「羽川豊」とは?

関連ニュース

稲森佑貴、優勝圏内をキープし最終日へ「順位よりもコースに攻略に専念」 - 12月03日(日)08:05 

<ゴルフ日本シリーズJTカップ 3日目◇2日◇東京よみうりカントリークラブ(7,023ヤード・パー70)> 初優勝が狙える位置で最終日を迎える。2位タイから出た稲森佑貴は4バーディ・2ボギーの“68”でラウンド。スコアを2つ伸ばしトータル5アンダーでフィニッシュ、4位タイと順位は落としたが2打差と圏内には踏みとどまった。 2日目に18番でチップインバーディ! 稲森は前半はスコアを伸ばせなかったが、15番(パー3)で5メートルのバーディパットを沈めたのを皮切りに16番(パー4)、17番(パー5)と3連続バーディを奪取。最終18番(パー3)はボギーとしたが、この終盤の追い上げが光り初優勝のチャンスを残した。 もし勝てば23歳62日で羽川豊が1981年にマークした23歳363日の最年少優勝記録を更新する。「このポジションに立てたので。このコースは順位よりもコースの攻略に専念したほうが良いと思う。そのほうがおのずとスコアも伸びるのではと。勝つことは目標ですが、明日は明日のプレーに集中したい」。グリーンが難しい東京よみうりCC、明日は入念にマネージメントを考えて臨む。 【関連リンク】 ・宮里優作 パッティング修正成功で逆転賞金王の“スタートライン”に立つ ・小平智、タナボタ賞金王は御免!?「優勝して獲るのが一番いい形」 ・求道者・久保谷健一“65”でもボヤキ止まらず「未だにゴルフが...more
カテゴリー:

「羽川豊」の画像

もっと見る

「羽川豊」の動画

Wikipedia

羽川 豊(はがわ ゆたか、1957年12月8日 - )は、栃木県出身のプロゴルファーである。日本では数少ないレフティ(左打ち)。

経歴

1979年、専修大学在学中に日本学生ゴルフ選手権競技で優勝。主将としてチームを率いた。1980年プロテスト合格。プロテストではダントツの−8で合格し、当時のプロテスト新記録を樹立した。翌81年には日本最高峰・日本のトップ大会である日本オープンで優勝。日本シリーズも制し、同年代である湯原信光倉本昌弘と共に「ニューウェーブ三羽烏」と称された。翌1982年には前年の日本での活躍から、マスターズに招待される。ここでも15位と健闘し、アメリカの選手や関係者から「現役では最高のレフティだ」と絶賛された。

だが、1984年にはシード権を喪失し、俗に言われる「イップス」にも悩まされるなどスランプに陥る。スランプは長く続き、1988年に現状を打破しようとジャンボ尾崎率いる「ジャンボ軍団」に加入した。ジャンボからは「4年悪かったんだから、4年かけて元に戻そう」と声をかけられ...

出演番組

今後の出演番組

過去の出演番組

ツイッター人気

Yahoo知恵袋

こんなの見てる