注目された矢先の悲劇は、世界中に衝撃が走った。 これを機にミュージシャンたちの間では40歳を過ぎてもロックをやっていこうとする強い決意が生まれたようにも思う。「30歳以上を信じるな」とさえ言われていた若者文化と反体制の象徴だったロックは、80年代、90年代、ゼロ年代と時代を重ねていくと同時に、40代、50代、60代の成熟したロックミュージシャンを育んでいく。 ローリング・ストーンズもポール・マッカートニーも、ボブ・ディランもブライアン・ウィルソンも、エリック・クラプトンもデヴィッド・ボウイも、ニール・ヤングもブルース・スプリングスティーンも、イギー・ポップもルー・リードも、ロッド・スチュワートもエルトン・ジョンも、誰もがその領域に入っていった。そして2010年代の現在、伝説のミュージシャンたちはいよいよ70代に突入した。 『Dearダニ― 君へのうた』(Danny Collins/2015)の主人公ダニー・コリンズ(アル・パチーノ)も彼らの仲間であり、成熟したロックスターの一人のようだ。いや、実はその退廃した生活は成熟とは程遠く、若いガールフレンドとドラッグと酒、豪邸や自家用ジェット、他人...more
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ブルース・スプリングスティーン、「明日なき暴走」 日本語字幕付MV公開 - 12月08日(月)16:30  Billboard JAPAN

 ブルース・スプリングスティーンによるアルバム『明日なき暴走』の50周年を記念して、「明日なき暴走(Born To R…
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ビッグ・オーの輝きを収めた黒と白の幻想的な一夜 - 12月06日(土)22:28  TAP the POP

ザ・バンドの映画『ラスト・ワルツ』をはじめとして、伝説的なライヴを収めた映像作品は数多く存在しているが、『ブラック・アンド・ホワイト・ナイト』もまたロック史を語る上で外すことのできない重要な作品の1つだ。 舞台は1987年、ロサンゼルスのアンバサダーホテル。 ブルース・スプリングスティーンやエルヴィス・コステロ、トム・ウェイツ、J.D.サウザー、ジャクソン・ブラウン、ボニー・レイット他、アメリカを代表する大物ミュージシャンたちが、1人の男のために集まった。観客席にもクリス・クリストファーソンやレナード・コーエンなど、名だたるミュージシャンが顔を揃えていた。 髪を黒く染めてトレードマークの黒縁サングラスをかけたその白人は、モノクロームの世界で黒人の文化と白人の文化が混ざり合った音楽を演奏する。 男の名はロイ・オービソン。 映画『プリティ・ウーマン』の主題歌としても有名な「プリティ・ウーマン」をはじめとして数多くのヒット曲を生み出し、後発のミュージシャンに多大な影響を与えてきたことから“ビッグ・オー“(偉大なるオー)の愛称で親しまれている。 1936年にテキサス州で生まれたロイは生まれつき視力が弱く、幼少時代からレンズの分厚い矯正用のメガネをかけて生活していた。 目を使わなくとも楽しむことができるからだろうか、ロイは幼いころから音楽に夢中になり、わずか8歳にして地元...more
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イアン・マクレガンを偲んで〜スモールフェイセスからフェイセズへ - 12月02日(火)18:05  TAP the POP

2014年12月3日、スモール・フェイセス及びフェイセズのメンバーとして知られるキーボードプレイヤーのイアン・マクレガンが天国へ旅立った。 亡くなる前日に脳卒中を起こし、この20年住んでいる米テキサス州オースティンで家族や友人に看取られる中、運ばれた病院で永眠したという。69歳だった。 セッション・ミュージシャンとしても活躍した彼は、これまでにローリング・ストーンズ、チャック・ベリー、ボブ・ディラン、ブルース・スプリングスティーン、ジャクソン・ブラウン、ジョー・コッカー、レニー・クラヴィッツ他多くのミュージシャンと共演してきた。 彼はフェイセズの再結成を望んでおり、「2015年にやれそうだ」と話していたばかりだったという。この訃報を受けて、ロッド・スチュワートは悲しみのコメントを寄せた。 僕は完全に打ちのめされている。イアン・マクレガンはフェイセズの真のスピリットを形づくった。昨晩、チャリティーのショーをやっていて、ミック・ハックネルが「I’d Rather Go Blind」を歌っているそのとき、ロン・ウッドからイアンが亡くなったって知らせをもらった。まるで彼のスピリットがそこにあったかのようだった。友よ、寂しくなるよ。 また、イアン・マクレガン、ボビー・キーズと続けて2人の友人を失ったロニー・ウッドは、「ボビーとマックに神のご加護を」と追悼の言葉を寄...more
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ボノとスプリングスティーンはサーカス団の兄弟だった? - 12月01日(月)08:03  TAP the POP

