ザ・バンドの映画『ラスト・ワルツ』をはじめとして、伝説的なライヴを収めた映像作品は数多く存在しているが、『ブラック・アンド・ホワイト・ナイト』もまたロック史を語る上で外すことのできない重要な作品の1つだ。
舞台は1987年、ロサンゼルスのアンバサダーホテル。
ブルース・スプリングスティーンやエルヴィス・コステロ、トム・ウェイツ、J.D.サウザー、ジャクソン・ブラウン、ボニー・レイット他、アメリカを代表する大物ミュージシャンたちが、1人の男のために集まった。観客席にもクリス・クリストファーソンやレナード・コーエンなど、名だたるミュージシャンが顔を揃えていた。
髪を黒く染めてトレードマークの黒縁サングラスをかけたその白人は、モノクロームの世界で黒人の文化と白人の文化が混ざり合った音楽を演奏する。
男の名はロイ・オービソン。
映画『プリティ・ウーマン』の主題歌としても有名な「プリティ・ウーマン」をはじめとして数多くのヒット曲を生み出し、後発のミュージシャンに多大な影響を与えてきたことから“ビッグ・オー“(偉大なるオー)の愛称で親しまれている。
1936年にテキサス州で生まれたロイは生まれつき視力が弱く、幼少時代からレンズの分厚い矯正用のメガネをかけて生活していた。
目を使わなくとも楽しむことができるからだろうか、ロイは幼いころから音楽に夢中になり、わずか8歳にして地元...moreのラジオ局で歌を披露するなど、早くもその才能の片鱗を覗かせていた。
カントリーやジャズ、R&Bなど様々なジャンルの音楽に刺激を受けながら育ち、念願のレコード・デビューを飾ったのは1956年のこと。しかし、ロイのキャリアは決して順風満帆ではなかった。
サン・レコードと契約したロイは大手レコード会社に移籍したエルヴィス・プレスリーの後釜として期待されたが、唯一ヒットしたシングルでさえ59位止まりで、時代の波に乗ることができなかった。レコード会社を転々とする中、ロイの音楽は次第に、ロックンロールからカントリーを取り入れたサウンドへと変化していった。
風向きが変わったのは1960年、モニュメント・レコードからリリースされた「オンリー・ザ・ロンリー」が全米2位の大ヒットとなると、ファルセットを活かした特徴的な歌い方と幻想的な歌詞、ソフトで心地よいサウンドが支持を得て次々とヒット曲を量産し、1964年には「オー・プリティ・ウーマン」が全世界で400万枚という大ヒットを記録した。
その後、ロイの楽曲はリンダ・ロンシュタットやドン・マクリーン、ヴァン・ヘイレンなど数多くのミュージシャンにカバーされてヒットし続けたが、ロイ本人には70年代以降エミルー・ハリスとのデュエットやベストを除いてチャートで目立った活躍はなかった。
そんなロイを再評価しようという機運が高まったのは1987年のこと。この年、自身のヒット曲を再録音した『イン・ドリームス:グレイテスト・ヒッツ』をリリースしたロイは、ロックの殿堂入りとナッシュビル・ソングライターの殿堂入りを同時に果たした。
また、『レス・ザン・ゼロ』をはじめとしていくつかの映画に楽曲が使用され、ロイの存在は再び注目を集めるようになった。ロイ・オービソンをメインに豪華ミュージシャンを集めたコンサートが催されたのはその年の9月、ロイが心臓麻痺で急逝する14ヶ月前のことだった。
その模様は晩年ロイのプロデュースをするようになったTボーン・バーネットがディレクターとなり、翌年1月に「ロイ・オービソン&ヒズ・フレンズ:ブラック・アンド・ホワイト・ナイト」というタイトルでテレビの特番として放送された。
そこには、数多くのミュージシャンたちに多大な影響を与えたビッグ・オーの魅力が余すことなく収められている。
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ロイ・オービソン──“ビッグ・オー”と永遠の少年たち
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毎年12月1日は、「世界エイズデー」に定められている。2014年のこの日、ニューヨークのタイムズ・スクエア前では、エイズのことをもっと知ってもらいたい、寄付を募りたいという目的から、U2らによるサプライズコンサートが催されていた。
しかし、フロントマンのボノは、前月にサイクリング中の事故で重傷を負い、ステージに立てる状態ではなかった。その穴を埋めようと駆けつけて代役を務めたのが、コールド・プレイのクリス・マーティン、そしてブルース・スプリングスティーンだった。
