「プロモーター」とは?

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マッドドッグ・バション 狂犬は元オリンピック選手――フミ斎藤のプロレス講座別冊レジェンド100<第20話> - 02月19日(月)08:31 

 元オリンピック代表選手からプロレスに転向し、“狂犬Mad Dog”をリングネームに大ヒールとして一世を風びした。  公式プロフィル上の身長は5フィート7インチ(約169センチ)となっていたが、じっさいはもっと低かった。  カナダ代表としてロンドン・オリンピック(1948年)に出場し、フリースタイル176ポンド級で第7位の成績を収め、1951年にプロレス入り。  デビュー当時は本名のモーリス・バションのままリングに上がっていたがいまひとつパッとせず、頭をツルツルに剃り上げ、あごヒゲgoateeをたくわえ、凶暴なヒールに転向した。  “マッドドッグ”のキャラクターを考案したのはオレゴンの大プロモーター、ドン・オーエンDon Owenだった。  バションは、アマチュア・レスリングの香りを完ぺきに消し去ることで成功をおさめたプロレスラーとだった。  パンチ、ストンピング、噛みつき、クロー攻撃、かきむしりといった単純な動きだけで試合を組み立てて、最後はパイルドライバー一発でフォールを奪うというひじょうにシンプルでわかりやすいスタイルを完成させた。  オリンピックの同期だったバーン・ガニアの宿命のライバルで、AWA世界ヘビー級王座を通算5回保持。ガニア対バションの定番カードが1960年代のAWAスタイルの基本形となった。  タイトルマッチの連戦シリーズでは、ベビーフェースのガ...more
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ヒュー・ジャックマン「人生を肯定してくれる作品」 - 02月14日(水)14:23 

 ヒュー・ジャックマン(49)が14日、都内で主演ミュージカル映画「グレイテスト・ショーマン」(マイケル・グレイシー監督、16日公開)来日記者会見に出席した。  19世紀半ばのアメリカで、ショービジネスの原点を築いた伝説のプロモーターを…
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ボボ・ブラジル 黒い魔神のアイアン・ココバット――フミ斎藤のプロレス講座別冊レジェンド100<第16話> - 02月13日(火)08:31 

 アメリカのプロレス史上、もっとも一般的知名度の高い黒人レスラーである。1950年代から1990年代前半まで活躍した息の長いスーパースターだった。  6フィート6インチ(約198センチ)、体重270ポンド(約120キロ)というスーパーヘビー級の体格で、シグナチャー・ムーブ=必殺技はアイアン・ココバットの名称で親しまれた、長身からくり出すジャンピング頭突き攻撃。  “おとぎ話”としてのプロフィルは「1940年代にベースボールのニグロ・リーグ(ミネソタ)でプレーしていたところをジョー・サボルディーJoe Savoldiにスカウトされた」となっているが、じっさいはレスラー志望だったブラジルがサボルディーに弟子入りし、サボルディーがこの体の大きな若者にボボ・ブラジルというリングネームを与えたというのが正しい順番のようだ。  ボボ・ブラジルに変身するまえのヒューストン・ハリス(本名)はミシガン州ベントンハーバーの果樹園でトラクターを運転していたとされ、正式デビューは1951年だから、20代後半になってからプロレスを志したことになる。  “テレビ時代”の黒人スター第1号だったが、プロモーターは白人対黒人のカードを組もうとせず、黒人レスラー対黒人レスラーのニグロ・チャンピオンシップが隔離した形でラインナップされるというのが1950年代の“いびつな平等”の定義だった。  第二次世界大戦後...more
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ジン・キニスキー カナダのグレーテスト・アスリート――フミ斎藤のプロレス講座別冊レジェンド100<第14話> - 02月09日(金)08:31 

 1960年代を代表するスーパースターのひとり。アリゾナ大学フットボール部で活躍後、CFL(カナディアン・フットボール・リーグ)のエドモントン・エスキモーズに入団。  フットボールのオフ・シーズンにカルガリーでスチュー・ハートのコーチを受け、23歳でやや遅いプロレス転向を決意した。エスキモーズ時代のチームメートにはウィルバー・スナイダーがいた。  元プロ・フットボール選手という経歴、6フィート4インチ(約193センチ)、260ポンド(約118キロ)のスーパーヘビー級の体格は文字どおりの大型ルーキーだった。  デビュー当時はジン・ケリー(発音はジーン)というリングネームを使っていたが、1956年にカナダ・トロントのサーキットに合流してからはフットボール時代と同じ本名のキニスキーのままリングに上がるようになった。  キニスキーが観客と対話するプロレス、メインイベンターとしてのプロレスに開眼したのはこのトロント時代だったとされる。  “ホイッパー”ビリー・ワトソン、バディ・ロジャース、パット・オコーナー、ドン・レオ・ジョナサン、フリッツ・フォン・エリック、レジー・リソワスキー(のちのクラッシャー)ら“伝説の男たち”がツアー仲間だった。  1961年にはバーン・ガニアを破り短期間ながらAWA世界ヘビー級王座を奪取(7月7日=ミネソタ州セントポール)。  1964年10月から1...more
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ブルーノ・サンマルチノ 人間発電所から生ける伝説へ――フミ斎藤のプロレス講座別冊レジェンド100<第12話> - 02月07日(水)08:31 