毎年12月1日は、「世界エイズデー」に定められている。2014年のこの日、ニューヨークのタイムズ・スクエア前では、エイズのことをもっと知ってもらいたい、寄付を募りたいという目的から、U2らによるサプライズコンサートが催されていた。 しかし、フロントマンのボノは、前月にサイクリング中の事故で重傷を負い、ステージに立てる状態ではなかった。その穴を埋めようと駆けつけて代役を務めたのが、コールド・プレイのクリス・マーティン、そしてブルース・スプリングスティーンだった。 1960年生まれのボノと、1949年生まれのブルース。10歳ほど離れている2人は、お互いの音楽に刺激を与え合い、時には兄弟のような間柄として支えあってきた。怪我をしたボノにブルースが手を貸したのも、これが初めてのことではなかった。 1987年、U2がアメリカをツアーで回っていた9月のある日、ボノは誤ってステージから落ちて左肩を脱臼してしまう。しかし、ツアーを中断するわけにはいかない。 ボノは腕を包帯で固定された状態で登場した。そして観客の1人をステージに上げて、自分の代わりにギターを弾いてもらう、そんなファンサービスでコンサートを盛り上げた。 9月25日、この日はフィラデルフィアのJFKスタジアムでのコンサートだった。アンコールを迎えたところで、ボノはいつものように、「誰か俺のギターを弾きたい奴はいないか?」...more
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ジョン・レノンが亡くなる数時間前に最後の写真を撮っていたアニー・リーボヴィッツ - 12月08日(月)19:01  TAP the POP

1980年12月8日午前、ダコタ・ハウス。写真家が見た愛のカタチ アニー・リーボヴィッツ──彼女の名前を聞いて一体何を思い浮かべるだろう? あらゆるミュージシャンの表情をとらえたロックなカメラマン。 映画スターや経済人たちセレブリティ御用達のカメラマン。 最先端のファッションメディアで斬新なイメージを撮り続けるカメラマン。 政治や戦争の代償を切り取るジャーナリストとしてのカメラマン。 世界中を年中飛び回るスターカメラマン。 そして家族や風景といった素朴な写真を愛するカメラマン。 そのどれもが彼女の本当の姿であり、世界で最も有名な肖像写真家であることには間違いない。 アニーは1949年10月、大家族の三女としてアメリカのコネチカット州で生まれた。軍人だった父の影響で引越しが多く、そのたびに車に乗って移動した。幼い女の子は車窓というフレームを通して常に人々や風景を観察していたのだろう。ベトナム戦争の赴任でフィリピンにも移り住んだことがあるようだが、アニーは高校生になるとサンフランシスコへ戻った。 時は1960年代後半。シスコの街にはヒッピーが集い、愛の思想を世界に広げようとしていた。アニーは美術学校で写真を学ぶことになり、通りで反戦運動を撮ったり、アパートでロックミュージックに目覚めていった。 ちょうどその頃、シスコではヤン・ウェナーが『ローリング・ストーン』誌を創刊させ...more
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一目惚れならぬ、二目惚れで恋に落ちたトム・ウェイツ - 12月06日(土)22:37  TAP the POP