1960年生まれのボノと、1949年生まれのブルース。10歳ほど離れている2人は、お互いの音楽に刺激を与え合い、時には兄弟のような間柄として支えあってきた。怪我をしたボノにブルースが手を貸したのも、これが初めてのことではなかった。
1987年、U2がアメリカをツアーで回っていた9月のある日、ボノは誤ってステージから落ちて左肩を脱臼してしまう。しかし、ツアーを中断するわけにはいかない。
ボノは腕を包帯で固定された状態で登場した。そして観客の1人をステージに上げて、自分の代わりにギターを弾いてもらう、そんなファンサービスでコンサートを盛り上げた。
9月25日、この日はフィラデルフィアのJFKスタジアムでのコンサートだった。アンコールを迎えたところで、ボノはいつものように、「誰か俺のギターを弾きたい奴はいないか?」...moreと観客に呼びかける。すると、ボノのギターを肩にかけたブルースがステージ袖から登場した。
「ブルース・スプリングスティーンは俺のギターを弾くのが好きなのか!?」
思いもかけないゲストの登場に会場が興奮に包まれる中、U2とブルースはスタンダートでお馴染みの「スタンド・バイ・ミー」を演奏した。
その後、2人の交流は年を追うごとに親密なものとなった。1999年にブルースがロックの殿堂入りを果たしたとき、受賞式ではボノが誘導役を務めた。そして2005年、今度はU2がロックの殿堂入りを果たしたときには、ブルースがその役を務めたのだ。
同じ年のローリング・ストーン誌のインタビューで、ボノは2人の間柄についてこう答えている。
「俺とブルースは大きなサーカス団のメンバーなんだ。俺がいつまでも”綱渡り”をしてるから、ブルースは困ってるだろうね。そんなときは兄貴として下にネットがあることを教えてくれるんだ」
U2は2014年の9月、iTunesで新作アルバム『Songs of Innocence』を無料配信したが、そのやり方が強引だという批判を受けて、後日謝罪をしている。
しかし、ブルースが見守っている限り、ボノはこの先も新しいことへの挑戦を続けていくだろう。
*このコラムは2014年12月に配信されました。
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トム・ウェイツは、1980年に発表した『ハートアタック・アンド・ヴァイン』に収録された「ルビーズ・アームス」で、リッキー・リー・ジョーンズとの別れを歌った。
お前と一緒だった時の服は置いていく
俺には、レイルロード・ブーツと
レザー・ジャケットがあればいい
リッキーと別れたトムは、ふたりの思い出が漂うロスを離れ、新天地ニューヨークへと活動の場を移している。
だが、二人の別離を知らなかったのだろう、映画監督フランシス・コッポラは、二人に新作映画の音楽を担当してくれないか、とオファーを出したのである。コッポラが制作しようとしていたのは、1982年に公開されることになる『ワン・フロム・ザ・ハート』である。
コッポラは当初、ヴァン・モリスンに依頼をしようと考えていたらしい。だが、1977年に発表された『異国の出来事』に収録されていた、トム・ウェイツとベット・ミドラーのデュエット「アイ・ネヴァー・トーク・トゥ・ストレンジャーズ」を聴き、トムに白羽の矢を立てたのだった。
リッキー・リー・ジョーンズは、当然のようにこの申し出を断った。だが、トムはとりあえず話を聞きに、二度と戻ることはないと思っていたロスに向かうことにしたのである。
少し時間を戻そう。トムが何もかも捨てて、ロスからニューヨークへと旅立とうとしたまさにその前の晩、ハリウッドではパーティーが開かれていた。
トム...moreの映画デビュー作となった『パラダイス・アレイ』のスタッフ含めた、映画関係者の集まりだった。トムはそこで、ひとりの女性と出会っている。
「今日でこの街ともおさらばさ」と、トムは彼女に言った。おさらばするには、後ろ髪を引かれるような女性だった。
コッポラとの仕事のためにロスに戻ったトムは、ピアノ一台が置ける小さな部屋を借りた。そしてある晩、その部屋のドアがノックされた。
「一目惚れならぬ、二目惚れだったね」と、トムはラジオ局KCRWのインタビューで答えている。ドアを開けると、そこに立っていたのは、ニューヨークに旅立つ前に出会ったあの女性だったのである。