 神がかりとか、神通力とか、なにかそういった非現実的な単語でしか表現できないような存在。  格闘技の殿堂マディソン・スクウェア・ガーデンの象徴であり、ニューヨークのプロレス=イコール=ブルーノ・サンマルチノという絶対的なヒーローだった。  1960年代から1970年代までガーデン定期戦211公演のメインイベントのリングに立ち、187公演を完全ソールドアウトにした。  子どもからおとなまで、若者にもお年寄りにも、男性ファンにも女性ファンにも愛された。  どんなプロレスラーだったかのというと、“わかりやすいプロレスラー”ということになるのだろう。  “公称”身長5フィート10インチ(約178センチ)、体重256ポンド(約115キロ)がだったが、じっさいは身長はもうちょっと低かった。  ガウンやTシャツはいっさい身につけず、いつもダークカラーのショートタイツとリングシューズだけの限りなく裸に近い姿で花道を歩いてきた。  コスチュームらしきものはその腰に巻かれた黄金のチャンピオンベルトだけだった。サンマルチノの重厚ではあるけれどどこか質素な雰囲気と、光り輝くチャンピオンベルトの絶妙なコントラストが不思議なオーラを放っていた。  典型的な正統派だったが、いわゆるテクニシャン・タイプではなくて、どちらかといえば不器用なパワーハウスだった。  “人間発電所”というニックネームは...more
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「DI:GA ONLINE」リニューアル記念、“あったらいいな”なスペシャルグッズプレゼント企画実施中 - 02月16日(金)14:06 

関東近郊のコンサート企画・運営を行っているプロモーター、ディスクガレージが運営するライブ・エンタメWEBマガジン「DI:GA ONLINE」が、先ごろリニューアルした。
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転売にも積極的な海外のチケット事情――あえて最前列の席を売らないアーティストも - 02月14日(水)08:53 

 大手チケット売買サイト「チケットキャンプ」のサービス停止を受け、あらためて注目されるチケットの高額転売。800億円規模になるとみられる転売市場では、悪質な“転売ヤー”と興行・アーティスト側とのせめぎ合いが続いている。世界各国で年々深刻化している転売問題。果たして海外ではどのような対策がなされているのか? ◆転売にも積極的な海外のチケット事情    今年6月に行われるサッカーのロシアW杯では、ビザなしの入国権がついた「ファンID」が導入された。各試合のチケットと、顔写真の載った同IDが紐づけられており、両方なければ入場できないという仕組みだ。  エンタメ大国アメリカでは、アメフト・野球・バスケ・アイスホッケーで、こんな取り組みも。 「年間通して席を確保できるシーズンチケットの保有者は、申し込み・発券しなかった試合のチケットを『スタブハブ』などの売買プラットフォームで公式にリセールできます。定価以下が上限なので、高額転売は不可能。来られなかった場合の空席も埋められます」(在米音楽ディレクター)  国内ではJリーグのセレッソ大阪がいち早く「スタブハブ」との提携を始めている。 ◆あえて値段による格差を強調  また、アメリカでは初めからチケットの“格差”が大きいのも特徴だ。 「席の位置によって値段の振れ幅が大きいのはもちろんですが、富裕層向けのクレジットカード会社と提携し...more
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ザ・シーク 時代を超越したアラビアの怪人――フミ斎藤のプロレス講座別冊レジェンド100<第15話> - 02月12日(月)08:31 

