「コント番組」とは?

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ちあきなおみリサイタルをプロデュースした砂田実はなぜ名前を伏せねばならなかったのか? - 10月21日(火)10:55  TAP the POP

1974年10月22日と23日、ちあきなおみの最初で最後のリサイタルは、東京・中野サンプラザホールで二日間にわたって開催された。 ファンの間では友川カズキが提供した「夜へ急ぐ人」とともに、ちあきなおみにしか歌えないという声が多い「ねえあんた」は、このリサイタルのために作られた書き下ろしの楽曲だった。作詞はリサイタルの台本を書いた松原史朗、作曲が森田公一、プロデュースしたのはTBS社員だった砂田実であった。 その後、このリサイタルは2枚組のアルバムとして発売になり、素晴らしい内容であったことが後世にまで知られていく。 ところで、クレジットには構成が青山浩/松原史郎、演出は青山浩/名也なぎほ、という名前が記されていた。 青山浩とはTBS社員だった砂田が、10年以上も使っていたペンネームである。そして名也なぎほも、砂田の盟友だった舞台監督で、オールプロデュースに所属する川名卓のペンネームだった。それぞれが会社員であったために、実名を出すわけにはいかず、日ごろからペンネームを使って仕事をしていたのだ。 1955年に大学を卒業してラジオ東京(後のTBS)に入社した砂田は、最初からテレビ製作部の音楽番組班に配属された。そして1960年代後半から70年代にかけて、『日本レコード大賞』『TBS歌謡曲ベストテン』『歌のグランプリ』『東京音楽祭』などの花形番組で、演出や総合プロデューサーを...more
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