新海誠の監督作品を手がけてきたコミックス・ウェーブ・フィルム制作の劇場アニメーション作品「詩季織々」のキャストが解禁された。
『グランド・ブダペスト・ホテル』(13)などで世界中に熱狂的なファンを獲得してきたウェス・アンダーソン監督が、黒澤明監督と宮崎駿監督から強いインスピレーションを受けて作り上げた驚異のストップモーション・アニメーション『犬ヶ島』(5月25日公開)。このたび本作から個性的な表情が愛らしいキャラクターポスターが一挙に到着した。
【写真を見る】RADWIMPSの野田洋次郎が声優に挑戦!その役柄は意外にも…/[c]2018 Twentieth Century Fox Film Corporation
全編にわたり近未来の日本を舞台に展開する本作は、“ドッグ病”の大流行によって犬ヶ島に隔離されてしまった愛犬を探す少年と、5匹の犬たちの壮大な冒険を描きだす。先日行われた第68回ベルリン国際映画祭ではアニメーション作品としては異例の銀熊賞(監督賞)に輝き、早くも来年のアカデミー賞長編アニメーション部門の有力作として注目されている。
今回到着したキャラクターポスターに登場するのは、愛犬スポッツを探しにたった1人で犬ヶ島へやってきた12歳の少年・小林アタリ(ランキン・こうゆう)を筆頭に、彼の手助けをするヒーロー犬たちと物語を大きく左右させる人間たちの姿。その中には日本人キャストが声を担当するキャラクターも登場している。
まずヒーロー犬たちからは、闘争心にあふれケンカの強いノラ犬のチーフ(ブライアン・ク
...moreランストン)、かつては女主人に愛されて快適な暮らしを送っていたゴシップ好きのデューク(ジェフ・ゴールドブラム)、高校野球チームのマスコットをしていたボス(ビル・マーレイ)に、ドッグフードのCMに出演していた元アイドル犬のキング(ボブ・バラバン)。
そしてもちろん犬ヶ島のどこかへ追放されてしまった、アタリの護衛犬にして大親友のスポッツ(リーヴ・シュレイバー)の姿も愛らしさと凛々しさを兼ね備えたつぶらな瞳で描き出されている。さらに、劇中でスポッツを探すアタリと犬たちを手助けする“予言犬”のオラクルも。
一方で人間たちからは、犬たちの追放を公約として発表した小林市長(野村訓市)に、彼の補佐役の怪しげな男メイジャー・ドウモ(高山明)。さらに小林市長の政策に反対する地元の高校の新聞部員トレイシー・ウォーカー(グレタ・ガーウィグ)に、彼女の下宿先のおばさん(夏木マリ)。そして劇中に登場するテレビ局のニュースキャスター(野田洋次郎)と、なかなかコアなキャラクターまで幅広く登場。
このポスターからもわかる通り、すべてのキャラクターがユニークな風貌とキャラクター性を持ち合わせている本作では、ウェス・アンダーソンの独特な世界観が炸裂している。ポスターの右上にはそれぞれのキャラクターの声を担当した俳優の写真もあわせて掲載されており、彼らがどのような声でキャラクターに命を吹き込んでいるのか、期待は膨らむばかりだ。(Movie Walker・久保田 和馬)
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ゴジラ映画史上初のアニメ―ション映画『GODZILLA』3部作の第2章『GODZILLA 決戦機動増殖都市』がいよいよ5月18 日(金)に公開される。
【写真を見る】これがメカゴジラ!?衝撃の場面写真20枚を一気にお届け!/[c]2018 TOHO CO., LTD.