 アラブ系、イスラム教徒、あるいはシーク=首長を名乗る悪役レスラーは数多く存在したが、リングネームに冠詞の“ザThe”がついたザ・シークはオリジナルのザ・シークだけだった。  両親はレバノンからの移民で、シーク(本名エド・ファーハット)は10人兄弟の9番めとしてアメリカで生まれたが、シーク自身は半世紀にわたって“シリア出身”を自称しつづけた。  プロレス史上、もっとも観客に嫌われ、恐れられたヒールであり、優秀なプロデューサーとしてその“憎悪”をビジネスにした。  アメリカのレスリング・ビジネスが地方分権システムだった時代の代表的なレスラー・プロモーターのひとりで、1949年にザ・シーク・オブ・アラビアの名でデビューした。  シークは、1950年代前半、毎週土曜夜のプライムタイムに全米中継されていたプロレス番組“レスリング・フロム・マリゴールド・ガーデン”(ドゥモン・ネットワーク)の花形スターだった。  キャリアも年齢もシークとちょうど同じくらいの“ドゥモン世代”のスーパースターにはバーン・ガニア、ディック・ザ・ブルーザー、ウィルバー・スナイダー、キワー・コワルスキー、ジョニー・バレンタインらがいた。  1964年に“レスリング・フロム・マリゴールド――”の番組プロデューサーで興行プロモーターでもあったジム・バーネットJim Barnett&ジョニー・ドイルJohnny ...more
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サッポロHDは若手人材を「越境」させて育成する - 人事News&Analysis - 02月08日(木)05:13 

サッポロホールディングスは、2016年から人材育成制度の「越境プロモータープログラム」をスタートさせている。これは「越境せよ」を人事戦略の基本理念に掲げる同社が、人材育成、組織開発に関する課題を「若手人材の奮起」を促すことによって解決して行こうというもの。だがプログラムの推進には苦労も多いという。どのような背景でその施策が生まれ、実際、どのように運用し、どんな成果をあげているのか取材した。
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バーン・ガニア 裸の王様になったAWAの帝王――フミ斎藤のプロレス講座別冊レジェンド100<第11話> - 02月06日(火)08:31 

 プロレスにエリートコースというものがあるとしたら、それはきっとバーン・ガニアが歩んだ道を指しているのだろう。  ミネソタ大学在学中に海兵隊に志願し、第二次世界大戦中はカリフォルニアに駐屯するが、同大学に復学後はフットボールとレスリングで活躍。  1948年にロンドン・オリンピックに派遣(フリースタイル191ポンド級補欠=トーナメントには出場せず帰国)され、翌1949年のAAU全米選手権優勝。NCAA選手権で1948年、1949年の2年連続優勝。  プロ・フットボールのシカゴ・ベアーズ、グリーンベイ・パッカーズ、クリーブランド・ブラウンズの3球団からスプリング・キャンプ参加のオファーを受けるが、大学卒業と同時にレスリングでのプロ転向をアナウンスした。  デビューから1年後、リロイ・マクガークLeroy McGuirkの引退で空位となったNWA世界ジュニアヘビー級王座の新王者決定トーナメント決勝でサニー・マイヤースSonny Myersを下し同王座を獲得(1950年11月13日=オクラホマ州タルサ)。  それから3年後、こんどは毎週土曜夜の全米中継のプロレス番組“レスリング・フロム・マリゴールド・ガーデン”(ドゥモン・ネットワーク=消滅)の主役として、初代USヘビー級王者に認定された(1953年9月3日=イリノイ州シカゴ)。  このUSヘビー級王座の新設にはNWAセントル...more
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Wikipedia

プロモーター(Promoter)とは転写(DNA からRNA を合成する段階)の開始に関与する遺伝子の上流領域を指す。プロモーターに基本転写因子が結合して転写が始まる。

原核細菌のプロモーター

主に大腸菌の研究からプロモーターの中でも特に保存されている部分的配列(配列要素 element )が明らかになった。これらの配列要素はRNAポリメラーゼが実際に結合する領域(大腸菌の場合60bp)にはない遺伝子第8版、著者:Benjamin Lewin、訳者:菊池菊池韶彦(あきひこ)、東京化学同人、2006、p233。

転写開始点

転写開始点は90%以上の場合でプリン塩基である。CATという塩基配列の中央であることが比較的多いが、よく保存されているとは言い難い。

-35ボックスと-10ボックス

真正細菌のプロモーターにはRNAポリメラーゼを強力に引き寄せる2つの仕組みがある。一つは転写開始点から35bp(35塩基対)上流にある-35ボックス -35 box (-35領域 -35 region または-35配列 -35 sequence とも)、もう一つは10bp、より正確には-18~-9上流の-10ボックス -10 box (-10領域 -10 region または-10配列 -10 sequence とも当初は発見者のデビット・プリブノー David Pribnow にちなんで...

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