彼女の名前は、キャサリーン・ブレナン。コッポラ監督の下で、脚本の仕事を任されているのだと彼女は言った。彼女は、その打ち合わせでトムの部屋を訪れたのである。二人が恋に落ちるのに時間はいらなかった。
シャララララララ
俺はジャージー・ガールと恋に落ちたのさ
トムが彼女のために書いた「ジャージー・ガール」は、『ハートアタック・アンド・ヴァイン』に収録された。そして、二人は再会してわずか一か月で結婚した。
ブルース・スプリングスティーンをはじめ、様々な(特にニュージャージー出身の)アーティストがこの曲をカバーしている。ブルースが、「アトランティック・シティ」の歌詞の一部を入れ込んだカバーは、彼のライブ盤などで聴くことができる。
Tom Waits『Heart Attack & Vine』
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ロック界のVIPたちを少年の心に戻してくれたロイ・オービソン
「1975年に『Born To Run』を作るためにスタジオ入りした時、僕はボブ・ディランのような詩を書き、フィル・スペクターのようなサウンドを作り、デュアン・エディのようなギターを弾き、そして何よりもロイ・オービソンのように歌おうと努力したんだ」
1987年、ロックンロール殿堂入りの授賞式。ブルース・スプリングスティーンはそう言って
自身のアイドル、“ビッグ・オー”ことロイ・オービソンを少年のような興奮の中で紹介した。
それまでの栄光が嘘だったかのように60年代後半からはヒットも一切出ず、長い不遇の時代を送っていたオービソン。しかし、リンダ・ロンシュタットやJ.D.サウザーら様々なアーティストによるカバーやリスペクトを受けつつ、1986年にはデビッド・リンチ監督の映画『ブルーベルベット』に代表作「In Dreams」が使用されるなど、それはゆっくりと染み込むような再評価の流れの先に見えた栄誉だった。
受賞後の9月。LAのアンバサダーホテルにて『Black & White Night』と銘打たれたステージが開演。エルヴィス・プレスリーの元バックバンドやスプリングスティーンをはじめ、ジャクソン・ブラウンやトム・ウェイツ、ボニー・レイットやエルヴィス・コステロといったオービソンを敬愛する面々をサ...moreポートメンバーに迎え(客席にはレナード・コーエンもいた)、グレイテスト・ヒッツ・ライブを披露してシーンの前線に復帰。後にTボーン・バーネットのプロデュースでライブアルバム化もされた。
また、同年には映画『レス・ザン・ゼロ』にエンディング曲「Life Fades Away」を提供して、若い世代にもその哀切な歌声の儚さは伝わることになった。
翌年にはトラヴェリング・ウィルベリーズの一員としても活動して成功を収めるが、誕生までにはこんな逸話がある。
ある日のスタジオ。自身の新曲のカップリングを依頼されていたジョージ・ハリソンが、一緒に曲作りをしていたジェフ・リン、その場にたまたま遊びに来ていたボブ・ディランやトム・ペティ、そしてオービソンを加えて「Handle with Care」を録音。その曲が余りにも出来が良かったため、レコード会社の重役がハリソンにバンド活動を勧めて実現したという。
それにしてもクセの強いメンバー全員がエゴのない夢のようなコラボレーションを楽しめたのはなぜか?
他の4人にとっても、50年代半ばのロックンロール黎明期を生き抜き、度重なる人生の悲劇に遭遇しながらも、決して強さやユーモアを失わないオービソンは、今やロック界のVIPとなった自分たちを少年のような心に戻してくれる、憧れの対象だったのだ。
Roy Orbison 1936.4.23-1988.12.6(aged 52)
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*参考/『トラヴェリング・ウィルベリーズ・コレクション』
*このコラムは2014年4月に公開されたものを更新しました。
【執筆者の紹介】
■中野充浩のプロフィール
https://www.wildflowers.jp/profile/
http://www.tapthepop.net/author/nakano
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