昨年11月に公開された第1章『GODZILLA 怪獣惑星』はゴジラ映画史上初の 3DCG アニメーション作品であり、その映像は大きな驚きをもって迎えられた。この3部作で描かれるのは2万年もの間地球に君臨し続けてきたゴジラと、絶滅の縁に追い詰められながらもそれに抗う「人類」の物語だ。
第2章となる『決戦機動増殖都市』では、体高300メートルを超える歴代最大のゴジラ、ゴジラ・アースを倒すため、シリーズ不動の人気を誇るメカゴジラが新たな姿で現れるとあって、ファンの注目を集めていた。
このたび解禁された予告編では、人類の生き残りとされる種族「フツア」の長老らしき人物が語る“卵の歌”などゴジラファンには気になる要素も盛り込まれ、かつてのメカゴジラの材料であった“ナノメタル”の謎に迫っており、人類最後の希望とされるメカゴジラがどのような姿で登場するのか期待が高まる内容になっている。
そして「人型種族こそが、ゴジラと呼ばれるに至らなくてはならない」という台詞はなにを意味するのか。主人公のハルオ、ヒロインのユウコ、そして異星人のメト
...moreフィエスとガルグ、決戦に向けてそれぞれの思いが交錯する人間ドラマに加え、ハルオたちが操る高機動人型有人兵器“ヴァルチャー”とゴジラ・アースのバトルアクションも必見だ。
予告編では、第2章の舞台である元富士山の雲海に圧倒的な存在感で現れるゴジラ・アースだが、300メートルを越すその巨体から放たれる“熱線”攻撃は圧巻の一言。ラストカットには全身を真っ赤に染めたゴジラ・アースが描かれており、予測不能な、新たな“ゴジラ”の誕生が待ちきれない!(Movie Walker・文/編集部)
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「オレは6000試合も闘ってきたんだ」「オレは15のトシからこの仕事をやってるんだ」という“語録”を遺した。
“ラウディ”ロディ・パイパーは、1980年代以降、ハルク・ホーガンとアンドレ・ザ・ジャイアントと並びアメリカでもっとも一般的知名度の高いプロレスラーだった。
トレードマークは、スコットランドの民族衣装のキルトとバグパイプ。スコットランドのグラスゴー生まれ、ゲール貴族の末えいを自称したが、じっさいはカナダ出身。
プロレスラーとしてのキャラクターと同じように、パイパーの人生はフィクションとノンフィクションとがつねにごちゃ混ぜになっていた。
父親はスコットランド人で、母親はアイルランド人だというからスコットランド出身という架空のプロフィルは両親のバックグラウンドがヒントになっていたのだろう。
じっさい、パイパーは少年時代の数年間をスコットランドで過ごし、このときに少年少女楽団でパグパイプの演奏を学んだのだという。
家族とともにカナダ・トロントに戻ったのはパイパーが10代になってからで、警察官だった父親とうまくやっていけずロディ少年は12歳で家を出た(とされる)。
“12歳で家出”というプロフィルはあくまでもパイパー自身のコメントによるものだが、ほんとうは15歳だったかもしれないし、18歳だったかもしれない。
生年月日については“1950年”“195
...more2年”“1954年”の3つの説があったが、後年、1954年が正しいデータであったことが判明した。
どうやら、パイパーは若手時代、プロフィル上の年齢をじっさいよりもちょっとだけ上にして“自己申告”していた。ナメられたくなかったのだろう。
15歳から18歳までの経歴については“空欄”になっているが「ウィニペグのユースホステルに住み込みで働きながらプロボクサーをめざしてトレーニングを積んでいた」というストーリーが信ぴょう性が高い。
プロレスラーとしての最初の試合は1972年で、マニトバ州ウィニペグでラリー・ヘニング――“ミスター・パーフェクト”カート・ヘニングの父親で、カーティス・アクセルの祖父――と闘い、25ドルのファイトマネーを手にしたとされる。
“家出少年”だったパイパーが安住の地として腰を落ち着けたのはオレゴン州ポートランドだった。
オレゴンは無名時代に初めてプロレスラーとしてメシを食えるようになった土地で、プロモーターのドン・オーエンDon Owenはパイパーにとって父親のような存在だった。