トム・ウェイツは、1980年に発表した『ハートアタック・アンド・ヴァイン』に収録された「ルビーズ・アームス」で、リッキー・リー・ジョーンズとの別れを歌った。 お前と一緒だった時の服は置いていく 俺には、レイルロード・ブーツと レザー・ジャケットがあればいい リッキーと別れたトムは、ふたりの思い出が漂うロスを離れ、新天地ニューヨークへと活動の場を移している。 だが、二人の別離を知らなかったのだろう、映画監督フランシス・コッポラは、二人に新作映画の音楽を担当してくれないか、とオファーを出したのである。コッポラが制作しようとしていたのは、1982年に公開されることになる『ワン・フロム・ザ・ハート』である。 コッポラは当初、ヴァン・モリスンに依頼をしようと考えていたらしい。だが、1977年に発表された『異国の出来事』に収録されていた、トム・ウェイツとベット・ミドラーのデュエット「アイ・ネヴァー・トーク・トゥ・ストレンジャーズ」を聴き、トムに白羽の矢を立てたのだった。 リッキー・リー・ジョーンズは、当然のようにこの申し出を断った。だが、トムはとりあえず話を聞きに、二度と戻ることはないと思っていたロスに向かうことにしたのである。 少し時間を戻そう。トムが何もかも捨てて、ロスからニューヨークへと旅立とうとしたまさにその前の晩、ハリウッドではパーティーが開かれていた。 トム...more
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ロイ・オービソン〜“ビッグ・オー”と永遠の少年たち - 12月06日(土)08:28  TAP the POP

ロック界のVIPたちを少年の心に戻してくれたロイ・オービソン 「1975年に『Born To Run』を作るためにスタジオ入りした時、僕はボブ・ディランのような詩を書き、フィル・スペクターのようなサウンドを作り、デュアン・エディのようなギターを弾き、そして何よりもロイ・オービソンのように歌おうと努力したんだ」 1987年、ロックンロール殿堂入りの授賞式。ブルース・スプリングスティーンはそう言って 自身のアイドル、“ビッグ・オー”ことロイ・オービソンを少年のような興奮の中で紹介した。 それまでの栄光が嘘だったかのように60年代後半からはヒットも一切出ず、長い不遇の時代を送っていたオービソン。しかし、リンダ・ロンシュタットやJ.D.サウザーら様々なアーティストによるカバーやリスペクトを受けつつ、1986年にはデビッド・リンチ監督の映画『ブルーベルベット』に代表作「In Dreams」が使用されるなど、それはゆっくりと染み込むような再評価の流れの先に見えた栄誉だった。 受賞後の9月。LAのアンバサダーホテルにて『Black & White Night』と銘打たれたステージが開演。エルヴィス・プレスリーの元バックバンドやスプリングスティーンをはじめ、ジャクソン・ブラウンやトム・ウェイツ、ボニー・レイットやエルヴィス・コステロといったオービソンを敬愛する面々をサ...more
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時代を超えた1000万枚以上ベストセラーアルバムの変遷(アメリカ編) - 12月01日(月)09:11  TAP the POP

CDやアルバムが売れなくなったと言われて久しい。アメリカでは1999年からCDの売り上げは下降線を辿っているし、日本でも音楽CDとしてのミリオンセラーを望むのは今や困難な状況。しかし一方で2000年代から本格化したインターネット時代は、画期的な音楽配信サービスを産み落とした。iTunesなどのダウンロード、Spotifyなどのストリーミング、YouTubeなどのネット動画は、聴き手にとって好きな曲や興味のある曲だけを気軽に(金銭的にも)楽しめる環境を整えてくれた。 これによって従来のアルバムの持つ物語的な意味合い(楽曲の並べ方)が薄くなってきた。アーティストがレコードやCDのセールスで十分稼げた時期はとっくに終わった。アルバムを売るためのツアーやビデオが全盛だった70年代や80年代とは違って、今は逆にツアーがアーティストにとって収入の要だと言われる。2014年に話題になったU2のアルバム無料配信は、大規模ツアーのための恰好のプロモーションになるに違いない。 ──こういった類いの話はそろそろやめよう。取り立てて嘆くようなことでもないのだから。スターが永遠にその人気を維持できないのと同じように、音楽を取り巻く環境も変わっていくのが必然。時代は常に新鮮な空気を必要とする。ただ、それだけのことだ。 そんな“アルバム不況”の中、例外も起こるから面白い。こんな時代に『21』を全米だけで...more
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【日本独自の快挙】ブルース・スプリングスティーン『明日なき暴走』50周年記念盤が12/24リリース - 11月26日(水)13:05  マイナビエンタメ

1975年8月25日の全米リリースから50周年を迎えたブルース・スプリングスティーン(Bruce Springsteen)の金字塔『明日なき暴走(Born To Run)』の50周年記念盤が、日本独自企画として2025年12月24日に発売さ・・・
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