「北陽」とは?

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100回大会「なんとしても単独で」部員集め出場果たす - 07月17日(火)20:34 

 (17日、高校野球北大阪大会、関大北陽14―0藍野) 「北陽の球、エグいなあ」。五回表。大量14点を追う展開にあっても、藍野のベンチは高揚感に包まれていた。選手10人のうち、野球経験があるのはバッテ…
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【甲子園―100回目の夏(4)】監督最強列伝~最も優れた監督は誰か - 07月17日(火)10:19 

 高校野球における監督の存在は大きい。その采配が勝敗に直結することから、いい監督の下に好選手が集まるのも高校野球ならではのことである。 監督の通算勝利数が注目されるようになったのは、PL学園(大阪)の中村順司元監督の存在が大きい。1980年に母校の監督に就任し、翌81年春の選抜大会で「甲子園初采配優勝」。82年春にも勝って、史上2校目のセンバツ2連覇を果たした。そして桑田、清原両選手の「KKコンビ」が1年生だった83年夏に全国制覇。翌年の選抜大会決勝で敗れるまで、甲子園で20連勝をマークした。 85年の第67回大会で2度目の夏制覇を遂げた後、87年は春夏連覇の偉業を達成した。ここまで甲子園出場10回で6度の優勝のほか準優勝が2度、通算勝利は44勝(4敗)、夏は22勝(1敗)という圧倒的な数字を残した。「球道即人道、野球は人生の縮図」をモットーに素質のある選手を鍛え上げ、王国を築いた。98年春を最後に引退し、18年で通算58勝10敗の成績だった。 この中村さんの最多勝記録を破ったのが、智弁和歌山(和歌山)の高嶋仁監督である。72歳、ベンチ前の「仁王立ち」で知られる。今春の選抜大会準優勝で甲子園通算68勝(34敗)まで伸ばした。1972年に智弁学園(奈良)の監督に就任した後、80年に転勤で智弁和歌山に移った。奈良で春夏7勝をマークした高嶋監督は、はじめは選手も集まらなかった新しいチーム...more
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