“スコットランドからやって来たバグパイプ吹き”パイパーがロサンゼルスのオリンピック・オーデトリアムに登場したのは1975年。
パイパーというリングネームの由来はバグパイプのパイプ=管で、ロディは本名ロドニックの愛称。
リングコスチュームはもちろんスコットランドの民族衣装キルトで、タイツもリングシューズもスコットランドのタータンチェックといういでたちだった。
1970年代のロサンゼルス地区(マイク・ラベールMike LeBell代表)は、フレッド・ブラッシーが主役だったWWAが崩壊(1968年)したあとのNWA加盟団体時代で、アメリカとメキシコと日本の中継地点のようなテリトリーだった。
パイパーはロサンゼルス地区認定アメリカス王者、同アメリカス・タッグ王者として活躍し、WWEジュニアヘビー級王者時代の藤波辰爾ともオリンピック・オーデトリアムで2回、対戦した(1978年1月28日と1979年1月11日)。
パイパーは、のちにWWEスーパースターとして一時代を築いたジミー・スヌーカ、リッキー・スティムボート、ポール・オーンドーフらがそうであったように、1970年代の終わりから1980年代前半にかけてNWAミッドアトランティック地区(ジム・クロケット・プロモーション=ノースカロライナ州シャーロット)、NWAジョージア地区(オレイ・アンダーソンOle Anderson派)を長期サーキットした。
ノースカロライナ時代のパイパーのライバルは同世代――といってもフレアーのほうが5歳年上――のリック・フレアーで、ふたりはNWA・USヘビー級王座を“キャッチボール”する関係だった。
1980年代前半、アトランタのローカルUHF局だったWTCG(ターナー・コミュニケーション・グループ)が衛星チャンネル&ケーブル局WTBS(ターナー・ブロードキャスティング・システムズ)に模様替えした。
それまでジョージアのローカル番組だった“ジョージア・チャンピオンシップ・レスリング”が“ワールド・チャンピオンシップ・レスリング”にアップグレードされた。
ケーブルテレビという新しいメディアによるプロレス番組の全米中継時代のはじまりだった。
パイパーは、新番組のなかでトーク・コーナー“パイパーズ・ピット”のホスト役をつとめた。現役レスラー兼“ヒールの解説者”というコンセプトを発明したのはパイパーだった。
ビンス・マクマホンは、パイパーのタレント性に目をつけた。1984年にスタートしたWWEの全米マーケット進出計画のキーパーソンズは、ベビーフェースの主人公がハルク・ホーガンで、ヒール・サイドのスポークスパーソンがパイパー。これが“マクマホン新体制”の基本コンセプトだった。
WWEは週5本のテレビ番組を自社製作し、まだ広告収入の低かった全米各地のケーブル局やローカル・チャンネルから放送時間をブロックで買い上げ、これらの番組を毎晩のようにアメリカじゅうに流しつづけた。
“スカートをはいたヘンなプロレスラー”パイパーは、アメリカでもっとも露出度の高いトレンド・アクトに変身した。
パイパーとビンスがいつも“いい関係”にあったかというとそうではなかった。
“ロディ・パイパー”というリングネームの版権・著作権と知的所有権、キャラクター・グッズの肖像権と印税のパーセンテージ契約をめぐり何年かにいちどずつ大ゲンカをくり返した。
ビンスはあくまでも“ロディ・パイパー”をWWEの登録商標ととらえ、パイパーはパイパーで「オレは15のトシからこの名前で通ってる」と主張した。
これとまったく同じ問題は、それから20年後にもビンスと“ストーンコールド”スティーブ・オースチンのあいだでも持ち上がった。
パイパーは、ビンスに対して孤独な“ストライキ”を挑んだ。アクション俳優への転向を試み、映画『ゼイリブ』をはじめ、何作かのB級ホラー作品、B級アクション作品に主演した。しかし、休業‐引退宣言をするたびにけっきょくはリングに舞い戻ってきた。
プロレスラーに引退はないのだろう。これはひとつの真理といっていい。テッド・ターナー新体制との対立でWCWを退団したリック・フレアーがWWEに移籍してくると(1991年9月)、パイパーはみずからすすんでフレアーの“ケンカ相手”を買って出た。
それは青春時代のリメークのようなワンシーンだった。フレアーは1年半だけWWEに“滞在”し、NWAの流れをくむWCWへUターンしていった。パイパーもまた休業宣言してリングから消えた。
パイパーはその後も何度かの復帰‐引退‐復帰をくり返した。
WWEでのパイパーの“隠れた名勝負”としていまも語りつがれている試合は“レッスルマニア8”(1992年4月5日=フージャー・ドーム)でのブレット・ハートとのインターコンチネンタル選手権。
1990年代後半にWWEの主役となるブレットにとっては、WWEでの初のシングル王座獲得となった一戦。パイパーとブレットの“存在感”の闘いだった。
WWE“マンデーナイト・ロウ”(USAネットワーク)とWCW“マンデー・ナイトロ”(TNTターナー・ネットワーク・テレビジョン)の“月曜TV戦争”がスタートすると、40代になったパイパーは1996年、ライバルWCWと契約を結び、南部アトランタでホーガン、フレアーらと再会を果たした。
WCWは1980年代的な“プロレス興行”と1990年代的な“プロレス映像”が同居する空間だった。
パイパーがターナー社と交わした契約書には“クリエイティブ・コントロール”という条項が記載されていた。
これはパイパーが“ナイトロ”をはじめとするWCW制作のTVショーに出演するさいの条件で、パイパーの登場シーンにおける“番組内容”はパイパー自身がプロデューサーとしての権限を有するという特別な契約になっていた。
パイパーはひとつのカテゴリーに分類することのできない不思議なレスラーだった。
レスリングのテクニックで観客を魅了するタ...
世代を超えて幅広く愛される人気キャラクター「くまのプーさん」がアニメーションの世界から飛びだし実写映画化される。このたび日本公開タイトルが『プーと大人になった僕』に決まり、特報映像が公開された。
「くまのプーさん」は1966年に初めて映像化された短編アニメーション『プーさんとはちみつ』以降、これまで短編・長編映画やオリジナルビデオ、テレビシリーズなど多数のアニメーション作品が作られてきたが、実写映画化は本作が初となる。
「子どものころの宝物を、どうして大人は忘れてしまうのだろう。どうして僕は君を忘れてしまったのだろう」というナレーションとともに、プーとクリストファー・ロビンの少年時代のイラストからはじまるこの特報映像では、ロンドンで忙しい毎日をおくる大人になったクリストファー・ロビンとプーの再会の瞬間が描かれる。
重要な仕事をまかされたクリストファー・ロビンが公園のベンチで頭を抱えていると、ふいに声をかけられる。どこか懐かしい声のする方向に振り向くと、そこにはかつての親友プーの姿が。プーとクリストファー・ロビン、2人の奇跡の再会からはじまる感動の物語を予感させる仕上がりになっており、2月に開催されたディズニーのファンイベント「D23 Expo Japan 2018」で映像を見たファンの間では「かわいすぎる!」と早くも話題だ。
注目すべきは、実写ならではのフワモコ感でプーさんの可愛さ
...moreを表現している点。プーが持つつぶらな瞳、少しお腹が出ており、小さな赤いチョッキ…とその可愛さを完全再現した実写版では、毛並みをリアルに表現することで可愛さが倍増している。
主人公の大人になったクリストファー・ロビン役を務めるのは、スコットランド出身の俳優ユアン・マクレガー。監督には『チョコレート』(01)で主演のハル・ベリーにアフリカ系アメリカ人として初となるアカデミー賞主演女優賞をもたらした名匠、マーク・フォスター。アカデミー賞7部門にノミネートされたジョニー・デップ主演の『ネバーランド』(05)など感動ドラマで高く評価される彼が、昨年記録的ヒットとなった『美女と野獣』に続く実写版ディズニー映画で、その手腕を発揮する。
クリストファー・ロビンが忘れてしまった“大切なモノ”を届けるため、プーさんと仲間たちが100エーカーの森を飛びだしロンドンの街にやってくる。『プーと大人になった僕』は、9月14日(金)より公開だ。(Movie Walker・文/編集部)
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